舞台「鼬 いたち」を観てきました。
ストーリーは、
昭和の初め。東北の寒村にある旧家「だるま屋」は、いまや見る影もなく落ちぶれ果て、跡取りの萬三郎(高橋克実)は、南洋へ 出稼ぎに行ったきり三年も音沙汰がない。ついには、老母おかじ(白石加代子)と出戻り娘おしま(江口のりこ)が暮らす家屋敷を借金の形に取られることになり、債権者たちは古畳や襖まで奪い合うありさまだ。そこに、かつて悪行の限りを尽くし追い出されたおかじの義妹おとり(鈴木京香)が羽振りのいい風情で十数年ぶりに現れた。“何を嗅ぎつけてやって来ただ。この泥棒鼬ッ!”
いきり立つ義姉おかじに、おとりがある話を切り出した……。
というお話です。
私、観る前に話を読んで行かなかったので、こういう話とは知りませんでした。鼬というので、誰が一番欲深くて、誰が最後に勝つのかって話かと思ったら、全く違ってました。人間の汚い部分を目一杯さらけ出し、相手を罵倒し、欲望を成就させる為なら何をやっても良いと思っている人間たちの姿を、赤裸々に描いている作品でした。
旧家の「だるま屋」は借金だらけ。家、土地のみならず、家にあるものは全て借金の形に取られてしまうことになり、債務者の村人たちが、物色しにだるま屋に訪れていた。古畳から錆びた銃まで、ゴミをさらうように漁って行き、板張りだけの何も無いような状態のだるま屋になっていました。残ったのは、母親のおかじと、出戻り娘のおしま、おしまの娘の2人。

ガランとしただるま屋に、何年ぶりかでおとりが帰ってきます。おとりは、だるま屋主人の妹であり、昔、悪行を働き、勘当されていたんです。義姉のおかじに挨拶をするのですが、おかじは、「この泥棒鼬。だるま屋を漁りに来たのか。」と酷い言葉を浴びせます。この2人、昔から犬猿の仲であり、おとりが悪行を働いていた昔、そのせいで、だるま屋もおかじも、村の人々に頭が上がらない状態で、苦しんだと言う事なんです。
だるま屋が借金のかたに取られることを知り、おとりは帰ってきたのであり、何故、それを知ったのかと言うと、おかじの息子で、この家の跡取り息子の萬三郎が、おとりに連絡を取ったのでした。何故、母親と仲の悪かった叔母のおとりに連絡を取ったのかは、これから段々と解ってきます。
そんな訳で戻ってきたおとりには、やはり、鼬と呼ばれるだけの悪どい考えがあり、それが上手く行くかどうかは、これからのお楽しみ。おかじ以外の人々は、おとりが仕事で成功をして、とても裕福になっている姿を見て、過去の悪行については口をつぐみ、彼女に取り入ることを考えるばかり。しかし、本当の姿は、おかじの言うとおり、鼬のままなのだ。
そんな鼬のおとりと、その本当の姿を知っているおかじの戦いは、周りの者を尻目にどんどん激しくなって行くのでした。だるま屋の運命はどうなるのか、そして、そこに居るおかじ、おしまの運命は?萬三郎は、誰もが納得のいく決定を下す事が出来るのか。舞台を観て、考えて下さいね。
この舞台は、大きな起承転結が待っている訳では無く、人間というものが、どれだけ欲にまみれて生きているのかという事と、おとりを描くことで、二度と戻りたくないような故郷でも、やっぱり故郷であり、彼女の生きる為のこだわりがあるのだということを描いていて、人間って、こんな生き物なんだよねって事を教えてくれます。
とにかく、おかじの白石さんとおとりの鈴木さんの戦いが、あまりにも激しくて、観ているこちらの息が詰まりました。あまりにもすごい戦いで、今までに無い舞台を観る事が出来ました。嬉しかったです。人間って、本当に、何処まで行っても、強欲で、自分勝手で、救いようのない生き物なんですよね。今も昔も、それは、全く変わらないと思います。どんなに偉くなっても、お金持ちになろうとも、人間の本質は変わらないし、良い人になる訳が無いってことです。「レ・ミゼラブル」のジャンのような人は、まず、居ないと思って良いよなぁと思いました。
私は、この舞台、すっごい迫力で、お勧めしたいのですが、ストーリーが面白いというものを探すのでしたら、ちょっと、難しいかな。ストーリーは、単純なんですもん。だけど、ハードなバトルが長い時間続くので、それを楽しめる方に観て欲しいと思います。ぜひ、観に行ってみて下さい。
ぜひ、楽しんできてくださいね。
鼬(いたち)
http://setagaya-pt.jp/theater_info/2014/12/post_376.html
P.S : スミマセン。画像をエンタステージさまからお借りいたしました。問題があるようでしたら、直ぐに消去いたしますので、ご指摘、ご連絡をお願いいたします。m(__)m