東京国際映画祭にて、「十字架の道行き」ワールド・フォーカス部門を観ました。6日目の4作目です。
ストーリーは、
原理主義的なキリスト教の教派を信じる家族に育った、14歳の少女マリア。神父からは、自分の欲望を絶ってサタンに勝ち、イエスの戦士たれと説かれる。家では、現代的な振る舞いを一切許さない抑圧的な母親が支配している。マリアは素直に教義に従うが、男子に惹かれてしまったことで母にウソをつく…。イエスの死刑判決から死に至るまでの道行きの14の場面に呼応する形で、14の章で語っていくものであり、少女マリアの受難を描いている。信仰の強要と児童虐待の境目、あるいは愛と洗脳の境目が冷静に描かれて恐ろしい。
というお話です。
これ、面白かったです。聖書の教え通りに生活しないと、サタンに飲み込まれて、地獄に落ちるからと言われ、必死で聖書の教えを守るのですが、守ろうとすればするほど、聖書の教えから離れて行ってしまうという、凄いシビアなお話でした。
マリアの家は、厳格な原理主義的キリスト教教派です。小さな頃から、キリスト教の教えについて教え込まれ、現代の流行りなどを追う事を禁じられています。音楽も、聖歌以外は音楽ではないように言われ、男女の付き合いなど、決して許されないと言われています。
マリアは、必死で教えに背かないように努力を続けているのですが、学校の同じクラスの友達たちは、現代の楽しみを謳歌しているし、もちろん、男女の関係も気になるお年頃ですから、恋愛の話も沢山出ているんです。そんな中、マリアもやっぱり、気になる男の子が出来てくるのですが、神に全てを捧げているのに、男の子に惹かれるなんてサタンの誘惑に負けれていると言う事だと思ってしまい、自分を責め始めます。
男子が好きな気持ちが芽生えた事は自分がサタンの誘惑に負けたせい、弟がしゃべれないのも私がサタンに負けたせい、と、全てが自分のせいなのではないかと段々と思い始め、自分を追い詰めて行くマリア。それは、キリストが人々の為に、自分が全ての罪を背負って、天に召されるのを解っていて、そこに向かったように、マリアも、全てを背負って、十字架へと向かっていきます。
聖書を読んだことがあれば解るけど、確かに、書いてある通りの事を言っているのですが、ハッキリ言って、それは、ロボット三原則と同じなんです。「ロボットは人に危害を加えてはいけない、ロボットは人間の命令に服従しなければならない、ロボットは自己を守らなればならない」。これ、超矛盾してるでしょ。
キリスト教原理主義の教えも一緒なんですよ。だって、人を愛せよと言いながら姦淫するなって言うし、この姦淫って、イヤらしい目で見るだけでも姦淫だって言ってるから、そんなんじゃ、好きな人なんて作れないでしょ。悪口を言ってはいけないって言いながらも、悪口を浴びる人は幸いだって言うんですよ。んじゃ、誰かを騙して悪口を言って貰えって事でしょ。(笑)罪を犯すなと言いながら、罪人を愛せよって、誰かに罪人になって貰えって事でしょ。これを突き詰めて行くと、自分は救われたいけど、周りの人には罪を犯して貰えって言っているんじゃないの?なんかー、ダメダメ~。(笑)
こんな矛盾している事を、全て護ろうとしたら、そりゃ、自分が壊れちゃいますよねぇ。で、壊れちゃうと、壊れちゃったで、それも、イケない事なんですよね、聖書って。だって、壊れてしまって、自分で死のうとしてしまうと、自分の命を粗末にするってことで、キリスト教では、絶対に許されない事なんですよ。天国には行けないって事です。もー、何処まで行っても、ダメダメでしょ。
だから、何事も程々が一番なんです。聖書って、面倒なこと沢山書いてあるけど、結局は、「精一杯生きて、命を大切にして、最後は天国に来なさいよ。」ってことが書いてあるのよ。その為に、みんなの罪を被って、イエスが死んでくれたんだし、教会で懺悔すれば、なんでも許してくれるでしょ。だからね、悪い事をしちゃって私ってダメな人間だから、ゴメンナサイって謝って、また、正しい道に戻ればいいのよ。この映画のマリアのように、ギューギューしたって、神様は喜ばないよ。
この映画、私は、とってもお勧めしたい映画です。極端に宗教の教えを護っている姿が、あまりにも凄いので、私なんて、ちょっと笑ってしまったほどなんです。こういう映画を観て、人の振り見て我が振り直せって事で、自分がぎゅーぎゅーして、本当の事が見えなくなっているんじゃないかって考えてみる事って、大切です。面白い映画だと思いますよ。笑う映画じゃないのに、アホなの?って笑ってしまうほどでした。日本公開は決まっていませんが、もし、観る機会があったら、ぜひ観てみて下さい。
ぜひ、楽しんできてくださいね。
東京国際映画祭「十字架の道行き」 http://2014.tiff-jp.net/ja/lineup/works.php?id=153