イタリア映画祭にて、「存在しない南」を観ました。
ストーリーは、
高校修了資格試験をマジかに控えたグラツィアは、レッジョ・カラブリアの海辺の町で、干しタラを売る店を営む父クリスティアーノと暮らしている。兄ピエトロは、数年前にドイツに旅立ち、その後、死んだと聞かされているが、父も祖母も、兄の死について語ろうとしない。兄の消息を巡って、父と口論したグラツィアは、家を飛び出し、海で泳いでいると、兄の姿を見る。兄は生きているのではないかと確信を持ったグラツィアは、兄を探し始めます。
という映画です。
カラブリアという町は、表向きは穏やかな海沿いの町なのですが、裏の顔は、マフィアに支配されていて、彼らに逆らうと、殺されるか、町から出て行くしかないという場所なんです。そんな町に住むグラツィアは、まだ、ほとんど、町の裏の顔を知りません。自分の父親が、何も自分に話してくれない事を不満に思い、勉強にも身が入らず、高校卒業も危うくなるほどです。
グラツィアは、父は話をしてくれないし、祖母は一緒に住んでいる訳では無いので、自分の内のものを相談する人が居ないんです。兄がいてくれれば、悩みを相談出来たハズなのに、家を出て行って戻らないまま。兄が、本当に死んだのか、本当は、どこかで生きているのか、全く解らない状態で、兄への思いが募り、彼女は、兄を自分の中に求めて、自分を男のように見せています。
そんなグラツィアとは別に、父クリスティアーノは、町の裏の実力者から町を出て行くように言われ、娘の高校卒業まで待って欲しいと離すのだが、嫌がらせは増すばかり。店で出す品物も仕入れが出来なくなり、窮地に追い込まれています。父親が娘に兄の話が出来ないのは、この町には、沈黙の掟なるものが存在し、マフィアに関わる事実は話してはいけないと言う事だからなんです。父も、話せないことを苦しんでいました。
グラツィアと父親は、どんどん離れて行くばかり。祖母が仲を取り持つのですが、どうしても上手く行きません。そんな時、グラツィアは、町に来た行商一家の息子カルメロと仲良くなります。彼と兄を探したり、色々するのですが、彼との関わりにより、グラツィアは、兄とは決別し、普通の女性へと変わって行く姿が見る事が出来ます。
兄がどうして居なくなったのかというのは、映画を観て頂ければ解るのですが、生きているか死んでいるかは、それほど重要では無く、その町に居る限り、どうしてもマフィアの支配下に置かれてしまうと言う事なんです。兄を探してもがくのは、その町の圧力から逃れたいという願望も含んでいたのではないかと思いました。
そして、彼女がまるで男として生活していたのは、もちろん、兄への思いもあったのですが、兄の代わりに、町から圧力をかけられる父親を助けたいと思っていたからこそ、兄と同じような姿になっていたのかなと思いました。だから、彼女に相談しない父親に怒っていたのではないかと思います。家族は、愛していれば愛しているほど、心配をかけたくないからというのもあって、話をしない事ってありますよね。その上、この町の沈黙の掟があったので、この父親のクリスティアーノは、とても苦しんでいたと思います。でも、娘としては、父親の助けになりたいし、話してもらいたい。難しい問題です。
この町から逃れられれば、また、新しい世界が広がるのだけれど、昔から住んでいる地を離れるのは、とても悲しい事だし、離れたくないと思う気持ちもあり、難しいですよね。辛い事だと思います。でも、どこかで吹っ切ることが出来なければ、人生を捨てると同じ事。苦しくても、家族で身を寄せ合って、新しい道を探さなければね。

私は、この作品、まぁ、お勧めしても良いかなぁ~って感じですかね。暗い映画なので、観ていて辛いのと、眠くなります。私も、途中、ウトウトしてしまいました。でも、カラブリアという地方は、美しいですよ。ステキな町だと思いました、表の顔はね。これは、日本公開、難しいかなぁ。もし、観る機会があったら、観てみて下さい。
ぜひ、楽しんでくださいね。