TIFFコンペティション「歌う女たち」を観ました。TIFF22作目です。
ストーリーは、
地震予知で住民退去勧告が発令された島。伝染病も流行り、人が弱り、馬が死ぬ。そんな島から出ない人々。苦しみの淵に居る女たちが、喘ぎながらも、信仰と勇気、希望によって、自らの悲劇を抵抗と人生の歌に変えて、不満ばかりえ成長出来ていない男アデムに人間としての喜びを教える。彼女たちは、人間の世界から、別次元の存在へと移行して行く。世を救うかのように…。
というお話です。

この映画は、難しいと思うだろうなぁ。監督は、簡単だとおっしゃってたけど、確かに、素直に受け取る事が出来れば簡単だけど、ちょっとでも、現実と比較してしまうと、理解が難しいと思う。だって、ファンタジーですもんね。とっても現実的な映画のように見えるけど、ファンタジーと思わないと、理解が付いてこないのだと思いました。
とりあえず、私の考えで解説し、感想を書いて行きますね。まず、島に地震が起きるという予知が出て、人を退去させ始めています。この地震で島がどうなるかは解りませんが、まるで、ノアの箱舟のようでしょ。人を避難させて、動物も避難させて行かなければならないけど、もしかして、神の思し召しで、島自体がノアの箱舟になって、残った人々だけが、人類とは別に、個別の世界を創って行くことが出来るのかも知れない。その指標になるのが、歌っている女たちで、彼女たちが、人間の欲や業から解き放ってくれるのかも知れないと思えました。
地震と同時期に馬に疫病が流行り、どんどん死んでいきます。人間よりも弱い、無垢な動物に、先に災いが起きているのかなと思いました。聖書のヨハネの黙示録に、七人の御使いが七つの鉢に入った災いを地に傾けるという言葉があるのですが、その第5の鉢を傾けると”獣の国は暗くなり人々は苦痛のあまりに舌を噛み、その苦痛とでき物とのゆえに、天の神を呪う”という記述があり、男たちが欲をむき出しにし、人に銃を向けたり、荒れて行く姿は、自分の行いを悔い改めなかった人間の姿を描いているように思えました。

最後の鉢を傾け、全てが無に帰す時、誰が救われるのか。誰が、新しい次元に移行出来るのか。女たちに導かれた者のみが、そこに行けるのではないかなと思いました。そして、一人の男だけが、馬に寄り添い、病を直し、女たちを助けているのですが、この男は、救世主として人々に施しを与えたキリストのような存在として描いていたのかなぁと思います。この男は、言葉を発せず、ただ、傷ついた者に寄り添って生きています。
一人、放蕩息子が、不治の病だということで島に帰ってきて、好き勝手なことをほざいて周りを困らせるのですが、彼は、病気で死ぬんですね。だけど、女に触れてもらって、復活するんです。復活後、まるで人が変わったように寛容になり、慈悲深くなるんです。この話って、聖書のラザロの復活に起因するのかなと思いました。ラザロは、復活して、その後、また自然に死を迎え、罪と死に対する勝利をもたらす唯一の復活として描かれているので、罪と死を描く本作にも取り入れられたのかなと感じました。
以上の事から、私には、結構、キリスト教的な考え方が深く根付いている作品であったのかなと思います。となると、女たちは御使いであり、自由に動き回り、罪深い人間たちを新しい次元へと導き、お互いに敬い、慈悲深く、分け与えることが出来るような世界を築きたいという思いだったのかなと思いました。
私は、この映画の雰囲気がとても好きでした。最初、観ている時は、あまり訳が解らず、眠くなったり、イライラしたり、何言ってんのよと思ったりもしましたが、観て行く内に、何となく、深い慈悲が女たちにあって、苦しみながらも、人々を導いているのではと思い始めたら、入り込むことが出来てきました。そうすると、今度は、柔らかい感じが眠気を誘うんですよ。(笑)気持ちの良い作品でした。

この映画、日本公開は難しいかなぁ。色々な方に、困難な作品と評されていたので、ちょっと一般的な映画館で公開するのは、難しいのかなという気持ちになりました。でも、私は、結構、好きかな。でも、これ、信仰とかと絡ませなかったら、私、理解出来なかったかも知れない。自分の理解を組み立てたから、好きになれたのかも知れません。もし、この映画、観る機会があったら、観てみて下さい。
ぜひ、楽しんできてくださいね。
http://tiff.yahoo.co.jp/2013/jp/lineup/works.php?id=C0010