【演劇】「冒した者」生と死の境目は、この時代、とても緩かったのかも知れない。 | ゆきがめのシネマ。劇場に映画を観に行こっ!!

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観てきた映画、全部、語っちゃいます!ほとんど1日に1本は観ているかな。映画祭も大好きで色々な映画祭に参加してみてます。最近は、演劇も好きで、良く観に行っていますよ。お気軽にコメントしてください。
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先日、横浜で上演していた「冒した者」を観てきました。長塚さんの演出で、田中さんが主演だったので、楽しみにしていました。以前観た「浮漂」の続編にあたるようなお話です。


ストーリーは、

舞台は戦後の東京郊外。かろうじて焼け残った大屋敷に9名の人間が集まり、穏やかな暮らしを送っていた。そんなある日、一人の青年 須永(松田さん)の訪問をきっかけに生じた日常の崩壊。それぞれが抱える「戦後の混乱」が一挙に表面化する中で、大屋敷の人間模様は激しく入り乱れていく。須永は、何故、私(田中さん)を訪ねてきたのか。何故、須永の言葉により、住民たちの心が乱れて行くのか。誰もが不安と空虚を感じているこの時代、一つの出来事により、タガが外れて行く人々はどこへ行きつくのか。

というお話です。


ゆきがめのシネマ。試写と劇場に行こっ!!-冒した者


「浮漂」という舞台は、素晴らしい舞台で、妻を亡くした五郎(今回の私)の悲しい咆哮は、地の底から響いてくるようで、本当に泣けました。今度の舞台は、その後の五郎が、医者の舟木の紹介で、妻との家を離れ、今で言うシェアハウスのようなところに住んでいると言うところから始まります。「浮漂」の時は、画家という設定だったのですが、この「冒した者」では、作家とか脚本家という設定のようでした。


ネタバレしないように感想を書くのは、とても難しい内容なのですが、なんとか頑張ってみますね。”私”(五郎)は、妻が死んだ後、全ての意欲を失くし、まるで死人のように生きてきました。自殺を図ったりしたようですが、死にきれず、ただ、ボンヤリと生きている。そんな感じなんです。


そして、一緒に住んでいる人々、8人いるのですが、一人づつ紹介して行きましょう。

”私”を一緒の家に招いてくれた舟木先生とその妻・織子、弟の省三。舟木先生は、ずっと妻の病気を観てくれていた先生で、貧しい人の為に働きたいと思っている勤務医。その妻は敬虔なクリスチャンで、神を強く求めています。省三は、左翼運動に参加する学生。


シェアハウスの大家を任されている浮山とその遠縁にあたるモモちゃん、亡くなった屋敷の主人の娘である柳子。柳子は、主人と芸者との間の私生児であり、浮山は、主人の正妻の親戚であり、ちょっと複雑。どちらも遺産を受取る権利があり、亡くなった主人は、二人を結婚させたかったらしい。モモちゃんは、広島で被爆し、家族を失くして、遠縁の浮山の所に引き取られた。原爆の影響で視力も失い、フルートを楽しむ毎日。


証券屋の若宮と、その娘・房代。この時代の証券屋なので、詐欺師とは言わずとも、ヤマ師というような状態だったのではないかと思います。だから、娘の房代が、進駐軍に勤めて、身体も使ってお金を稼いできていたのではないかと思います。


そして、須永は、”私”の脚本などを使って舞台をやっていた役者だったようで、今は、何をやっているのかは解りません。そして、彼については、全てが謎に包まれています。それが、段々と明かされて行くのですが、その謎によって、住民たちが、自分の内側に溜まっていたドロドロした物に気づき始め、吐き出すような精神状態になって行きます。


ゆきがめのシネマ。試写と劇場に行こっ!!-冒した者

この時代、全ての人々が、絶望と虚無を感じていたのではないかと思います。それまでは、戦う事だけに目を向けさせられていたのに、負けた事から、目標を失い、自分達がどこに向かっているのかという指標が見えなくなったのでしょう。そんな不安の中、ある事件(須永が訪ねてくる)によって、戦争と言うものが自分達の中に残したものは何なのかとか、生死の境を彷徨っていた戦時中から、ただ目標も無く生きている今、自分が生きているのか、死んでいるのか、良く解らなくなってきてしまう。


これって、今も同じ事が言えませんか?仕事も無く、お金も無く、何をして良いのか解らない。ただ、バイトに行って、コンビニの弁当を食べて、帰って寝るだけ。何の目標も無く、スマホをいじっているだけしか能の無い状態。これって、生きているのか死んでいるのか、解りませんよね。そんな今、須永のような人間に出会う事で、暗闇を感じてしまい、恐ろしい方向に自分を持って行ってしまわないよう、自分をしっかり持って下さいね。


話を戻して、須永は、”私”に対して、昔尊敬していたアナタは、今、哀れな人間に見える。まるで死んでいるようだ、と言います。先日観た「頭痛肩こり樋口一葉」でも言っていたのですが、死との境界を感じてしまった人間は、生きているけど死んでいるのと同じなのだということ。妻を失くして、自分も一緒に行きたいと思った”私”は、その時点で死との境界に触れていたのだと思います。だから、既に、死を受け入れていて、その上で生きている。生と死って、本当に紙一重なんです。


その生死を、短絡的に考えるか、深く論理的に組立てて考えるかで、「樋口一葉」のようになるか、この「冒した者」の”私”のようになるかが変わるのではないかと思います。戦後の暗い日常の中で、誰もが、内に内に籠ってしまい、死の匂いを嗅いだだけで、その黒い面に引き寄せられて恐怖を感じてしまうというのが、この舞台の中に描かれていたような気がしました。そういう時代だったんですね。


ゆきがめのシネマ。試写と劇場に行こっ!!-冒した者

原作者の三好十郎さんは、広島の原爆で亡くなった丸山定夫という友人であり俳優だった人に、この話を捧げたようです。話の中に、原爆を発明した時点で、人間社会は壊れているというようなセリフがあるのですが、戦争が人を壊し、原爆が人を消してしまいますよね。丸山さんが原爆で亡くなったことから、その悲劇を嘆いてのことだと思います。そんな悲しみが、このお話の中に紡がれていました。


この舞台、私は、とてもお勧めしたいです。戦後の不安定な社会の中に、一つの闇が落ちてきてから、どんどん周りに、その闇が広がって行く様子が良く描かれていて、恐ろしくて、悲しい話だと思いました。この舞台、これから、東京、仙台、松本、新潟など、何か所も周るようなので、ぜひ、機会があったら、観てみてくださいね。




冒した者   葛河思潮社    http://kuzukawa-shichosha.jp/





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