母と舞台「あかいくらやみ」に行ってきました。 これは、母の日のプレゼントってことで、母を招待したんです。いつも迷惑をかけている母に、年に1回は、お礼をしないと。いやいや、1回といわず、ちゃんといつも感謝しなきゃいけませんね。(笑)
ストーリーは、
第二次世界大戦の敗戦直後。大一郎と奈生子は、群馬のとある宿屋にたどり着く。作家の葛河も物語の匂いに導かれ、編集者の野口と共に、この宿を訪れていた。葛河が追っているのは、動乱の幕末期、尊皇攘夷の志を掲げながらも賊軍とみなされ、悲惨な末路を迎えた水戸天狗党の怨念だ。漆黒の闇の中、何かがぞぞりとうごめき出す。大一郎も葛河も、天狗党の悪夢に飲み込まれていく。
天狗党は無念を抱いて斬首され、その残党である武田金次郎は怨念を抱きながら、敵であった諸生党のゆかりの人々を血祭りに上げていた。その怨念に飲み込まれた大一郎は、自分の血の運命を知ることとなる。
というお話です。

このお話、その時代の歴史を良く知っていると解かりやすかったのだと思いますが、私は、歴史がからっきしダメなので、最初の頃、たくさんの武者の亡霊のようなものが出てきても、良く区別が付きませんでした。観ていくうちに、やっと人間関係が理解出来て、天狗党が何をしたかったのかも理解出来て、金次郎が、何故、そんなに怨念を抱いているのかが解かってきました。

元はと言えば、幕末、そう、今のNHK大河ドラマの時代ですね。最後の将軍である慶喜が、自分の故郷水戸藩のゴタゴタを、上手く収められなかったからじゃないのかな。だって、衷情する為に水戸から京都まで、大勢で行軍しなければならないほど追い詰められていた天狗党を、結局は裏切った訳でしょ。とりあえず、話だけでも聞いてあげて、話し合えば、300人以上も斬首する必要は無かったんじゃないの?歴史の話だから、文句を言っても仕方ないんだけど、そんな経過をたどったからこそ、末代まで、恨みを引き継ぐことになり、運命が絡み合ってしまったのかなと思いました。
大一郎は、戦争が終わり、先が全く見えなくなってしまっていた。ある事で人里離れた場所に逃げなければならなくなり、戦争で未亡人となった奈生子と群馬の山奥の温泉宿にたどり着く。その宿には、天狗党の怨霊が巣食っていて、大一郎は、その悪夢に飲み込まれ、天狗党と行軍を共にするハメに・・・。
天狗党の無念さと、戦後の日本人が味わった虚無感が呼応して、人間とは、どんなに辛い事に遭遇しても、ただ恨み続けるのではなく、相手を許せるやさしさと強さと、そして立ち直る力が、身体の中に宿っているんじゃないかと思わせてくれる気がしました。
長塚さんの演出は、舞台にほとんど装飾が無くて、今回は、襖が5枚だけ。後は、回る舞台を利用して、その空間の広がりを表していました。独特な雰囲気は、そこに暗くて深い無限の暗闇を思い起こさせ、抜けられない運命を位置づけていました。視角ではなく、感覚に訴えてくるので、その印象は、長く頭の中に残ります。だから、観た後、何度も、思い出して、また考えてって感じになるんです。すごいでしょ。
出演者は、もう、舞台も慣れている方々ばかりで、安心して観ていられました。そうそう、舞台に、恐ろしい天狗が二人立つのですが、それが、とても恐ろしいんです。そこに立っているだけで、まるで舞台に日の光を入れないぞって言っている様で、恐かった。そういう演出も、すごいです。
この舞台、出来れば、歴史を知った上で観に行くことをお薦めいたしますが、私のように、観た後に、パンフレットを読んだり、歴史書を読んだりして、再度、噛み砕くのも、また楽しめますよ。
もし、お時間があったら、ぜひ観に行ってみてください。チケットが、完売のようなのですが、立見席が、まだあるようです。2時間半のお芝居なので、ちょっとキツいですが、もし、良かったら、行ってみて下さいね。
あかいくらやみ~天狗党幻譚~ http://www.bunkamura.co.jp/cocoon/lineup/13_akaikurayami.html
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