「千年の愉楽」 狭い”路地”という世界は、人間の世界全てを表している。蜻蛉は短命だが美しい。 | ゆきがめのシネマ。劇場に映画を観に行こっ!!

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観てきた映画、全部、語っちゃいます!ほとんど1日に1本は観ているかな。映画祭も大好きで色々な映画祭に参加してみてます。最近は、演劇も好きで、良く観に行っていますよ。お気軽にコメントしてください。
スミマセンが、ペタの受付を一時中断しています。ごめんなさい。

初日の舞台挨拶付きの上映に行ってきました。若松監督の追悼と思って、ぜひ、この映画は初日に観たいと思っていたんです。


ストーリーは、

年老いたオリュウノオバ(寺島しのぶ)の脳裏に、この紀州の路地で生まれ、女たちに愉楽を与え、散っていった男たちの思い出が駆け巡る。自らの美ぼうをのろうように生きた中本半蔵、生きることを強く望んだ田口三好、北の地でもがいた中本達男。彼らの誕生から死までを、助産師をしていたオリュウノオバは見つめ続けていたのだった。
というお話です。

ゆきがめのシネマ。試写と劇場に行こっ!!-千年の愉楽

超感動的に作っている訳でも、お涙ちょうだい的にも作っていないのですが、何故か、観た後に、その命の輝きにジーンとしてしまって、ジンワリ涙が湧いてきてしまいました。まだ原作を読んでいないので、原作でも、こんなに美しいドラマなのかしら。人間の生と死、命の焰、宿命に立ち向かうように生きる人間の美しさが、鮮やかに描かれていました。


この世に生を受けた人間が、命の火を一気に燃やし尽くして死んでゆく、それを悲しげに傍観するしかない産婆。この狭い”路地”と呼ばれる地域に生きる人々が、世界すべての人間を表しているように見えました。誰もが同じように生まれてきて、そこには差別も何も無く、ただの人間として、この世に生を受ける。そして、誰もが必ず死に向かって歩き出すのです。


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その歩みの速さは違えど、同じように歩いていく。でも、美しく輝きながら早い速度で歩いてしまう者と、細い火でチョロチョロと長い時間をかけて歩く者、2種類があるのです。どちらが幸せなのかは、解かりません。美しく一瞬輝いて生きる蜻蛉と、地味に勤勉に仕事をして長生きする蟻と、どちらかの人生を選べと言われても、それは神様が決める事。私たち人間が決める事は出来ません。


そんな蜻蛉のような生き方をしてしまう一族に生まれた男たちは、その運命に翻弄され、というのですが、考えてみれば、自分の欲望を抑えることが出来れば、そんな結末にはならなかったハズなのです。激しい衝動を好み、欲望を貪欲に追っていくという性質が、中本の血に流れているのでしょう。どうしても、彼らは、そういう生き方をしてしまう、悲しいですよね。

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自分が取り上げて、命を落としていく男を何人も観て、それでも生きていくオバは、ちょっとキリストの母のマリアのようでした。自分がこの世に産み出した人間が、目の前で死んでいく。それを止める術は無い。危ない生き方をしている事が解かっているのに、止める事が出来ない。ただ、見守って、男が帰る場所を作ってやる事が、自分が出来る事だと思い、ただ、そこに座って待っている。聖母のようでありながらも、人間の女であり、血生臭い性も抱えていて、その微妙な境界が、寺島さんならではの表現で素晴らしいなって思いました。やっぱり、寺島さんは逸材です。


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実は、キャタピラーを観た時に、若松監督のティーチインがあり、寺島さんがメイク無しでやっているという話題で、監督が「彼女は肌で演技が出来る素晴らしい人。今の時代、逸材です。」という事をお話してくださって、その時の表情が、すごく嬉しそうだったんです。それから観る度に、寺島さんが、女である時の肌と人間である時の肌が違うことに気がつきました。女である時の肌は、敏感で、触ると吸い付きそうに見えるんです。いやぁ、女の目から観ると、嫉妬してしまうほどステキです。

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そろそろ美しい男について書かなければ。美しい中本の男として、井浦さん、高良さん、高岡さん、染谷さんが順に出てきます。その生き様は、映画を観てくださいね。4人とも、女が寄ってきてしまうようなイケメンで、まぁ、身体も良かったんでしょう。女が離さなくなってしまうんです。でも、また新しい女が現れ、自分の物としたくて奪ってしまう。女から女へ渡り歩く事を、全く悪い事と思わないので、どんどん憎しみを買ってしまう。今で言う、ヒモですね。それが、狭い”路地”での出来事だから、直ぐに噂が広がって、大事になってしまうんです。全員が、とってもイイ男。このイイ男っぷりを観るだけでも、価値がありますよ。

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半蔵が生まれる時、産まれて来る時はみんな同じ、人間は平等なのだとオバが言うんですけど、どんな社会にも差別はありますよね。職業の差別、家の差別、容姿での差別、たくさんの差別があって、この世界は成り立っている。自分より弱い者を見つけて蔑むことで、自分の存在位置を確立しているのです。もちろん、この映画の中でも、平等と言いながら、中本の男だからという言葉が出るし、路地では噂が絶えない。噂と言うのは人を蔑む為のものだから、、噂が好きな人間は自分に自信が無くて、いつも人を蔑んでいないと落ち着かないのです。弱い人間が多ければ多いほど、差別は増え、苦しみは増えるんですよね。そんな事を思いました。


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考えれば考えるほど、この映画も、色々な思いが浮かんできて、感想が書ききれません。とっても深い映画です。どこまでをどういう解釈で読み取るかは、人それぞれだと思います。人間の生と死は、私たちの身近にいつも存在し、それを正面から見つめる事が、人の為になり、自分の為になります。

震災から2年、今日3月11日、この映画の感想を書くのも、何か、考え深いものがあります。生と死を止める事は出来ません。どんなに惨酷でも、いつの日か受け入れるしか無い。もちろん、自分も死に向かって生きているし、今、生かして貰えているのは、先に逝ってしまった人が支えてくれているのかも知れない。そして、いつの日か、先に逝ってしまった人に出会えるように、恥ずかしくない生き方をしていたいな。清廉潔白とは言えなくても、出来れば、人の噂で楽しむとか、意味の無い中傷で人を蔑む事はしたくない。

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なんか、最後、映画の感想から離れてしまいスミマセン。私は、この映画、超お薦めしたい映画です。人間というもの、生と死というものを、生々しく、美しく描いていて、私は、大好きです。但し、大きな波がある訳ではないので、ガチャガチャした映画が好きな方には、ちょっと難しいかな。

ぜひ、若松監督の遺作、ご鑑賞ください。カメ


P.S : 高良さんに握手をしていただく事が出来ました。たまたま「若松監督の写真展」のところの写真を撮っていたら、横を通られて、きゃ~!と思い、握手していただきました。感動です!!




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