今日は、「ゼロ・ダーク・サーティ」の試写会に行ってきました。昼の試写だったので、会社を抜けられるように時間調整をしてしまいました~。ゴメンヨ~、休日も働いているから許して~!(笑)
ストーリーは、
ビンラディンの行方を追うものの、的確な情報を得られずにいる捜索チーム。そこへ、人並み外れた情報収集力と分析力を誇るCIAアナリストのマヤ(ジェシカ・チャスティン)が加わることに。しかし、巨額の予算を投入した捜査は一向に進展せず、世界各国で新たな血が次々と流されていく。そんな中、同僚の一人が自爆テロの犠牲となって命を落としてしまう。それを機に、マヤの中でビンラディン捕獲という職務が狂気じみた執心へと変貌。ついに、彼が身を隠している場所を特定することに成功するが……。
というお話です。
ビンラディンを仕留めたニュースって、最初、冗談のように小さなニュースで、その後、どんどん大きくなって行ったんですよね。本当に殺せたっていう確信が、アメリカ自体も、マスコミも、持てなかったのかもしれない。そんな、あの情報の流れが、この映画を観ると、どうしてそうなったのか解かります。まさか、本当にビンラディンを殺す事が出来たなんて、自分たちでも驚いてしまって、放心状態になってしまっている状況が、この映画に描かれているんです。
この映画、もちろん全てが事実ではないと思いますが、CIAがビンラディン一人を追い詰めるのに、本当に時間がかかって、大変な労力をつかっていたということは解かります。そして、マヤという捜査官が、最後の最後まで、しつこくデータを洗い直し、その矛盾を計算し、ビンラディンという人間が、どこに隠れているのか、隠されているのかを、まるでカメのように追っていきます。遅いけど確実に、必ずゴールにたどり着く、そんな彼女の努力は、素晴らしいと思いました。仕事に対してのプライドですね。
それにしても、ここにビンラディンがいるだろうと解かってからも、確実な証拠が無ければ突入出来ないとか、万が一違ったら犠牲が出るとか、上の方の責任者がいう事は、日本と同じなんですね。責任者は、自分が責任を取りたくないから、リスクが100%無いと解かるまで何も動きたくない。でも、敵は倒したい。それって、矛盾していますよね。確実に解かるのは、殺した後なんですから。日銀の総裁みたい。(笑)
主人公の捜査官マヤは、ここにビンラディンが居るから突入してくれと再三、上司に掛け合うのですが、上司も、その上司に掛け合い、CIAの長官にも相談するのですが、答えが出ない。でも、待つしかないというのが、下っ端です。目の前に餌があるのに、お預けをくっている馬のように、ブヒブヒ怒っています。これって、私たちも、日常、仕事をしていれば同じ状況がありますよね。でも、確かに、上司となると、責任があるから、簡単にはOKが出せないんですよね。
マヤも、突入隊を目の前にして、話をして、その責任の重さを実感したのだと思います。もし、情報が間違っていたら、もし罠だったら、もし民間人しか居なかったら・・・。そうです、目の前の兵士の命も奪われるかも知れないし、民間の子供も死ぬかもしれない、命を預かっているということなんです。それを、現場に出て、深く実感したのかなという表情が読み取れます。作戦の失敗は、自分が死んで詫びれば良いなんてもんじゃ済まなくて、国家を揺るがす事になるかも知れないほどの事なんです。
観ていて、マヤの気持ちも解かるけど、CIAの長官の気持ちも、マヤの上司の気持ちも、痛いほど伝わってきました。彼らの後ろには、いつも星条旗があるんです。適当にOKなんて出来ない。国家を背負っているんです。それは、本当に、すごい重圧なのでしょう。簡単に”いいよ。”なんて言えないです。

そうそう、何故か、この映画を宣伝するのに、女性が追い詰めたとか、女性がと言う言葉がたくさん出てくるのですが、映画を観ると解かるけど、マヤに対して、女性だから下に見るというような態度をしていた人は、ほとんど居ません。長官がマヤに対して「キミは誰だ」という場面で、マヤが「隠れ家を見つけたクソッタレです。」と返す場面があります。彼女は、女だから下に見られていたのではなく、CIAでは下っ端の職員だからまともに対してもらえていないんです。女性だからじゃない。それは、当たり前の事。もう、CIAの前線になると、男も女も無いんです。頭がキレる奴が勝って行く、そういう世界です。
そういえば、捕虜への尋問の仕方が問題になり、それ以降、尋問が出来なくなってしまって、情報が収集出来なくなってしまうのです。捕虜に尋問しないと情報なんて話してくれないし、情報が入らなければ、テロが防げない。でも、人に暴力を与えるのはいけない。どこまで行っても、堂々巡りですよね。自白剤とかも打っちゃいけないとなると、テロリストの情報なんて手に入らないよなぁ。どうするんだろう。マスコミも、叩いてよいところと、ここより踏み込むと自分達の首を絞めてしまうという所を、自分達で判断出来ないのかしら。もちろん、人道的には、暴力はいけないと思っていますが、テロで何千人も死んでしまうのを防ぐ為だったら、一人の命には目を瞑るとかって、無理なのかなぁ。こればかりは、難しい問題だと思いました。
この映画、すごく考えさせられて、まだまだ感想が書けてしまいそうな作品です。
私は、とってもお薦めしたい作品なのですが、ジーっとガマンしてという部分が多いので、アクション映画などの軽いものが好きな方には、ちょっとお薦め出来ないかな。アカデミー賞最有力だそうですが、私は、「ハートロッカー」を観た時のような、「この作品は、貰うだろうな。」という確信が持てませんでした。他の作品が日本公開されていないので、比べようが無いということもあるのですが。
あの「ハートロッカー」のラストの、また戦地に向かう彼の何とも言えない表情を観た時の感動は今でも忘れられません。マヤも、全てを終えての表情は、色々な深い考えがあって感動出来るのですが、どーも、自分が大きな仕事を終えた時の、全てが自分の手から離れてしまった寂しさと安堵と喪失感というものに重なってしまって、所詮、仕事よね~っていう諦めのような気持ちが沸いてきてしまい、感動が小さくなってしまいました。でも、素晴らしい作品だと思いますよ。

今週末の2月15日に公開ですが、大画面で観る価値がある作品だと思います。とても私は良かったので、感想が長くなってしまってスミマセン。
ぜひ、観に行ってみてください。楽しんできてくださいね。