今日は、「ギリギリの女たち」の試写会に行ってきました。東京独女スタイル のご招待でした。
ストーリーは、
甚大な被害をもたらした東日本大震災後の2011年夏、長年ニューヨークでダンサーをしていた長女高子(渡辺真起子)が、気仙沼市唐桑町の自宅にふらりと舞い戻る。そこで彼女は東京で幸せに暮らしているはずの次女伸子(中村優子)と、15年ぶりの再会を果たす。やがて姉たちに置いて行かれ、たった一人で家の番をしてきた三女の里美(藤真美穂)も姿を現わし……。
というお話です。
きっと、映画のプロとか、映画の玄人と称する方たちは、素晴らしい芸術作品とかなんとか言うんでしょうね。はっきり言って、私には、監督のマス○ーベーション作品としか思えませんでした。全然面白くなくて、何度も寝そうになってしまいましたよ。いや、ウトウトしてしまいました。
確かに画面の構図などは、映像学の教科書に書いてあるように、美しい三角形のアクセントが効いていてキレイです。でも、教科書どおりの構図されても、感動しないんですよね。学校の卒業制作ならわかるけど、別にマニュアル製作してる訳じゃないから。ワンカット長回しって言ったって、面白くなきゃ、まったく意味が無いんですけど・・・。
私の頭悪いからだと思いますが、この映画、何が言いたいのか全く解りませんでした。不幸な3人の女姉妹が、久々に家に集まって、不幸自慢大会をしていて、それがなんじゃいって感じなんですよね。でも、不幸自慢大会に震災は関係ないでしょ。おまけに、9.11のテロの話まで持ち出して、なんとなく、人の不幸を持ち出して、人寄せパンダ的に使っているとしか思えませんでした。なんか、そういうのイヤだなぁ。
東京国際映画祭で観ようと思ったのですが、時間が合わずに観れなくて、今回、やっと観ることが出来たけど、期待していたものとまったく違いました。もっと面白くて、女に力を与えてくれるような、ステキな作品なのかと思っていたのですが、ガッカリ・・・。
チラシに、「どんな状況でも、女はたくましく、強く、愛を与え、愛を欲する」って書いてあるのですが、どこがたくましく、強かったのか、愛はどこにあったのか、愛を欲しているのか、全く解りません。ただ、自分勝手に生きて、周りに居た男に捨てられ、それでも自分はヒロインだと思い込み、なんの成長もしない女が3人集まって、慰めあい、そして、また、それぞれに生きていく。きっと同じ間違いを繰り返しながら、成長せず、ただ意味も無く生きるって感じですかね。それ、無駄じゃん。
私、こういう学習しない女って、大っ嫌いなんですよ。自分は絶対に間違ってないって言い切ってしまうような女。良くいますよね、自分の選択が一番良かったのだから、あなたのはダメなのよって押し付ける人。この3人は、そんな風に見えるんです。ギリギリの状態と言いながら、人に譲歩しようとしない、人の話を聞こうとしない女って、そこに居るだけで害だよなぁ。自分は、決してこんな風にならないように気をつけよう。
そうそう、この映画、音楽も全く無くて、長回しだからなのか、女優さんがセリフを噛んでもそのまま。それって、リアル感を追求したとか言っちゃうのかな。お金を払って観ていたら、腹立つと思いますよ。だって、リアル感を追求するなら、こんな内容にならないもん。
せっかく招待していただいて、申し訳ないけど、本当に、この映画、私はダメでした。本当に面白くないんですもん。途中で出たくなっちゃった。まぁ、眠れたから良かったけど。(笑)何度も言います。私は、ダメでしたが、玄人の方や、芸術が解る方には、良いんじゃないですか?
ああー、スミマセン、とっても意地悪な言い方になってしまった。でも、それくらい、腹が立ってしまったの。映画って、娯楽の祭典でしょ。面白さが無くて、どうして映画と言えるのでしょう。考えさせられるところが無くて、どうして映画と言えるのでしょう。
せっかく招待していただいて、こんなに酷いこと書きたくないのですが、私にも限界があります。嘘は書きたくありません。でも、これほど文章が進んだってことは、もしかして随分と考えさせられたのかも知れませんね。映画とはなんぞやって、色々考えたって部分は、良かったかもね。
・東京独女スタイル http://www.dokujo.com/
・ギリギリの女たち@ぴあ映画生活
ギリギリの女たち - goo 映画