「カリーナの林檎」 震災のおかげで公開出来たの?原発の恐怖ばかり植えつけるのは辞めて欲しい。 | ゆきがめのシネマ。劇場に映画を観に行こっ!!

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観てきた映画、全部、語っちゃいます!ほとんど1日に1本は観ているかな。映画祭も大好きで色々な映画祭に参加してみてます。最近は、演劇も好きで、良く観に行っていますよ。お気軽にコメントしてください。
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先日 「カリーナの林檎」を観てきました。


ストーリーは、

原発事故が起こったチェルノブイリ原発があるウクライナの隣国、ベラルーシ。ここに暮らすカリーナ(ナスチャ・セリョギナ)は母の入院と父のロシア出稼ぎのため、都会の親戚の家に預けられる。都会に馴染めないカリーナは、放射能汚染で危険な地域に住む祖母へと想いを馳せるが、その祖母も病に侵されてしまう。「チェルノブイリという街には悪魔のお城があって、毒を撒き散らしているんだよ。」カリーナは毒を止めてもらいにたったひとりで立ち向かうのだが・・・。

というお話です。

ゆきがめのシネマ、試写と劇場に行こっ!!-カリーナ2

日本で製作された作品で、公開にこぎつけなかったものですが、この震災で、福島原発の問題が発生したので、少し手直しされ、公開されたようです。申し訳ありませんが、映画として認識が出来ないと言うか、原発の犠牲になった女の子をかわいそうだって哀れんでいるだけで、なんの解決も問題定義も無く、どうして作ったの?って思ってしまいました。映画として作るなら、犠牲になった女の子と比べる対照を作ったり、もっと問題定義があれば、意味も判るんですけどね。


出てくる人、みーんな、”あーあ、事故っちゃった。仕方ないなぁ。”って思っているだけで、何の対処もしないんです。特におばあさんとか、危ない地域に住んでいて、全然、逃げようとしないの。子供がいるんだから、考えてあげればよいのに、自分は、あとは死ぬだけだからと思っているからか、そのままそこに住み続け、子供を犠牲にしているんです。どう観ても、カリーナが病気になったのは、原発の責任だけじゃなくて、大人の責任だよなぁ。

ゆきがめのシネマ、試写と劇場に行こっ!!-カリーナ1

私がこの映画で感じたのは、観ている人に、原発が悪い物だという呪いをかけようとしているのではないかということ。冷静に考えてみれば、原発をしっかり理解しなかった大人の責任であり、その無知さゆえに、子供に何も伝えずに、死に至らしめたということだけ。もし事故が起こって直ぐに、その地域から離れさせ、対処をしてあげていれば、違った最後になったかも知れないのに。


原発を保持している会社と、国の統率者の無知が原因だということは、一目瞭然ですよね。もっと、原発という物がどれほど恐ろしいもので、身体にどんな影響があるのだと、周りに説明が必要だし、対処方法を教える必要があったのに。大人のバカさ加減を原発そのものに責任転嫁しているとしか思えませんでした。


何度か書きましたが、原発は、もちろん無い方が良いに決まっています。でもね、反対!反対!って叫ぶのは、バカでも出来るんです。要点は、原発を無くすために、どうしなければならないのかという事。火力を使えば温暖化で地球がダメになってしまうし、風力は、その音でノイローゼになる人も出るし、太陽光なんて問題外、もし太陽光と今でも叫んでいる人がいるなら、その予算を全て出してください。その装置を作るために、どれだけの石油を使って、どれだけの電力を使うんですか?ソフトバンクの孫さんが砂漠に太陽光パネルをと話していましたが、砂漠に住んでいるトカゲなどの生き物は、日が当たらなくなったらどうするの?今の日本の熊のように、居る場所が無くなって、人間を襲うか、絶滅して行くだけです。人間の傲慢さの局地です。


ゆきがめのシネマ、試写と劇場に行こっ!!-カリーナ3

一番考えられているのが、地熱発電、メタンハイドレードによる発電、それを確立するまでは、原発に頼るしか無いと思うんですけどね。もちろん、原発は怖いし、子供の事を思えば原発を辞めさせたいけど、火力を使いすぎて、石油が枯渇したり、地球温暖化が進んで住めなくなったりしたら、それも困るでしょ。すべてはバランスだと思うんです。もう少し、冷静に考えてみたらいかがなんでしょうか。


それでも反対だって叫ぶなら、電気の無い生活をして下さい。お風呂も薪で炊いて、勉強も仕事も日の光がある時だけにして、暗くなったら寝てください。電気は一切使わないでね。もちろん、マンションなら、エレベーターも使わず、水も電動ポンプであげているので使わず、だからトイレも使わず、テレビも観ないでね。もちろんネットも。


ゆきがめのシネマ、試写と劇場に行こっ!!-カリーナ4

どんなに考えても、解決しない問題です。解決の糸口が見つからない今、知識のある人間が、解らなくて不安に思っている人間の不安を煽るのは辞めて欲しいんです。恐いものだと呪いをかけるのを辞めて欲しい。怖いだけのものなら、どうして神は人間に”核”を与えたんだと思いますか?必ず、何か役に立つからこそ、与えてくれたんでしょ。恐いという呪いをかける前に、どうしたら”核”というものを良い事に利用して、悪い使い方を辞めていく方向に持っていけるのかを考えて欲しいです。冷静になろう。

原発や核の知識は必要だし、誰もが知ることが必要だけど、人間が作ったものです。必ず、いつの日か、人間の手で扱える日が来るはず。それまでは、冷静に見守り、子供から遠ざけ、生活の中の一つの不安材料として置いておくということは出来ないでしょうか。私は、もう、子供は産むつもりが無いし、自分が生活するために必要なら、共存する方を取ろうと思います。放射線が、たとえ自分の身体を蝕もうと、生活するためには仕方ない。受け入れたいと思います。みなさんは、電気の無い生活で放射能の心配が無い世界と、電気がある今の生活水準のまま原発を受け入れる世界と、どちらを取りますか?


ゆきがめのシネマ、試写と劇場に行こっ!!-カリーナ5

あくまで、これは私の考え方です。でも、発言力のある人間が、原発は恐ろしい物だと不用意に発言しすぎるのは辞めて欲しいですね。ただデータをひけらかし、理解してもいないのに偉そうに演説をするのは辞めて欲しい。知識の無いこちらは、誰を、どのデータを信用して良いのか分からず、不安が広がります。訳も解らず、いたるところで放射能測定をしたりして、パニック状態ですよ。いい加減にしてください。カメ



カリーナの林檎~チェルノブイリの森~@ぴあ映画生活

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