今日は、イタリア映画祭で、”勝利を”を観ました。
ストーリーは、
1907年、社会主義を熱烈に奉じる青年ベニート・ムッソリーニが追われているところを助けたイーダ・ダルセルは、1914年にミラノで再開を果たし、激しい恋に落ちる。彼を愛し、その思想に共鳴したイーダは、開業した美容室も家も売り払い、ファシスト党の機関紙となる「ポポロ・ディタリア」紙創刊の資金を用意する。結婚をし、息子ベニート・アルビノももうけた二人だったが、ムッソリーニには既にラケーレという許嫁がいた。第一次大戦で重傷を負ったムッソリーニが入院する病院に駆けつけるイーダだったが、ムッソリーニの傍らには、結婚式をあげたばかりのラケーレの姿があった。激高したイーダは、自分こそが正式な妻であり、彼の実子の母親であることを主張する。しかし、権力の階段を駆け上がるムッソリーニの汚点となった母子は、警察の激しい監視下に置かれ、自分の主張を曲げないイーダは精神病院に、子供は寄宿学校に送られる。そんな仲でも、イーダは真実を伝えるための戦いを続ける。
というお話です。

この映画はノンフィクションなんだそうです。細かなところは脚色してあるそうですが、主役のイーダという人については、実際にあった事をそのまま描いているそうですよ。
ムッソリーニは、”英雄、色を好む”という言葉がある通り、たくさんの愛人がいたようです。その中で、イーダは、自分の考えを曲げず、どこまでもムッソリーニの妻だと主張したそうです。ムッソリーニと言えば、銃殺刑にされたときに一緒にいたクラレッタが有名みたいですが、今回は、イーダという愛人の伝記となっています。

私、あまりムッソリーニという人を知らなかったのですが、なんだか、とっても上昇志向の高い人みたいに見えて、太っているし、あまり好感の持てる人ではないなぁと思いました。実際の彼のフィルムも映画の中で流されるので、それを観ると、ちょっと笑っちゃいます。なんで、こんなインチキくさい人に独裁政治されちゃったんだろう。不思議に思えました。若い頃のムッソリーニは役者さんが演じていて、独裁者となってからは、実際の映像を使って描いてあります。

このイーダとのベッドシーンがあるのですが、女性の方は、”愛してる”と言いながらのめりこんでいるのですが、ムッソリーニは、目をギラギラさせて違う事を考えているんです。その映像が、このムッソリーニという男が、女を利用する事しか考えてなかったんだなということを表していたのだと思い、ムカつきました。ホントに、女性の敵ですねー。トップに立った人だから、それなりに魅力があったんだろうけど、こういう男は、許せんっ!!真剣に向き合えよっ!!

独裁者になってからイーダを目障りだと思い、監禁するのですが、これも、ムカつきますよ。目障りだから精神病院に入れちゃうって、どーいう事よ。自分の息子にさえ、酷い仕打ちをするんですよ。このイーダと息子は、悲劇的な最後を迎えます。女性の目から見ると、このイーダは、本当に頑張ったと思います。ま、ちょっとやりすぎという気もしますが、相手がこれほど酷い男なら、これくらいやっても足りないくらいですね。はっきり言って、正妻にも、責任を取ってくれと詰め寄ってもいいくらいじゃないかな。

こういう歴史的な映画を観ると、その時代の勉強になるし、もっと知りたいと思って調べるので良いですね。そういえば、マルコ・ベロッキオ監督のティーチインがあったのですが、ムッソリーニの子孫の方から苦情は無かったのですかという質問に、”現実にあったことを描いているので、文句の言い様が無かったようで、何も言われていません。”とのことでした。ここからも分かるように、ムッソリーニの人となりが分かるので、機会があったら、ぜひご覧になってください。日本で公開しないのかなぁ。内容的にも映像的にも、衝撃的だし、面白いので、単館系になるだろうけど、公開したら、結構良いのではないかと思いました。
