「ポー川のひかり」 またも、宗教問題。 | ゆきがめのシネマ。劇場に映画を観に行こっ!!

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観てきた映画、全部、語っちゃいます!ほとんど1日に1本は観ているかな。映画祭も大好きで色々な映画祭に参加してみてます。最近は、演劇も好きで、良く観に行っていますよ。お気軽にコメントしてください。
スミマセンが、ペタの受付を一時中断しています。ごめんなさい。

今日は、”ポー川のひかり”の試写会に行ってきました。本


ストーリーは、

イタリアの古都ボローニャ。夏休みに入った人気の無い大学の図書館で、大量の古文書が太い釘で床に打ち付けられるという衝撃的な事件が起こった。容疑者として浮かび上がったのは、事件直後に姿を消した哲学教授だった。彼は、若先生と呼ばれ、若くして教授の地位を手に入れ、世界的な哲学者と目されるほどの実力を持っていたのだが、なぜ、すべてを捨てて、事件を起こし、消えてしまったのか。

というストーリーです。ドア


この教授は、事件を起こした後、ポー川のほとりの古い小屋にたどり着き、そこで暮らし始め、近所の老人たちに、キリストさんと呼ばれ、親しまれるようになるんです。で、とっても人間らしい生活を送り始めるんですが、なんとなく、ちょっとズレてるんだよね~。やっぱり、基本的に頭が良いし、セレブなんだと思うんですよね。だから、ちょっと普通と外れちゃってるんですけど、でも、人との関わりで、色々な事を知っていくんですよ。


この映画、またも、キリスト教的な映画なので、どこまで書こうかなぁ。この教授、ずーっと勉強ばかりで、トップに立ったけど、でも、人間的じゃなかったんですよ。でね、地位と名声を受けたエデンの園から、俗世へ出るんです。リンゴを食べてしまったと同じです。そのリンゴとなったものは、映画を観てね。で、色々な事を知っていくの。先日観た、”女の子ものがたり”のセリフにもあったけど、”知らないというか、知ろうとしないのは、悪い事だよ。”というのと一緒で、彼は、知るために外へ出て行く。そのやり方は、酷いと思うけど、でも、そうしない限り、彼は、神を裏切れなかったのだと思います。

反対に、エデンを出ずに、ずーっと神を思っている司教さんが出てきますが、その対比が、その”知る”と”知らない”の意味を良く表現していました。

創世記(エデン)は旧約聖書ですが、新約聖書を通して、人との関わりを伝えようとしています。キリストの生まれ変わりをなぞっています。


一見、退屈そうな映画ですが、そんな聖書の事を絡めて観ると、面白く見えると思いますよ。出会う老人たちも、聖書に出てくる罪びとに当てはまったり・・・。


お勧めしていいものか・・・。聖書やキリスト教関係を分かっている方の方が、より解ると思います。

気になった方は、観に行ってみてください。本