生れたら必ず皆に起こること | タブーから自由になって、より健康で豊かな月経ライフを! ~バスク在住ドゥーラ 寺本裕美子~

タブーから自由になって、より健康で豊かな月経ライフを! ~バスク在住ドゥーラ 寺本裕美子~

月経、妊娠・出産、育児や更年期。心とカラダの健康について、女性のエンパワメントのためのブログです。

 

こんにちは! 

月経リテラシーで

女性のエンパワメントを目指す、ユミコです。

 

今日もこのブログを選んでくださり、

本当にありがとうございます。

 

教わらなかった月経のこと、もっと知りたい!

身体と仲良しになって、より健康になりたい!

タブーから解放されたい!

より豊かな性教育が必要!

 

そう願っている方に向けて、お届けしています。

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息子たちの夏休みが始まり、

2週間が経ちました。

 

さあ、あと「2か月」!!!(笑)

 

なんだかんだ言って結局いつも

「あっという間だったねえ」と

始業日を迎えるのですが、

(9月が新学期)

 

いよいよ、次男坊も中学校に上がります。

 

卒業式、というセレモニーはないので

日本のような忙しさはなく、

 

長い休みなのに宿題もゼロ。

部活動もゼロ。

 

純粋にリセット期間です。

 

生徒も先生も、5月からウキウキ、

嬉しい・楽しいわけですよねー。

 

というわけで、時間を気にすることなく

自由に放し飼い状態です。(笑)

(こっちは忙しいぞ、こんにゃろー)

 

 

 

さて、

しょっぱなから畳の画像にこのタイトル、

なんだ?と思われたかもしれないですね。

 

前にお知らせをさせて頂いた

お産のストーリーを聴く会で、

 

一つ気付いたことがありまして。

 

 

 

 

生れたら皆、必ず死にますね。

 

私は、子供を授かる前から、

 

「お産」についてなぜか薄暗い、

布団が敷かれた畳のお部屋で産む、

 

というイメージが強かったんです。

 

なぜだか本当に不思議で、

時代劇とかの影響か?とか思っていました。

 

 

でもそれは、そう言う環境が

自分は安心できると身体は知っていた。

 

それが気づきだったんですが、

その奥にある「なぜか」がわかったんです。

 

 

 

会には、在宅での死のお看取りを専門に

活動される方も参加いただいたのですが、

 

お喋りの時間で、

 

在宅での看取りは、生活に根差している。

命の誕生も暮らしの一部であってほしい。

特別なことではなく日常の延長線上に、

生まれることや育てること、

人生の幕引きがある。

ということを聞きながら、

 

 

ひいおばあちゃんのことを、

思い出したんです。

 

まだ幼い頃に亡くなったし、

大人になってからほとんど

思い出したことがない記憶だったので、

自分でもとってもとっても驚きました。

 

 

 

ひいおばあちゃんは、

最後は家でずっと寝たきりでした。

動けないし話せない。食事も助けがいる。

 

私は時々お部屋に行って、

横にちょこんと座り、

会話することなく彼女を見つめていました。

 

 

痩せて、ほとんど目を閉じている彼女の横に

ただ私はいるだけ。

 

聴こえるのは呼吸だけ。

なんだか、その空間は平和でした。

 

 

 

その時間を、お産の話から広がった

看取りの話で、思い出し、

 

お産、と言えば病院の分娩台で、

というのが良く見聞きすることだったにも

かかわらず、

 

平和で安心していたその頃の自分の感覚が、

お産をするとなった時の自分の

 

「こういう環境で産みたい」

 

という望みに繋がっていたのかな、と

腑に落ちました。

 

 

そうでなくても畳の部屋って

なんだか落ち着くし、

 

川の字になって家族が寝ていた、ということも

きっと畳が好きな理由だと思います。

 

 

 

月経でもお産でも、

それを入り口に人生が語れるなんて。

本当に深いですね。

 

 

ひいおばあちゃんはそうして、

自分が暮らした家の、自分の部屋で

息を引き取りました。

 

今そのように生まれた家で死ぬ、という

経験ができる人はあまりいません。

 

でも、産む・生まれる・死ぬ

というプロセスで寄り添われること、

本人が安心できる環境にあること。

 

もっと重要視されるべきだと思っています。

 

 

 

 

現代は生産重視の社会です。

 

産むことや、生まれること、

何かを創る・生み出すことは歓迎され、

 

何かが無くなる・何かを失う、は

喜ばしいことではなかったり、

メリットがない、と思われがちです。

 

 

愛する誰かを失っても

すぐ元の生活と私に戻らなければ、という

見えないプレッシャーがあります。

 

その時の気持ちを

しっかり抱きしめて、かみしめて、

自分に必要な時間、自分のリズムで

感じて消化していってね

 

ということはあまりなく、

「元気出してね」と励まされ、

あっという間に忘れ去られる知らせになっている。

 

社会的には

プライベートのこととして片づけられます。

 

 

 

死に対しても、タブーがある。

でも生まれたら必ず死があります。

 

 

私は流産を経験していますが、

妊娠のことも、その命が生まれなかったことも

人生に起こる自然なこととして、

 

なにも隠さず、幼い息子たちに

ただありのままを話しました。

 

新しい命の存在を知って一緒に喜ぶ。

 

出会うことができなかったことが

悲しくて一緒にたくさん泣く。

一緒にさようならする。

 

 

 

誰にでも起こること。

自然なこと。

 

生れてから死ぬまで、性的な生き物なのに

 

性の色々を隠したり、教えないことに

メリットがあるのだろうか。

 

そう思ったのでした。

 

 

最後までお読みいただき

有難うございました♪

 

 

 

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