こんな映画を見に行こうと思っていました。

 

カチンコ「ライド・オン」 (原題は「龍馬精神」) 2023年 中国

主演:ジャッキー・チェン 

 

ところが、上映している2館とも吹き替え版。ガッカリショボーン

映画は断然字幕派です。演じている俳優の声やせりふ回しが楽しみなのに・・・

吹き替え版の予告編も見ましたけど、やっぱりやめとく。

チェンの娘役を演じているのが、張芸謀(チャン・イーモウ)監督の「ワン・セカンド 永遠の24フレーム」で初々しい少女役を演じて印象的だった劉浩存(リウ・ハオツン)です。なおさら中国語で見たいわ。

 

迫力全開の中国語予告編 赤菟(チートゥ)役のお馬さんがたまりません

馬にさえ馬鹿にされる年老いたスタントマン、渋く年を重ねた

ジャッキー・チェンの表情とこの声が好いのになぁ、ホント残念

なんど見ても、このお馬さん名優だわ!

先日の「無名」(冒頭場面のスパニエル系と思しい犬)といい、この映画といい、出演する俳優そっちのけで、近ごろは動物たちに目が行ってしまいます。

そんなに気になるのなら、意地を張らずに見に行けばいいのに・・・と思うでしょ、いやいや、行きません。きっと、いつか、映画チャンネルで見られるに違いないグッ

 

付録

お馬さんを主にしたこんな動画を見つけました

 

今読んでいるのは『亡き王女のためのパヴァーヌ』と同じ著者、パク・ミンギュの『ピンポン』(齊藤真理子訳)です。こちらも翻訳がみごとです。

もはや“直訳か意訳かとか、誤訳あるいは名訳”を超える域にまで達したらしい言葉の名人たちの仕事に、日々感謝している私です。

たしか鴻巣友季子さんと齊藤真理子さんの翻訳をめぐる対談があったはず・・・と探してみたら、ありました。

 

本『翻訳、一期一会』 鴻巣友季子 左右社 2022年初版

この本は、鴻巣さんが様々な方と翻訳について語り合う「翻訳問答シリーズ」の3冊目になります。齊藤さんはソウル延世大学に留学され、パク・ミンギュ作品はじめたくさんの韓国文学を訳しています。

このシリーズは共通のテキストをそれぞれが日本語に訳して、その過程で得たことについて話し合うという形式です。斎藤さんとの章のテキストは『風と共に去りぬ』(部分訳)。鴻巣さんは原文から直接、斎藤さんは韓国語に訳されたテキストを使って日本語に訳しています。この作業で、日本語と韓国語の語感や文法上の類似性が見えてきます。こどものころ、韓国の新聞を見たときに(当時は漢字ハングル交じり文だったので)なんとなく読めてしまったことに驚いたことがあります。文章の構造が似通っており、日本語と同じように韓国語にも漢語が浸透していて漢字で表記できる単語が多かったからですね。ハングル表記になった今でも、漢語由来の単語はたくさんあって、その点でも日本語との共通性が多いのです。そんなわけで、ほかの言語よりも韓国語のほうが訳しやすいのかもしれないと思っていました。

『亡き王女のためのパヴァーヌ』や『ピンポン』を読んでいると、敬語の表現方法に日本語との類似性がうかがえる場面がたびたび出てきます。敬遠や尊敬の気持ちのほかに、相手との距離感や気おくれ、あるいは強者に対するへつらいの感情も敬語(丁寧語)の使い分けで表現しています。

というようなことが確認できたので、残り6割を切った『ピンポン』を大車輪で読もうと思います。

 

なお『翻訳、一期一会』の最後に

【「多言語の交錯するほうへ」―『歩道橋の魔術師』を通じて】と題して、呉明益・温又柔・鴻巣友季子(通訳=天野健太郎)の鼎談が再録されています。

台湾の文学界や台湾語と中国語、言語的ジレンマ、日本語からの借用(そういえば、現代中国語に日本製漢語が占める割合が大きいと聞いている)・・・などなど刺激的で示唆に富んだ内容です。

この日は、もともとアフリカ統一条約発効を記念する「アフリカ難民の日」だったそうですが、2000年の国連総会で「世界難民の日」として決議されました。

 

今年のブルーライトアップはどうだったのでしょう。

ニュースで取り上げたTV局はあったでしょうか?

世界中の難民は日本の人口にほぼ等しい数になると発表されました。

【国外へ脱出した難民は】

アフガニスタンから:640万人

シリアから:635万人

ウクライナから:596万人

【国内で難民化した人は】

スーダン:910万人

シリア:720万人

コロンビア:690万人 (それぞれ上位3ヶ国のみ)

このうち、子どもの占める割合はおよそ40%で4700万人です。

(2023年末の人数 国連高等弁務官事務所の調べによる)

注目は、内戦が続くシリア難民が国外と国内あわせて1300万人を超えていることです。

 

 

 

身近にできる難民支援を考えよう

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6月29、30日に開かれる第662回札響定期演奏会、シャルル・デュトワが指揮をする予定でしたが、体調を崩されたため急遽尾高忠明さんに変更になりました。

どうやらプログラムの変更はなさそうです。

チャイコフスキー「ヴァイオリン協奏曲」、ドヴォルジャーク「交響曲第9番」

金川真弓さんのヴァイオリンを楽しみにしていたのでホッとしています。

デュトワ人気で招待客の出席確認をするほどだったのに・・・、ま、払い戻しは無いそうなので、取りやめる方はそんなに多くはないとは思いますが。

87歳と高齢でもあるのでご無理なさらず、早く回復されるよう願っています。

 

フォーレ「ペレアスとメリザンド」よりシシリエンヌ

デュトワ指揮 モントリオール交響楽団 1988年

 

昨日の続き

「月の手紙」

  自殺をはかったヨハン、「僕」のまえから姿を消した「彼女」、休学

  「彼女」からの長い手紙。

「風に吹かれて」

  手紙に同封されていたボブ・ディラン、ヨハンの転院

  アピールの仕方を承知している「その子」の登場、「彼女」の居所を探す。

「ある邂逅」

  この章は(読むことに関してはクセ者である)私の予想通り!

  でも、展開した先は・・・・そっちに行くの?う~ん。

「ハッピーエンディング」

  そんな筈は・・・・嘘でしょ!

「Writer's cut 彼と彼女 そしてヨハンのもう一つの物語」

  この章は無くても、とも思いましたがそれでは通俗的。

  「ある邂逅」以降の流れからいうと、余分だけれど・・・・。

 

「月の手紙」まででおさめられていたらとても良かったと思います。けれど、あくまでも私的な告白風の形式になっているので、それは仕方のないことかもしれません。

「亡き王女のためのパヴァーヌ」と「ラス・メニ―ナス」の関りはわかりやすいのですが、著者が「ラス・メニ―ナス」から主題に選んだのが、“何か”あるいは“誰か”、を考えると、この絵の意味するところはなかなか示唆に富んでいると思います。

♪カタログを作りたくなったくらい、多様な音楽が流れていました。

 

後半を読んでいる間中、昨日YouTubeを聴いて気に入った務川慧悟さんの「ラヴェル ピアノ作品全集」を流しっぱなしにしていました。(中の1曲が「亡き王女のためのパヴァーヌ」)

ほぼ読み終わるころに曲のほうも終わって、引き続き聴こえてきたバッハの「ヴァイオリン協奏曲第1番イ短調」が、(小説には出てきませんが)物語の終りに寄り添うように感じられ、ふさわしい流れとなりました。(「ライターズ・カット」の背景にラジオから聴こえるという設定だったら・・・)

 

務川慧悟「ラヴェル ピアノ作品全集」より 「古風なメヌエット」

 

バッハ「ヴァイオリン協奏曲第1番 イ短調」BWV1041

ヴァイオリン:寺神戸亮 指揮:鈴木雅明 バッハコレギウムジャパン1998年

 

本『亡き王女のためのパヴァーヌ』パク・ミンギュ 吉原育子訳

               新しい韓国の文学12 クオン社 2015年初版

 

ハイジさんとのコメントのやり取りに刺激され、矢も楯もたまらず、昨日図書館へ走りました。

読みながら、私は樋口一葉の文を思い浮かべていました。

[この小説は句読点もあり、文章は短いながら、カギ括弧が無く、会話と地の文の区別がつかないうえに主語がいつの間にか変わるので、読みにくさを感じる読者もいるかもしれませんが、読み進むうちに著者のリズムと視点にのって全体が俯瞰できるようになってきます](⇦一葉さん風に文章を長くしてみました)

まず聴こえてくる「オールド・ラング・サイン(蛍の光)」にはじまり、小説ぜんたいに通奏低音のように音楽が流れています。原作の巧さ、それにもまして滑らかな日本語で読めるのは、優れた翻訳家のお陰です。近ごろ続けて読んだ中国・韓国小説の読みやすさは、文化的にもポップカルチャーをはじめ親しみを感じる背景があるとはいえ、やはり、翻訳家の力によるものでしょう。(残雪『突囲表演』を読んでいる最中の夫も、しきりと翻訳の巧さを口にしています)

 

目次

「ラス・メニ―ナス」

  小説のタイトルとこの章のタイトルのつながりが自然に浮かび上がる。

  詩を書いていたという著者独特の文体のむこうで静かに流れる曲が実に

  しっくりきます。

「ムービースター」

  「僕」の越しかた、母と父、ある家族の肖像。ひとり暮らしはじまる。

「僕が、初めてあなたの顔を見たとき」

  小説家になりたくて数編書いてみる「僕」、アルバイト先の人間関係。

「ケンタッキーチキン」

  このタイトルを見たとき、フライドが抜けてるじゃないか!と思いまし

  たが・・・・。

「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ」

  「僕」にとってのルーシー、「彼女」との距離と敬語、クラブ結成。

  ヨハンと「僕」の共通性とへだたり。

「冬、木にかかったオレンジの太陽」

  映画、デート、だんだんわかってくる「彼女」の過去とくらし。

  *1895年10月8日に起きた乙未(いつび)事変。

  閔妃(李氏朝鮮第26代高宗の正妃、明成皇后)の暗殺現場、景福宮に

  ある乾清宮が出てきます。この時はまだ日本支配の名残である旧朝鮮総督

  府の建物が残され、今ほど整備されていなかったもよう。

「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」

  誕生日プレゼント、特別なクリスマス、遊園地。

  「彼女」の隠されていた気持ち。シューベルトの「鱒」。

 

1980年代のうぶで覚束ない恋の行方、昨日読んだのはここまで、続きはまた。

 

あれこれ聴いてみたけど、この小説を読むのにいちばんピンときたのは 

務川慧悟さんの演奏でした 2022年

 

ラヴェルがインスパイアされた、ベラスケス描く

マルガリータ・テレサ・デ・エスパーニャ(結婚のためのポートレート集)

 

紫式部の父為時(949~1029)が996年に越前の守に任じられたのは、漢詩文の才能を見込まれ、当時越前に漂着した宋の商人一行70名余りの交渉役としてだという説もあるようです。大河ドラマではどのように描かれていたかは知りませんが、為時は宋商人と意気投合して漢詩のやり取りをしています。

 

『宋史』日本国の条では、第2代の太宗(趙匡義)のときに朝貢した僧奝然(ちょうねん)など遣宋使の漢文力を高く評価しています。

1002年第3代真宗の項には、福建省の海賈(かいこ:海商)周世昌が海難で日本に漂着したあと日本人を連れて帰国、日本人(為時)と交わした漢詩を持って謁見した、という記事があります。漢詩の感想は「詞甚雕刻膚浅無所取=ことば甚だ雕刻(ちょうこく)すれども膚浅(ふせん)にして取る所無し」(大意:その詩句はなかなか凝ってはいたが、薄っぺらで取り柄が無かった)とばっさり。

美辞麗句で飾られた詩より、蘇軾(自然詠)や欧陽脩(質実剛健)、黄庭堅(リアリズム)などの詩風が好まれた時代を反映した感想のようです。時代の今に遅れた、昔ながらの美文調の漢詩が主流だった日本の文化事情がうかがえますね。

 *( )内はそれぞれの詩人の作風の大雑把な“ワタクシ的まとめ”<(_ _)>

この謁見時には、おすべらかしと大量の絹織物を使う十二単など貴族女性の身なりの説明を受けたり、同行した日本人が持参した弓が使い物にならなかったのですが、長い間戦乱が無く武闘訓練の必要が無かったからとの答えに納得したようです。

 *このほかにも『宋史』では、日本では天皇はじめ官僚・貴族たちも戦乱を

  経ず連綿と続いていることに感心しています(政争までは言及していない)。

13日(木)は『古事記』講座の日。講座開始から1年余り、ようやく上巻(かみつまき)も後半になって、これまで大国主神の事績と系譜が語られてきました。大国主神は大和の三輪山に大物主神(おおものぬしのかみ)を祀って国造りの役目を終えました。

須佐之男命の子孫は大きく二つに分かれていて、そのうちの一つが大国主神系、もう一つが大年神(おおとしのかみ)に連なる系譜です。大年神が生んだ神々の名は、大国御霊神(おおくにみたまのかみ)以下五柱、大香山戸臣神(おおかぐやまとおみのかみ)以下二柱、次に九柱の神を生み、あわせて十六柱とあるのですが、実は最後に娶った天知迦流美豆比売(あまちかるみずひめ)との間には十柱の名が書かれているのです。

研究者の中には苦肉の策として重複している説を採る方もいらっしゃいますし、記述の矛盾を無視する(全然触れない)方もいらして、シロウトとしてはなんとかして欲しいのですが・・・。

神統譜と照らし合わせると庭津日神(にわつひのかみ:庭=農耕祭祀の場の神霊化)が欠けていました。ニワさんは11番目の子にあたるのに、どうして無視されたのでしょう?講座の先生は筆写する時に数え違っただけなのではないか、と云っていましたけど、う~ん、気になるゎ。

 

さて、ニワさんのすぐ上のお兄様が大山咋神(おおやまくいのかみ)またの名、山末之大主神(やますえのおおぬしのかみ)で、山頂の境界を示す大きな棒杙を意味します。鎮座されているのは近江国の日枝山(比叡山)で、京都・松尾に鎮座して鳴鏑(なりかぶら)を持つのも同じ神です。全国にある山王さん(日枝/日吉神社)の総本営にあたります。

山王さんといえば、わらべ歌にも歌われる“赤いおべべが大好きなお猿さん”を思い浮かべませんか?尾張の日吉神社に祈願して生まれたので幼名を日吉丸といったとも伝えられる秀吉は、サルと呼ばれていました。山王さんといえばお使いの神猿、というわけで秀吉のニックネームは、外見プラス幼名からの連想もあるのかもしれません。

比叡山に延暦寺を建立した時に、最澄が大山咋神と大物主神を延暦寺の守護神として祀ってから山王信仰が始まったと云われていますが、サルとの関りは諸説があって不確かです。

韓流ドラマを多く放送しているCSチャンネルで見たのは

カチンコ「僕の特別な兄弟」 2018年 韓国 (日本公開は2022年)

 

脊髄に障がいのあるカン・セハ(シン・ハギュン)と、知的障がいがあって水泳のうまいパク・トング(イ・ガンス)は少年のときから施設「責任の家」で育ち、兄弟のような関係を築きます。

施設を運営していたパク神父が亡くなり、収容者は障がいの性質によって離れ離れに暮らすよう役所から勧告されます。なんとか一緒に暮らせるように役所に働きかけますが、決定を動かすことはできません。そこで、みんなで暮らす資金を稼ごうと、優勝賞金を狙ってトングが競技会に参加します。ゴール目前で立ち上がってしまったトング。全員で暮らすという願いは頓挫しますが、辛うじてセハとトングは一緒に暮らせるようになります。そこへ現れたのが20年音信不通だったトングの母親です。生活に困窮していた母親は、水泳が何より好きなトングをプールに置き去りにした過去がありました。トングの引き取りをめぐって裁判を起こし、勝訴したのが母親でした。

・・・・・なぜ再びセハとトングの生活が始まるのか、施設の介護の様子、遠足の日にセハが川に落ちたのはどういう事情があったのか、競技の途中でトングが立ち上がるのはなぜかなど、説明することができないトングの過去や心情が徐々に明かされてゆきます。

この映画は実話に基づいているそうです。

 

偽物めいたパク神父のうさん臭さとか、日本同様杓子定規なお役所仕事ぶり、施設の継続のためにセハが考えた詐欺すれすれのサイドビジネス、誠実さや善意は感じられるものの、トングの成長過程を見ていない母親(+新しい家族)の対応のずれ・・・などを、情感に訴えたりせずに、むしろ笑える場面などを挟んで思いのほかあっさりと描かれ、押し付けがましい感動作になっていませんでした。お薦めです。

 

少年時代を演じた子役が達者なうえに成人後のふたりによく似た雰囲気だったし、プールでアルバイトをしていてトングを指導することになるミヒョン(イ・ソム)の美しい泳ぎも見どころでした(本人?)。

韓国の演劇事情を知らないので、俳優は、かろうじてイ・ガンスというお名前だけは聞いたことがあるという程度です。

 

少年時代の部分

 

リブログしたのは、ユダヤ人たちが強制収容所で子どもたちを守ろうとして展開した活動の一部です。ガザのパレスチナ人とその協力者も同じような試みを続けていました。しかし、土地を追われ家を失って、生き延びることすら危うくなっています。

イスラエル政府が目指しているのがジェノサイドにしか見えません。

 

ダニエル・バレンボイムとエドワード・サイード(エルサレム出身のパレスチナ人)がイスラエルとパレスチナの若者を集めて立ち上げたウェスト=イースタン・ディヴァン管弦楽団*とバレンボイム・サイード・アカデミー(どちらも本拠はベルリン)や、イスラエル占領地域で開校しているパレスチナ人とユダヤ人がともに学ぶ学校などが目指した、分離ではなく相互理解をの精神を私たちの《関心領域》の内側に常に意識しているようにしたいと思います。

これらの活動がまだ続いているのかどうか、特に占領地域で開校していた学校は以前から妨害にさらされていたのでとても心配です。

  *このユース・オーケストラをモデルにした「クレッシェンド 音楽の架け橋」

   という映画があります(2022年公開)。

 

リブログ中に触れた「テレジン収容所の子どもの絵」が発見された儀式の家

プラハ・旧ゲットーにある円塔のある石造りの家が儀式の家

儀式の家の背後や、小路の左側・塀に囲まれた木々の茂る区域がユダヤ人墓地

 

絵は、書き損じの事務用紙・フールスキャップなどの皺を伸ばして描かれました

「クレッシェンド」予告編