『中国・SF・革命』 河出書房新社 2020年 初版
雑誌の特集に、新しく訳されたものと書き下ろしを加えた短編とエッセイあわせて12編です。
「トラストレス」 ケン・リュウ 古沢嘉道訳 (初訳)
この作品は今どきの用語がさっぱりわからず、まさしく作者が「・・・のよ
うなオールドタイマーたちは、この新しいプログラミング言語の使い方をけ
っして理解しない」と表現しているような状態でした(^▽^;) 掌編です。
たとえば
リーガルイーズ、スマートコントラクト、テスト・スイート、バイトコード
トラスト・オン・クレジット、ブロックチェーン・・・etc
✱英語(カタカナ)から辛うじて推測できるけれど、改めて調べてみたことば
リーガルイーズ:契約書など法律に関する文書を専門家に確認してもらうこと
トラストレス:ブロックチェーン技術を使って、特定の誰かを信用しなくても
安全な取引ができるという暗号通貨上の概念
スマートコントラクト:予め定められた条件が満たされると、自動的に契約
内容が実行されるプログラム
ちょっと笑えたのは《ウーバー陪審員が“スクーターに乗って1日中走り回っ
て”スマートコントラクトの前提条件に裁定を下す》という箇所(近頃さっぱ
り見なくなりましたね、ウーバーイーツのバイク)。
ともあれ、劣悪な住居の管理人を相手に、スマートコントラクトを使って賃
借人に有利なように変えようとする“わたし”と、住人たちとのコンピュータ・
コードを使った共闘作戦、成功してほしいゎ。
「改暦」 柞刈湯葉(いすかりゆば) (書き下ろし)
中国を制覇したクビライ・カーンが大都に集めた技術者・職人のなかに、占
星術師の李復圭も入っていました。天変地異は、天意が皇帝の政の善し悪し
に対する裁定だという考えから、予想された日食が起きないのは皇帝の善政
の証というわけで、事なかれ主義の天文学者たちは日食を多めに予想して皇
帝の機嫌を損ねないようにしていました。モンゴルの版図が拡がり、天意を
反映しない回教徒の正確な暦法が採用されて・・・。
「阿房宮」 郝景芳(ハオ・ジンファン) 及川茜(初訳)
阿達(アダー)は両親の遺言に従って散骨するために海に漕ぎ出し、辿り着
いた小島の洞穴で兵馬俑のような像を見つけました。秦時代の古物と一緒に
持ち帰り、唯一手元に置いた始皇帝像に導かれ阿房宮をめぐります。
始皇帝の真意を理解した阿達は、秦陵の秘密の通路を明かしませんでした。
「移民の味」 大谷晶 「文芸」2020年春季号
そう遠くない将来の、日本に移民した華人の話かと思ったら・・・!
確かに、餃子の描写で気づくべきでした。
「村長が死んだ」 閻連科 谷川毅訳 ー〃ー
寒村の習俗、地方政治のシステム、改革開放前の農村の食糧割り当て制度な
ど、今回も閻連科ならではの描写は、伝承奇譚のような一種の荒々しさを感
じます。
「ツォンパントリ」 佐藤究(さとうきわむ)ー〃ー
晩年の孫文、国共合作に合わせるように1924年10月に神戸で行われた「大ア
ジア主義」の演説にまつわる物語です。
神戸に向かった船中で孫文は異様な幻想にとらわれます。
次第に熱を帯びて行く孫文の演説と、戴季陶(ダイ・ジータオ)の通訳文は
分裂して行きます。中国語がわかる人も混じっているはずの聴衆は、引き裂
かれた講演に熱心に聞き入るばかり。ツォンパントリとはメキシコの神殿に
ある髑髏の壁のこと。二度の大戦のあとに起きる戦争を語り、孫文は演説を
「帝国主義のあとに資本主義の悪夢がやってきて、麻薬密売人の悪果が実り残
虐な花が咲く」と結びました。
1924年といえば、旧居留地や南京町に近い三宮に住んでいた父は8歳でした。
オリエンタルホテルにも近いし、孫文来日時の歓迎ぶりを見聞きしたことで
しょう。子ども時代の話をもっと聞いておけばよかったと思います。
「最初の恋」 上田岳弘(うえだたかひろ) ー〃ー
“僕”の名前、満は祖父が満州にちなんで名づけました。“僕”は日・韓・中プ
ロジェクトのため長春にやってきます。名前と出張先、満州という今は無い
地名から想起されるとりとめのないエピソード。
独特の情趣が魅力的な掌編です。
「盤古」 樋口恭介 ー〃ー
中国の民間伝承に伝わる創世神が盤古です。
この物語では『千怪経』(『山海経(せんがいきょう)』を指すらしい)、扶想
(扶桑)の樹と僧慧深(けいしん=『梁書』「東夷諸戎」の扶桑国の項に、扶
桑国から来たと記録されている僧侶の名)の逸話を取り込んでいます。
言語生物学者の“僕”は今から100年以上前に(“僕”には読めない日本語で)書
かれた曾祖父の6年間の日記を見つけます。
上海の古書店で『千怪経』を購入した曾祖父は、神話の樹が実在するという
女学生(“僕”の曾祖母)の故郷へ行き、その果実を食べ、原初のことばを獲
得します。曾祖父の書いたものと“僕”の報告書が重なって溶けあいます。
盤古が表すものとはなにか、究極の言語とはなにか、言葉そのものになると
はどういうことか・・・などを考えると、この作品は『三体』(劉慈欣)への
オマージュのひとつではないかと思われてきます。
もっとも、プロキシマ・ケンタウリ人が登場するせいかもしれませんが・・。
[エッセイ](タイトルのみ、内容は省略)
「食う男」 イーユン・リー 篠森ゆり子訳 ー〃ー
「存在は無視するくせに、私たちのふりをする彼ら」
ジェニー・ザン 小澤身和子訳 ー〃ー
「ルポ『三体』が変えた中国」 藤井太洋 ー〃ー
「『三体』以前と以後」 立原透耶 ー〃ー
まだ読んだことのなかった日本人作家もいて、SFのすそ野が広がりました。
