『つまみぐい文学食堂』(柴田元幸)の冒頭「メニューについて」で言及しているO・ヘンリーでは、「アラカルトの春」にある読みにくいメニューを21枚タイプするサラの仕事を紹介し、悪くない時代と書きながら、悪くないと思えるのは《セピア色のよき時代》を描き出すO・ヘンリーの描写によると留保しています。

O・ヘンリーについては以下のような揺れる本音がちらり。

曰く:レイモンド・カーヴァーのシビアな話を嫌って「O・ヘンリーみたいに心温

   まる話が読みたい」という学生には「ふざけんなばかやろう」と言いたくな

   り(✱うん、私も言いたい)、一方で文学青年タイプに「ああいう浅薄なの

   は・・・」とか言われると「じゃあおめえは深いのかよ」と擁護したくなる

   (✱私ならツッコむけれど、擁護しない)存在なのだとか。

   食べ物に譬えて、読む人一人ひとりいうことが違うポー(ラーメン)とか、

   難解かつ高尚過ぎて引け目七分の反感をつい感じてしまうヘンリー・ジェー

   ムズ(フランス料理)にくらべ、馬鹿にするけどけっこう美味いファースト

   フードのようなのがO・ヘンリーだそうです。例にモスバーガーのきんぴら

   ライスバーガーを挙げてますけど・・・

   (✱ごめん、たとえライスバーガーだろうと、美味しいとは思えない私)

曰く:O・ヘンリーの年齢観、若さに甘いことを指摘して、『賢者の贈りもの』の

   若夫婦が互いの愚かさをののしり合うような結末にしないで、若さが過ぎ

   かけた人間は容赦なくコケにしていると云っています。

   たしかに!もう若くはない女性への厳しさはどうでしょう。

多くの読者が“心温まる話”だと受け止める『最後の一葉』にしても、世をすねた老いた画家が描いた最後の傑作が、レンガ壁に残る蔦の葉だと登場人物に云わせています(一言多い!)。でも、その真相を聞かされたジョンジーはふたたび寝込むことになりはしなかったでしょうか?

・・・なんてことを思うと、私はやっぱりO・ヘンリーに素直になれない。

 

1998年から札響のコンサートマスターだった大平まゆみさんは、2019年にALS(筋萎縮性側索硬化症)と診断され、以来療養につとめていらっしゃいます。

長い沈黙を破って、地元紙に隔月で連載を始めることを発表しました。26日は「まなざしのハーモニー」と題する連載の第1回目でした。ALSの経過にも触れています。気管切開で声を失う前に、すでに声が出なかったと書かれています。体調を崩すかなり前から声のかすれが治らないとおっしゃっていたことを思い出しました。

目の動きによる視線入力で原稿を書き、声再生ソフトを使ってラジオ番組にも出演するなど活動の場も一歩一歩広げているようです。大平さんの活動が少しでも長く続きますように。

 

2018年10月に開かれた銀行ロビーでのミニリサイタル 

 

今朝は地震速報に起こされましたが、時間は短く揺れはほとんど感じませんでした。

同じ札幌市内でも住んでいる地域、家の形状などで体感がずいぶん違うようです。

本『つまみ食い文学食堂』 柴田元幸 角川書店 2006年 初版

 

作品数は140タイトル、作家は104名、食材+メニューは346品目!!と帯にうたわれたエッセイは、「本の旅人」に2年余り連載されたものです。

柴田センセのワサビの利いた口調、吉野朔美さんの辛さ控えめ+渋み+愉快な挿絵が相俟って愉しめます。

アボカドとアボガドロ定数ー勘違いの理由「Be Vegetarian」

子どもの頃欧米で書かれたおはなしを読みながら未知の食べ物を空想する話を聞いたけれど、そういうことが言えるのは“大草原のナントカとか赤毛のカントカとかを読んで育った育ちのいい人”だという柴田センセ「不在の食物」

ジャガイモの芽は英語でもeyeという「根菜類等」

渋谷の「くじら屋」には私も一度だけ行ったことがあったゎ「鯨の回想風」

ヴォーカンソンがつくった、食べて消化し排泄までするからくり鴨の話は、つい先日TVで見たばかりの究極のロボット(消化・吸収して食物から活動エネルギーを得る)研究を思い出しました「禽類」

人を食った話ばかり書くドナルド・バーセルミに会った金関寿夫は、彼が人を食わなかったことに違和感を示したという。金関先生もなかなか(最高!)だわ「人等」

マッチ売りの少女が見る幻に出てくる、背中にナイフとフォークを刺したままよたよた歩くガチョウ「クリスマス特別メニュー」

roomの意味。そういえば“どうぞ、お掛けになれますよ”とか“少し詰めていただけません?”という言い回しを習ったっけ「一杯のお茶を持てば」

リチャード・ブローティガンの翻訳といえば藤本和子さんですが、夫についてイスラエルでヘブライ語を学んだ経験を書いた『砂漠の教室』(ヘブライ語学校あるあるが満載)も面白かった「ブローティガンの犬」

エデンの園に実っていた智慧の実がリンゴでなければならない理由「リンゴはなんにも言わないけれど」

などなど正餐に従って、Menu・Aors d'Oeuvre・Fish・Meat・Specials・Beverages

Dessertsに分けて語られた食べ物に関する文学の数々、敬遠して読まなかった作品も知らなかった作品も、手に取ってみようかなぁ、という気にさせるシェフ(店主)柴田センセの腕は確かです。

  dessertsで思い出したこと、某ドラマで先生役を演じて名を挙げたT・Tが

  とあるラジオ番組で、得意そうに砂漠とデザートが同じだ!と恥をさらして

  いたっけ。辞書はちゃんとひきましょうね。

あとがき対談(店主:柴田元幸 ゲスト:吉野朔美 一日従業員:都甲幸治)

INDEX①・INDEX②

 

4月24日の「ベスト・オブ・クラシック」は、2025年9月14日にドイツ・ノイグランデングルクの聖マリエン・コンサート教会で開かれた演奏会でした。

 

オーケストラ:ハノーファー北ドイツ放送フィルハーモニー管弦楽団

指揮:スタニスラフ・コチャノフスキー

チェロ独奏:アナスタシア・コベキナ*

 

ヴォーン・ウィリアムズ:「タリスの主題による幻想曲」

エドワード・エルガー:「チェロ協奏曲」*

ソリストアンコール

ジョヴァンニ・ソッリマ:「ファンダンゴ(ボッケリーニへのオマージュ)」*

シューマン:「交響曲 第3番 「ライン」」

ほかにコベキナのCDから

バッハ:「無伴奏チェロ組曲 第6番」より「サラバンド」

 

コベキナは1994年ロシアのエカテリンブルグに生まれた若いチェリストです。

エルガーの「チェロ協奏曲」と云えば何といってもジャクリーヌ・デュ・プレですが、コベキナの演奏はとても新鮮で、久しぶりにワクワクしました。

コベキナ自身の声も入った「ファンダンゴ」も面白く聴きました。

 

ちょっと古い録音ですが コベキナによる エルガー:「チェロ協奏曲」

アレクサンドル・ブロック指揮 ジョルジュ・エネスコ・フィル

         2016年 Romanian Athenaeum Hall ルーマニア・ブカレスト 

 

海底トンネルを通って函館まで延伸したものの、物理的困難(地形・地質の関係でトンネル工事が進まない)、社会・経済状況の変化による困難(人材・資材不足)などで、利用者+事業主体(JR)の便益を事業費で割った費用対効果の当初予測を大幅に割り込み、事業全体では0.6しか見込めず中止すべき案件と発表されました。

どういう算出基準を適用したのか、当初予測では1.1と辛うじて利益があると計算されていました。それが、工事が始まって間もなくからトントンにもならない0.9と修正されていたのです。

それでも、鉄道運輸機構は1日も早い開業を目指すなどと寝惚けたことを云っており、完成までと完成後も膨大な赤字を出し続けることがはっきりしているこの事業をやめる気は無いらしい。で、その赤字を背負うのは誰なのでしょう?

さて、費用対効果を求めるにはほかにも要素はあります。

環境等改善便益・建設費・その他の費用・残存価値・消費税・社会的割引率に、開業後30年間の収支採算性や社会経済指標(人口・実質経済成長率・物価上昇)も勘案しなければなりません。

鉄オタさんと観光客くらいしか見込めない利用者です。早さと利便性を考えると、本州との往来なら航空機を選ぶでしょう。新幹線が北海道にもたらすものは、雇用?経済効果?今のうちに中止した方がオクニの為ではないかと思いますけど。

毎年出るとわかっている赤字の試算額も公表して欲しいものです。

なお、北海道の人口は2030年は約470万人、2050年には約380万人と減少し続けます。ということは社会経済指標で示されるプラス要素は考えられません。

 

農業王国の北海道にとって、大量の農産物をダイレクトに首都圏や大消費地などに運べるなどの便益も期待できない新幹線は、遺物としての残存価値くらいではないかなどと、いやぁな予想をしてしまいます。今でさえ、累積赤字を理由に地域を結ぶ路線をぞくぞく廃止しているJR、鉄路の行く末は・・・鉄オタさんたちの聖地のひとつ、今は崩壊するだけの旧国鉄士幌線、糠平湖のタウシュベツ川橋梁のような姿をさらすのではないかと想像してしまいます(川霧の向こうに見せる姿など、あれはあれで美しいまぼろし、夢幻能のようですけど)。

函館~札幌間はトンネルだらけで車窓の景色を楽しめず、ましてや、開通間もないころの青函トンネルを見学したことがある私は、海峡底とトンネル天井との薄さが恐ろしくて、(巨大地震が想定される昨今)耐震性の保証があるとしても利用する気にはなれません。

 

崩壊するタウシュベツ川橋梁 1年前のニュースです

 

テレビ「DUST」

 

2010年バスタブに横たわって見つかった被害女性、残されたHBの鉛筆は13年前に迷宮入りした殺人事件によく似ていました。

その後も13年前の連続殺人事件を模倣するかのような女性を狙った殺人がおきます。

13年前に捜査に当たったヴェテラン刑事は今は図書館の警備係となり、当時の新米刑事陸(ルー)が今回はチーフになって指揮をとります。かつて陸は欧米の進んだ犯罪捜査理論による新しい視点を主張したのですが、あまり顧みられることはありませんでした。今回の事件は13年前の事件と結びついていると確信した陸は、かつての先輩を捜査にひきこみます。陸には娘がいますが、彼女は13年前の被害女性のひとりを母とする少女でした。ある日娘はスニーカーを見て怯えます。陸は犯人が履いていたものと確信するのですが、それはどこにでもあるありふれたもので決め手にはなりませんでした。

このように、犯人を指し示す物証は僅かでいずれも手詰まりとなります。

スケッチ、被害者が取らされていたポーズ、HBの意味、襲撃された協力者、DNAの不一致、図書貸出しカード・・・監視カメラから絞られる容疑者を追ううちに、過去の事件の容疑者との接点が次第に浮かびます。

最終回は、それまでの緊迫感がはぐらかされたようで、ちょっと脱力してしまいました。捻じ曲がった犯人像は想定内で、犯罪にいたるまでの動機や過程や(ミソジニーに結び付けた?)犯人像の解釈はありきたりに思えました。

捜査陣がたどり着いたのは、被害者のポーズとヒエロニムス・ボスの「快楽の園」の場面の類似でした。どれも取り上げられることがあまりない部分で、被害者の状態を見ても“あの場面ね”とすぐ結び付けられず、なぜ犯人は“そのポーズ”を被害者に取らせたのか、どうもピンときませんでした。

プラド美術館で、娘と舐めるように見た「快楽の園」の各パネルを思い浮かべます。プロテスタント系の学校に通っていた娘は、カソリックの教義とかけ離れ、ぶっ飛んだイメージを繰り出すボスの画風がえらく気に入ったようです。

 

 

●●●@plala.or.jpで利用していたインターネットサーヴィスは2026年から移行が始まり、2年後の3月末には完全にインターネットが使えなくなるとお知らせがありました。間際でドタバタするのは間違いのもと、早めですが今日引越しを済ませました。

新しいアドレスにしっかりメールが届いたのを確認して作業を終わりました。

plalaの方は様子を見てから解約する予定です。

 

本『観月の夜』 ロバート・ファン・ヒューリック 和爾桃子訳

                     ハヤカワ・ポケミス 2003年 初版

これも狄(ディー)判事第3の任地蒲陽(プーヤン)県在任時代の物語です。

お隣の金華(チンファ)県知事を務める友人の羅寛充(ルオクァンチュン)の招待を受けて金華の官邸に滞在したときの事件が語られます。

詩の大家である、蝦蟇のような風貌の魯(ルー)導師、元国士監祭酒(文部科学大臣+東大総長のような立場)の邵(シャオ)博士、張(チャン)郎中(各省庁の次官補クラス)、殺人の容疑を掛けられているものの条件付きで猶予されている閨秀詩人の幽蘭なども招かれ、中秋節の宴がもたれます。

折しも市中では茶商のもとに下宿していた宋(スン)挙人(無位無冠で進士受験候補者)が殺害され、続いて宴で踊りを披露するはずだった舞妓も殺されます。休養のはずが、なし崩しに捜査にあたることになる(格好の暇つぶしと心得ている)判事。

古くから伝わる「玄胡行」という曲、キツネがたむろする荒れ地の玄胡祠、そこに居ついている狐憑きの少女、18年前の王族も絡んだ謀叛の告発と、幽蘭を告発する文書を調べた判事は、手蹟は不明なものの文章の筋から見て2通の告発書に共通点を見つけます。宋の縁戚を調べるうちに被害者と加害者の繋がりがおぼろげに浮かぶ中、鍵となる狐憑きの少女は狂犬病で亡くなり、手掛かりを失ったかに見えますが。

 

著者あとがきによると、幽蘭のモデルは、9世紀半ばに実在した名高い閨秀詩人の魚玄機です。妓女で、女中を殺した廉で処刑されたのも史実とのこと。

また、儒・道・仏教の受容の度合いは、科挙で登用されている官人の多くは儒教を奉じており、道教も良しとされていましたが、仏教は長い間受け入れられなかったようです。狄判事も折に触れ邪教のように評しています*。7世紀になると禅が新たに伝えられ、知識層に広く浸透しました。魯導師は禅僧とのこと、どおりで言うこと成すこと抽象的で高踏的でした。

  *狄仁傑を重用した武則天は道教を排し仏教を第一にしました(仏先道後)。

   自身を弥勒菩薩の生まれ変わりと称し、巨大仏像(建立中に倒壊)を建立、

   河南省洛陽南郊の龍門石窟には、自身に似せた(とされる)石仏を残して

   います。ヒューリックのシリーズには出てきませんが、狄仁傑を主人公と

   するドラマでは劇的効果を狙ってか、天堂建設や巨大仏像崩壊シーンも取

   り上げられたりしています。

訳者あとがきの説明と補足で、正倉院に残る世界最古の楽譜「幽蘭琴譜」に触れています。ヒューリックはこれについて論文を著しました。訳者はこの譜に因んで詩人の名ユーランに幽蘭の字を充てたのだそうです。狐の伝承については著者も訳者も触れています。中国人がいかに狐に親しんでいたかは『聊斎志異』を見ても良く分かります。日本でも、異類婚姻譚のひとつとして安倍晴明の母とされる葛の葉の例などもありますが、親しみ度合いは中国の比ではありません。

中国の官人(皇帝も)は詩人として書家としての能力も求められていました。だから有能な官吏に能書家が多いのですね。一説によると、見目の良さも人物評価の基礎だったそうで、遣唐使も、教養のほかに身長があり挙措が美しいことが選考基準になっていたらしい。大宝律令を携えて武則天に謁見した執節使(正使)粟田真人は、その教養の高さや衣冠の美しさに加え「容止(ものごし・ふるまい)温雅なり」と記され(『旧唐書』「日本」)、よほど印象に残ったものと思われます。

4月18、19日 札幌コンサートホール キタラ

 

ロビーコンサート

モーツアルト:「弦楽四重奏曲 第17番 狩り」より第1,4楽章

フルート:川口晃 オーボエ:浅原由香 ヴィオラ:櫨本朱音 

バスクラリネット:原田侑來

 

チャイコフスキー:幻想序曲「ハムレット」

  ー〃ー    「ロココの主題による変奏曲」*

アンコール

カタルーニャ民謡「鳥の歌」*

・・・・・・休憩・・・・・・

  ー〃ー    「交響曲 第5番」

 

指揮:      広上淳一

チェロ:     山崎伸子*

コンサートマスター:会田莉凡

 

オール・チャイコフスキー・プログラムです。

ソリスト+札響のアンコールによって忘れられない演奏会になりました。

 

1曲目は札響初演の幻想序曲「ハムレット」。

チャイコフスキーの幻想序曲といえば「ロメオとジュリエット」が真っ先に思い浮かびます。この曲も、ハムレットの死を表す最後の部分(葬送行進曲)が特に印象深く、心に残りました。

山崎伸子さんを迎えた「ロココ風」は最初の1音を聴いた瞬間から魅了されました。深くて豊かな音がホール中を満たし、あっという間の約20分。

素晴らしい音を聴かせてくれた楽器はヒエロニムス・アマティ(1641年製)です。

そしてアンコールに選ばれたのは、ピースピースと鳴くというカタルーニャの「鳥の歌」、これは広上さん指揮の札響絃楽器が寄り添うように演奏しました。

  この選曲を私は、今の世界のありさま、無茶な理由を押し付けて始めた理不

  尽な戦争・侵略・暴虐・独裁に対する抗議と受け取りました。

 

後半は踊り狂う広上さんが引っ張る力強い推進力でグイグイ進んだ「交響曲第5番」、こちらは力でねじ伏せられた感じです。

 

月に一度の食事会に夫が出かけたのを幸い、アニメ「薬屋のひとりごと」第2期の前半を見ました(第2期はほとんど見ていた)。

 

冬人(虫)夏草と毒キノコ(カエンタケ?絵と中毒症状がカエンタケを思わせるという指摘があります)に始まる宮中の陰謀が見えてきました。色覚異常を利用した進むべき扉の判定法、幼い娘を好む先帝、朽ちない亡骸と画材など、面白い題材はあるのですが、時代考証に無駄にウルサイ私が注目したのは、暗殺に使われた銃でした。

 

中国は火薬を発明した国ですからそれを武器として使った歴史は長く、北宋の頃からと云われています。陶器に火薬を詰めて手榴弾のように使ったようです。

まもなく竹筒に火薬と石を詰めた突火槍が作られ、青銅製の筒型手銃に発展したのは元の時代。それが交易を通してアラビアやインドへ伝わり西へと広まったようです。

そして、15世紀半ばにはヨーロッパで火縄式の銃がうまれ、1543年に種子島に伝わって、戦国時代におおいに利用されるわけです。17世紀にはさらに改良されたフリントロック式の銃ができました。

「薬屋のひとりごと」でなにかと猫猫(マオマオ)を傍に置きたがる(宦官の特徴を持たない)“宦官”壬氏が「狩り」の回で狙われます。その時の銃が(絵を見ると)このフリントロック式。

作中で「近ごろ改良された西方の武器」と云っていました。ということは時代も国名も架空ではあるものの、物語の舞台としては(漢族の王朝と思われるので)私は明朝末期を想像しています。江戸時代か!思っていたより近いじゃありませんか。

アニメでは天壇と思われる建物も見えます。天壇は明の第3代皇帝永楽帝時代の建造物ですから、やはり「薬屋のひとりごと」の時代は明代と考えて良さそうです。

そういえば、交易の荷にくっついて東の列島国から渡ってきて、近ごろ国内で繁殖しているという外来虫もいましたっけ(虫好き女官が猫猫に見せる)。

  ちなみに、倭寇の暗躍に手を焼いた明王朝は交易禁止令を繰り返し出してい

  ます。しかし密貿易のうま味は大きかったらしく、禁止令をかいくぐる輩は

  日・中・韓にまたがって絶えることは無かったようです。

  アニメとは関わりませんが、15世紀半ばに明に渡り、900日余りをかの地に

  滞在した臨済宗の僧侶笑雲(咲雲)瑞訢(しょううんずいきん)が残した

  『入唐記』(『笑雲入明記』平凡社東洋文庫798)にも、室町時代を通して倭寇

  に悩まされていた明朝の対外政策の揺れが描かれています。

 

と、まぁ、あい変らずアニメをネタに、重箱ならぬ後宮の隅をつつきながら面白がっています。

 

第2期予告編