『廊下に植えた林檎の木』 残雪 近藤直子・鷲巣益美訳 河出書房1995年初版
『突囲表演』と同じように脈絡のないイメージが次から次へと湧いてくる感じです。
『山海経(せんがいきょう)』は紀元前4~3世紀の地理書ですが、化外の地に
対するイメージの氾濫は神仙・妖怪のようなまことにケッタイな生き物を生
み出しました。
そして語り物から発達した伝奇小説、たとえば『水滸伝』『三国志演義』
『西遊記』や怪異譚を集めた『聊斎志異』、こうした物語が血肉となった感性
が、この短編集に結晶したかのようです(タイトル作は中編)。
日常の中にひょっこりと顔を出す異様なモノや異常現象が、まるでフツウのことのように描かれています。理屈に合わないところに惹かれました。
目次
帰り道
目をつぶっていても思い描くことができるほどよく知っている広々した草地。
草地に立つ家で、“わたし”はいつものようにあるじとお茶をしようと訪ねます。
ところがあるじは、今日は来るのが遅かった、家は平たんな草地ではなく断
崖の上にあって、裏の淵にのみこまれようとしている、というのです。
暗闇のなか、時の流れも場所の感覚も曖昧になって・・・。
*私には、覚えず捕われの身になってしまう『砂の女』の登場人物の昆虫採
集の男が浮かんできました。
黄菊の花に寄せる遐(はる)かな想い
(一)大きな楠の木に斧を振り回す老姜(ラオチャン)は、触れようとすると
虫が這い出てくる足を持っていたり、髪の毛からセロリの匂いがしたり、ろ
くろっ首だったり(*私が『山海経』を思い浮かべたのはこの描写から)、同
衾してみると頭だけだったり・・・、そんな老姜が失踪して、残ったのはセ
ロリとクマツヅラと菊の香りでした。
(二)一緒に夢を見た“わたし”と如姝(ルーシュ)。如姝は“わたし”をおいぼ
れと呼び、薔薇の花でいっぱいのはずのポケットの中には虫を詰め込んでい
て、夜な夜な鶴の夢を証明せよと迫ります。
*如姝が放った空気銃と、(一)で“わたし”が老姜に向って撃った空気銃はつ
ながっている?二人の少女のひとみで燃える黄菊の花の火とは何?
逢引
逢引のたびにもらう蠟紙細工のプレゼントを夫は箒でつつきまわします。
今日は、タクシーで無人島まで出かけたのに彼はいない。帰ろうとしてもタ
クシーは無く、そもそも島までタクシーでどうやって来たのか。
日の出とともに消え行くふたりは、夕暮れ、夫々の家の窓をあけて夕靄を入れ、
遐かな想いに浸ります。
汚水の上の石鹸の泡
母が溶けて、たらい一杯分の石鹸水になってしまった。
*私が一番気に入ったのはこの作品。
廊下に植えた林檎の木
“ぼく”の家族は両親と妹とその婚約者(医者)の5人。なんだか意気のあがら
ない発育不全の“ぼく”、やたら強い三妹(サンメイ)、その婚約者で天井に張
り付いたりする自称医者、ときどき緑山に家出をする父、太陽の中へ歩いて
行ったことがある母。5人が語る奇天烈な物語。
*ブルガーコフ『巨匠とマルガリータ』と、どっこいどっこいのシッチャカ
メッチャカぶり(←誉め言葉よ)です。
小さな金の牛
一 我が家の秘密
二 三妹が悩みを訴える
三 探偵(もしくは医者)の冗長でつまらない話
四 母のたわごと
五 ぼくの最初の夢
六 ぼくの第二の夢
七 ぼくの第三の夢
八 ぼくの第四の夢
九 ぼくの最後の夢
訳者あとがき