『観月の夜』 ロバート・ファン・ヒューリック 和爾桃子訳
ハヤカワ・ポケミス 2003年 初版
これも狄(ディー)判事第3の任地蒲陽(プーヤン)県在任時代の物語です。
お隣の金華(チンファ)県知事を務める友人の羅寛充(ルオクァンチュン)の招待を受けて金華の官邸に滞在したときの事件が語られます。
詩の大家である、蝦蟇のような風貌の魯(ルー)導師、元国士監祭酒(文部科学大臣+東大総長のような立場)の邵(シャオ)博士、張(チャン)郎中(各省庁の次官補クラス)、殺人の容疑を掛けられているものの条件付きで猶予されている閨秀詩人の幽蘭なども招かれ、中秋節の宴がもたれます。
折しも市中では茶商のもとに下宿していた宋(スン)挙人(無位無冠で進士受験候補者)が殺害され、続いて宴で踊りを披露するはずだった舞妓も殺されます。休養のはずが、なし崩しに捜査にあたることになる(格好の暇つぶしと心得ている)判事。
古くから伝わる「玄胡行」という曲、キツネがたむろする荒れ地の玄胡祠、そこに居ついている狐憑きの少女、18年前の王族も絡んだ謀叛の告発と、幽蘭を告発する文書を調べた判事は、手蹟は不明なものの文章の筋から見て2通の告発書に共通点を見つけます。宋の縁戚を調べるうちに被害者と加害者の繋がりがおぼろげに浮かぶ中、鍵となる狐憑きの少女は狂犬病で亡くなり、手掛かりを失ったかに見えますが。
著者あとがきによると、幽蘭のモデルは、9世紀半ばに実在した名高い閨秀詩人の魚玄機です。妓女で、女中を殺した廉で処刑されたのも史実とのこと。
また、儒・道・仏教の受容の度合いは、科挙で登用されている官人の多くは儒教を奉じており、道教も良しとされていましたが、仏教は長い間受け入れられなかったようです。狄判事も折に触れ邪教のように評しています*。7世紀になると禅が新たに伝えられ、知識層に広く浸透しました。魯導師は禅僧とのこと、どおりで言うこと成すこと抽象的で高踏的でした。
*狄仁傑を重用した武則天は道教を排し仏教を第一にしました(仏先道後)。
自身を弥勒菩薩の生まれ変わりと称し、巨大仏像(建立中に倒壊)を建立、
河南省洛陽南郊の龍門石窟には、自身に似せた(とされる)石仏を残して
います。ヒューリックのシリーズには出てきませんが、狄仁傑を主人公と
するドラマでは劇的効果を狙ってか、天堂建設や巨大仏像崩壊シーンも取
り上げられたりしています。
訳者あとがきの説明と補足で、正倉院に残る世界最古の楽譜「幽蘭琴譜」に触れています。ヒューリックはこれについて論文を著しました。訳者はこの譜に因んで詩人の名ユーランに幽蘭の字を充てたのだそうです。狐の伝承については著者も訳者も触れています。中国人がいかに狐に親しんでいたかは『聊斎志異』を見ても良く分かります。日本でも、異類婚姻譚のひとつとして安倍晴明の母とされる葛の葉の例などもありますが、親しみ度合いは中国の比ではありません。
中国の官人(皇帝も)は詩人として書家としての能力も求められていました。だから有能な官吏に能書家が多いのですね。一説によると、見目の良さも人物評価の基礎だったそうで、遣唐使も、教養のほかに身長があり挙措が美しいことが選考基準になっていたらしい。大宝律令を携えて武則天に謁見した執節使(正使)粟田真人は、その教養の高さや衣冠の美しさに加え「容止(ものごし・ふるまい)温雅なり」と記され(『旧唐書』「日本」)、よほど印象に残ったものと思われます。