『折りたたみ北京』 ケン・リュウ編 ハヤカワ文庫SF 2019年 第2刷
文庫化されてから1ヶ月で2刷と、これも人気のほどがうかがえます。
ハヤカワの100冊にも選ばれています。
短編集のタイトルは郝景芳のヒューゴー賞受賞作。アンソロジーとしては『金色昔日』よりこちらのほうが先に刊行されています。
目次
序文 中国の夢(チャイナ・ドリームズ) ケン・リュウ 古沢嘉道訳
陳楸帆(チェン・チウファン)中原尚哉訳
「鼠年」:毛皮で外貨を獲得するために遺伝子操作された鼠が工場から逃げ出した。
鼠駆除隊は成績を上げ就職先を確保して早く除隊したい学生で構成されている。
敵との攻防は先が見えず、無駄に死んでゆく仲間もでる。新兵いじめのような
描写、戦闘中の精神の在りよう、ネオラットの描写など迫真的でした。
そして、この結末は予想外(誉め言葉です)。
全く違いますが医学研究所から逃げ出したねずみが主人公の『フリスビーおば
さんとニムの家ねずみ』(ロバート・C・オブライエン)を思い出しました。
「麗江(リージャン)の魚」:
やりてのビジネスマンだった“僕”は心因性神経機能障害と診断され、観光地と
して有名なナシ族の街・麗江で2週間の静養にはいる。
これを読むと、雲南省の山間に連綿と伝えられてきたナシ族文化の行く末が
気になります。
「沙嘴(シャーズイ)の花」:
深圳湾にのぞむ村は、建設ブームにあやかろうと補償金目当てで狭い土地に高
層ビルを建てるようになる。政府の土地収用は頓挫し、ビル群はフェンスで囲
まれた経済特区深圳からあぶれた人々の住処となる。技術者だった“僕”は職を
失い、沙嘴村に住み始める。
現代の先端技術をまぶした犯罪小説の味わいが印象的です。
夏茄(シア・ジャ)中原尚哉訳
「百鬼夜行街」:蘭若寺と老鬼樹のある百鬼夜行街。
啓蟄・大暑・寒露・冬至の掌編からなる幽霊の街の最後の年を描く。
鋼鉄の蜘蛛のまえでは無力な幽霊たちの哀しみが伝わってきます。
「童童(トントン)の夏」:
怪我をしたおじいちゃんと同居することになった童童一家は、介護用ロボット
の試作品阿福(アーフー)を借りることになる。阿福の仕組みを通して知り合っ
た大学生の王おじさん、おじいちゃんの将棋仲間の趙(チャオ)おじいちゃん。
本作は著者の祖父にささげられました。
彼らが見せてくれた老人たちのの生き生きした暮らしぶりに共感しました。
「龍馬夜行」:ジャッキー・チェンの映画「ライド・オン」で気になって調べた言
葉“龍馬精神”、この言葉に鼓舞されたかのように老いた龍馬が最後の旅に出る。
生まれ故郷はフランスのナント、鱗にある龍・馬・詩・夢の文字は龍馬精神に
触発されたかの地の職人が刻み、中国へ贈られたという。女媧まで登場する龍
馬の夢想。ヒトがいなくなって久しい博物館にぽつねんと残された龍馬は、
《AIに心は生まれるのか。夢を見るのか》という問に対するひとつの答えかも
しれません。
全く違う傾向の3作に著者の底力をみました。
馬伯庸(マー・ボーヨン)中原尚哉訳
「沈黙都市」:2046年の首都、生の声、生の感情の吐露を禁じられている世界。
実態不明の関係当局に監視され、問題があれば指導を受け、警告される。
コンピュータは関係当局から支給され、ウェブが日常という暮らしは、まさに
進行している私たちの日常でもあるでしょう。日本よりはるかにスマホが行き
わたり、すでに個人を国家が把握できるようになっている中国ならではの、
ぞっとするようなリアリティがあります。
郝景芳(ハオ・ジンファン)
「見えない惑星」中原尚哉訳:
「あなたが見てきて魅力的だった惑星の話を聞かせて・・・」
といわれて“僕”が話はじめたのは
チチラハ・ビンウォー・アミヤチとアイフォウー・ルナジ・イエイエンニ・
ティスアティとルティカウルー・チンカト・ジンジアリン
話が真実かどうかは聞き手の耳にかかっている、という言葉に思わず頷きます。
★それにしても、これらの架空の惑星は、漢字でどんなふうに表記されている
のでしょう?文字として漢字しかない国の表記上の不自由さを想像してみます。
もっとも、初めっからそうだったのだから別段不自由も無く、私のようなヘン
な疑問は誰も持たないでしょうけど。
こうした、意味不明の音の連なりもすんなり表現でき、漢字に(読み仮名では
なく)外来語のルビを振るなど、変化に富んだ表現ができるのも日本語の特性
でしょう。思い出すのはロイヤルコペンハーゲンの漢字表記。ロイヤルは意味
で(皇家)、コペンハーゲンは音で(哥本哈根)、これは面白かった。
「折りたたみ北京」大谷真弓訳 は『郝景芳短編集』で紹介済みなので省略。
糖匪(タン・フェイ)大谷真弓訳
「コールガール」:15歳の小一(シャオイー)、男たちにお話を売っている。制服
の少女と男という設定だけど、タイトルが喚起するイメージとは全く違う世界。
時間と空間が揺らぎ、自分だけのお話を手に入れた男はどうなったのかしら?
程婧波(チョン・ジンボー)中原尚哉訳
「蛍火の墓」:世界の混乱を記録する日記のように読めますが・・・。
◎架空の時代◎架空の生き物が跋扈し◎魔術がまかり通り◎変身したり空を飛
んだり◎世界の分裂や融合がたやすく起きる、華流時代ファンタジーを見たこ
とがあると理解しやすいかもしれません。
劉慈欣(リウ・ツーシン)中原尚哉訳
「円」:紀元前227年の秦の首都咸陽、秦王政(後の始皇帝)の前で巻物を広げる
荊軻(けいか)は政の命を狙っていた。政暗殺に失敗して殺された荊軻の史実
(巻物に凶器をひそめていた)に、ヒトによる記憶(メモリー)小陣形を使っ
て円周率の演算を指揮するフィクションを加えた『三体』第二部でお馴染みの
アイディア。死の間際に荊軻が悟ったのは演算用の機械だった。
その実現は、アラン・チューリングの登場まで待たなければならなかったので
すが・・・。手を変え、品を変え、でも何度読んでも面白い!
「神様の介護係」:
宇宙の果てからやって来たのは2億人の神様たち。彼らは地球に文明のタネを
植えて、生物発生からヒトまでの進化の素を作ったのだという。神様たちは
高齢浮浪者とほかならず、世界中に溢れる。個別の家庭が割り当てられ、神
との生活が始まる。しかし、蜜月は続かず・・・・。老人問題などを彷彿と
させつつ、笑いもぶち込んで、やはり劉慈欣は優れたエンタメの作り手です。
エッセイ
「ありとあらゆる可能性の中で最悪の宇宙と最良の地球:三体と中国SF」
劉慈欣 鳴庭真人訳
「引き裂かれた世代:移行期の文化における中国SF」
陳楸帆 鳴庭真人訳
中国SFを中国たらしめているものは何か?」 夏茄 鳴庭真人訳
解説 立原透耶