横須賀市浦賀
三浦半島の東部に位置し
東京湾の入り口にあたります。
戦国時代に浦賀城が築城され後に
北条氏の水軍の拠点の一つでした。
廻船問屋や干鰯問屋が多く
漁業関連で栄えました。
1720年に浦賀奉行が置かれると、
浦賀は船舶が必ず寄る要衝となり、
現代の灯台である燈明堂や
有事に備えて砲台も整備され、
さらなる隆盛を極めました。
浦賀と言えば1853年の
ペリーの黒船来航で有名です。
さらに1860年に咸臨丸が出港し、
幕府の船舶として初めて
太平洋を往復した記念すべき港
歴史とロマンあふれる
風光明媚な街でした。
そんな浦賀に
京都神護寺の文覚上人が源氏の
再興を祈願して石清水八幡宮を
勧請した神社がある。
平家が滅亡しその願いが
叶ったことにより「叶明神」の
称号が与えられたと
伝えられている
叶神社
叶神社は浦賀湾を跨いで
東西に鎮座し
まず西叶神社をお参りし、
渡し舟で対岸にある
東叶神社にお参りします。
前編と後編に分けて
ご紹介します。
今回は西叶神社
社殿は、天保13年に建造
社殿の周りの彫刻は緻密で
力強い素晴らしい作品で、
見る者を圧倒します。
彫刻に掛けた費用は総建築費の
約七分の一という大金ですので、
その力の入れようと、
当時の浦賀の羽振り良さが伺える
社務所の入り口にある
レリーフは、左官職人が、
鏝と漆喰で作り上げた
「鏝絵(こてえ)」と呼ばれる
装飾で浦賀特有の芸術品です。
社殿彫刻と鏝絵、
それを見学するだけでも
大変価値あるアートな神社
さらにパワースポットとしても
近年人気があります。
西叶神社の勾玉を、
東叶神社のお守り袋に納めて
身につけていると、
恋愛をはじめさまざまな
良縁を結んでいただけるそうです。
関西に住む私にとって
初の関東の神社紹介となり
記念すべき神社になりました。
東西の叶神社は、
浦賀の港を行き来する
「浦賀の渡し」で結ばれて
何とも旅情豊かな雰囲気でした。
後編はこの渡し舟に乗って
東叶神社へ
叶神社
かのうじんじゃ
神奈川県横須賀市浦賀地区
浦賀港を挟んで2社ある。 勧請した石清水八幡宮と同様、共に、誉田別尊(応神天皇)など八幡神を祭神とする。
叶神社(西浦賀)
通称「西叶神社」
叶神社(東浦賀)
通称「東叶神社」
21世紀に入り、西叶神社で勾玉を授かり、東叶神社のお守り袋に入れて身に着けて良縁などのご利益を願う習慣が両社の宮司の話し合いによりできた。
西叶神社
にしかのうじんじゃ
神奈川県横須賀市西浦賀
主祭神
誉田別尊、比売大神、息長帯比売命
叶神社(西浦賀)は、誉田別尊と、比売大神、息長帯比売命(神功皇后)を祭神とする。
伊豆国で配流の身だった源頼朝と知遇を得た北面武士出身の僧・文覚が、源氏再興のために養和元年(1181年)、石清水八幡宮を当地に勧請して創建。源氏再興という祈願が叶った頼朝が文治2年(1186年)に叶大明神と尊称したと伝えられる。
市制施行七十周年期記念 横須賀風物百選 「西叶神社」
「アリャアリャ、ありがたや、叶明神の威徳をもって、虎もやすやす従えたり、皆々いさんでカッピキュー」
これは、享保五年(1720)から当地に伝えられているといわれ、毎年九月の祭礼に奉納される県指定無形民俗文化財「虎踊り」に登場する和藤内のせりふの一節です。
叶明神は、平家の横暴ぶりを憤った文覚上人が、上総国(現在の千葉県)鹿野山(かのうざん)にこもり、はるかに山城国(現在の京都府)石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)に源氏の再興を願って叶(かな)えられたことから、養和元年(1181)にそのみ霊(たま)をこの地に迎えて祭ったことに始まると伝えられています。したがって、この神社の祭神は、石清水八幡宮と同じ応神天皇(第十五代の天皇)です。
現在の社殿は、天保八年(1837)に消失した社殿を天保十三年に再建したものです。再建に要した費用は、約三千両と記録されています。とくに注目に値するのは、内部を飾る精巧な彫刻です。作者は、のちに名工とうたわれた安房国千倉(現在の千葉県)の彫刻師後藤利兵衛橘義光です。当時、二十代の若さであったといわれています。彫刻に要した費用は、総建築費の約七分の一にものぼる四百十一両余でした。奉行所が置かれ、回船問屋が軒を連ねていた隆盛期の浦賀であったからこそできたことと思われます。
社殿の裏山には、文覚畑と呼ばれている所があり、文覚上人の庵室の跡と伝えられています。また、社殿の右手下に「明治天皇駐輦(れん)跡」があります。これは、明治十四年五月十八日に明治天皇が観音崎砲台建設の様子を御覧になられた際、当時この場所にあった浦賀西岸学校の二階の一室に御休息されたのを記念して建てられた碑です。
社の彫刻群
社は、天保13年(1842)に建造されたもので、社殿を取り巻く総数230を超える彫刻は安房の彫刻師「後藤利兵衛」の作品です。
利兵衛は文化12年(1815)安房国千倉の生まれで、江戸の後藤三次郎の門に学び、神社社殿の彫刻や山車、みこしを多く手掛けました。
拝殿の格天井(ごうてんじょう)の花鳥の彫刻には、当時の日本には渡来していないとされる花や鳥も彫られています。
棟柱を担ぐ力士像も彫られていますが、どこにあるのか探してみてください。
狛犬
社前に堂々と並ぶ狛犬は、左右とも口を開けているように見えます。東叶神社の狛犬の口は、いずれも閉じているように見えることから、東西で一対となっているとの説もあります。
立ち上がって、柱の陰からこちらを窺うようなそぶりの、かわいい狛犬も隠れているので、こちらも探してみて下さい。
漆喰名人の鏝絵(こてえ)
社務所の入口には、白いレリーフが飾られています。左官職人が、鏝(こて)と漆喰(しっくい)で作り上げた「鏝絵(こてえ)」と呼ばれる装飾で、土蔵などの壁を飾るものでした。江戸の中ごろに数多く造られ、干鰯問屋(ほしか)と廻船問屋で栄えた浦賀にも、数点の鏝絵が残されています。
西叶神社の鏝絵は、「三浦の善吉」として全国的に知られる漆喰細工の名人、石川善吉の昭和5年の作と伝えられています。
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Profile 神奈木有紀(かんなぎゆき)
大阪市で広告ディレクターから2014年に独自理論による神奈木流体バランス法を作りセラピストに転身。
神奈木流の成果
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