称徳天皇の深日行宮跡、古代のスズ産業を支えた町、国玉神社/神奈木流 体バランス法 | 神奈木流 体バランス法

神奈木流 体バランス法

神奈木有紀(かんなぎゆき)大阪市で広告ディレクターから2014年に独自理論による神奈木流体バランス法を作りセラピストに転身。





深日は紀州街道の一つである
孝子越街道の中継点で、
大川を5km程遡ると孝子峠で
和歌山県になります。

深日は古来、吹飯、吹井などと
表記されフケイと呼ばれました。
「吹飯の浜」「吹井の浦」は
数々の和歌に詠まれた場所で、
万葉時代から歌枕として有名な
景勝地でした。

時津風 吹飯の浜に出で居つつ 
あがふ命は妹がためこそ
(万葉集)

そんな場所に国玉神社がある
国玉神社の鎮座地は称徳天皇の
深日行宮で知られる場所。

称徳天皇は聖武天皇の娘で
孝謙天皇として749年に即位した
15年後に、再び天皇になった女帝。
称徳天皇は道鏡を寵愛し、
専制を許したことで知られます。
そういえば
岡山の和気神社で調べたときに
和気清麻呂に恥ずかしい名前
和気きたな麻呂と命名して
左遷させた我儘女帝では無いか!
神社を巡っていると
たまにこういった歴史上の
繋がりに驚くことがある。

大鳥居には瓦製の扁額が掲げられ、
瓦産業で栄えた往時をしのばせる。
さらに当地の岬町、
特にその鍛冶屋谷は
スズの産地として知られている。
五十瓊敷命の墓とされる
淡輪ニサンザイ古墳、
宇度墓が岬町にはある。
その五十瓊敷命は、
「大刀一千振りを制作して、
石上神宮に納めた」が、
この大刀は、
当地のスズで制作されたという
港町、街道の要衝で
瓦やスズの製造業が盛んだった
重要な場所だったようです。

以前この神社をお参りしようと
2度ほど試みましたが
神社に続く路地を見逃して
断念していましたが
今回やっとお参りできました。










小さいながらも古社独特の
風格のある神社でした。




国玉神社
くにたまじんじゃ
大阪府泉南郡岬町深日


祭神 
大國主大神、賀茂別雷神

摂社 
戎神社
事代主大神、品陀和氣命、大雀命」 
祓戸社
瀬織津比賣命、速秋津比賣神、
氣吹戸主神、速佐須良比賣神
五社
天照皇大御神、豐受比賣大神、
大山祇大神、底筒男大神、
中筒男大神、表筒男大神、
息長足比賣大神、日本武命、 
大國主大神

由緒   
岬町唯一の式内社。大鳥居には瓦製の扁額が掲げられ、瓦産業で栄えた往時をしのばせます。
昔は「九頭大明神」と言われ、創建年代は不詳。称徳天皇紀伊行幸の際の行宮を定めたと言われる。 『続日本紀』巻第二六の称徳天皇(高野天皇)の天平神護元年(765年)十月二十六日、紀伊国からの帰路に和泉国日根郡の深日行宮に到ったとあり鳥居の東側には称徳天皇紀州行幸の行宮址の碑が建っています。

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Profile     神奈木有紀(かんなぎゆき)
大阪市で広告ディレクターから2014年に独自理論による神奈木流体バランス法を作りセラピストに転身。
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