第2阪和道路・淡輪ランプから
国道25号を西に1km、
「岬公園駅前」を右折し1.6km。
淡輪と言われる地域がある
大和政権が、大和から河内
そして和泉に進出し、
仁徳陵古墳などの巨大古墳が
作られた頃、紀伊から和泉へ
向かう海の交通路として
その中間地点となる岬町は、
大阪湾の入り口で非常に
重要な地域だったようで
古墳も多くなかでも淡輪には
古墳群があり重要拠点だったことを
裏付けているようです。
現在の淡輪は
ヨットハーバーや海水浴場など
海のレジャーが楽しめる地域として
人気の場所のようです。
その淡輪に船守神社がある
港町にありがちな
迷路のような細い路地に入り
たどり着いた船守神社は
朝日を浴びて神々しく
お迎えくださいました。
御祭神について
紀船守は紀雄人の子で、
授刀舎人だったという。
天平宝字8年(764年)
恵美押勝の乱の際、
押勝を射殺したとして
勲功があったという。
紀朝臣の祖は武内宿禰とされるが、
武内宿禰の子、紀角宿禰は
紀ノ角とも称し、紀氏の祖である。
『日本書紀』には
紀氏が半島攻略の海軍面での
活躍が記されている。
これらは紀氏の水軍が
古代に活躍したことを物語るもの。
垂仁天皇が皇子達に
願いを聞いたところ、
五十瓊敷入彦命は弓矢を
得たいと願い、
大足彦命(景行天皇)は
皇位を望んだので弟が即位した。
血沼池・狭山池・日下の高津池など
各地の池などの土木事業を行い、
鳥取の河上宮に坐して
河上部を定め剣一千口を作らせて
石上神宮に納め、管理したという
いずれの神様も
大和政権の拡大の礎となる
神様を守る地域のようです。
船守神社
ふなもりじんじゃ
泉南郡岬町淡輪
御祭神
紀船守公
紀小弓宿禰公
五十瓊敷入彦命
末社
琴平神社 御祭神:大物主神
恵比須神社 御祭神:事代主命
稲荷神社 御祭神:宇迦之御魂大神
八幡神社 御祭神:應神天皇
大日神社 御祭神:天照大神
淡輪の氏神になっている船守神社は、延喜11年(911年)60代醍醐天皇の勅命により創建されたと伝えられています。本殿は豊臣秀頼の命により、片桐且元が造営した三間社流造の桃山様式を残し、国の重要文化財に指定されています。境内の四本幹の大楠は直径約10mあり、樹齢800年以上ともいわれ、近くにある祓殿社(はらいどの)の大椋とともに府の天然記念物に指定されています。
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Profile 神奈木有紀(かんなぎゆき)
大阪市で広告ディレクターから2014年に独自理論による神奈木流体バランス法を作りセラピストに転身。
神奈木流の成果
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