小野好古の愛した三木市細川、六社神社/神奈木流 体バランス法 | 神奈木流 体バランス法

神奈木流 体バランス法

神奈木有紀(かんなぎゆき)大阪市で広告ディレクターから2014年に独自理論による神奈木流体バランス法を作りセラピストに転身。






三木の御酒神社の南方向に
こんもりした林が有り、
林の南側に六社神社がある。

神社の入り口は、林の東側、 
「六社神社」と彫られた石柱。
川沿いの道の奥の右手にある、
道から参道を少し上った所から
注連柱、手水舎、能舞台、
拝殿となっている。











書道で有名な小野道風の兄
小野好古はこの地区の領主となり
この神社を信仰したそうです。
小野家と言えば名門で
小野妹子をはじめ
小野小町などを輩出した家柄
好古は藤原純友の乱で
戦功をたてたり優秀な人物
小野道風は兄と比べて
今でいう落ちこぼれだったが
書道に励んだ努力の人
と言う印象があります。
その兄の好古が領主なら
卒の無い政治をされていたと
なんとなく想像がつきます。

民家の畑の中にある社は
この土地に溶け込んでいます。






六社神社
ろくしゃじんじゃ
兵庫県三木市細川町中里


祭神     
大日霊貴命、天児屋根命、
応神天皇、忍穂耳命、
底筒男命、市杵嶋姫命


天長六年(829)九月八日創建。天徳二年(958)に旱損虫害によって作物皆無となり、農民の飢餓は極度に達した。 このとき五穀成就を祈るため、時の領主小野好古はこの神社を信仰し、社殿を改造して、もとの三神のほか、さらに  忍穂耳命 底筒男命 市杵嶋姫命を合祀して六社神社と称した
天喜二年(1054)三月、イヤノ上原野の社地が狭いので、現在の地に社殿を移転鎮座した。また陪社に月読社を建築し、祭神に建速須佐之男命を祭った。 当時の領主小野好古とは、敏達天皇の後裔で、小野朝臣を大祖とし、小野篁の孫にあたり、有名な小野道風の弟である ~一部省略~その後裔は明石藩三木郡小川組淡河組大庄屋七代相勤め祖先好古の霊社を守ってその祭祀に専念した。今は、安福氏と称してその系図を保存する
小野好古五十二代孫安福顕二之建


小野 好古
おの の よしふる
平安時代前期から中期にかけての公卿・歌人。参議・小野篁の孫で、大宰大弐・小野葛絃の次男。弟に三蹟の一人小野道風がいる。異名は「野大弐」。官位は従三位・参議。

✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎
Profile     神奈木有紀(かんなぎゆき)
大阪市で広告ディレクターから2014年に独自理論による神奈木流体バランス法を作りセラピストに転身。
神奈木流の成果
********************

元気に自然に、ノーファンデ宣言。
ほぐし処ケイ・スリー
公式ホームページ