大己貴命と少彦名命を調べるのに
もう一つ訪れた神社があります。
日吉・日枝・山王神社の総本社
滋賀県の日吉大社の「日吉」は
かつては「ひえ」と読んだそうだ
その「ひえ」は比叡山の名にも通じ
その名を持つ村が兵庫県にも存在する
神崎郡神河町の比延
そこにある日吉神社を訪ねてみました。
堲岡の里として播磨風土記にも記載
大己貴命と少彦名命の
我慢比べの神話が今でも残されています。
この二柱の神さま国造りと称して
漫才師のように大小の身体つきで
数々のおふざけの伝説も残している
相変わらずの仲良しぶりでした。
さてこの日吉神社も見事な佇まいですが
この神社の裏手にある堲の大岩は圧巻
見事な磐座に足がすくみます。
日吉神社
ひよしじんじゃ
兵庫県神崎郡神河町比延
主祭神 大山咋命
配祀神 大汝命(大己貴命)
少比古尼命(少彦名命)
播磨国風土記
堲岡(はにおか)の里
【日吉神社・堲(はに)の大岩】
この神社の裏山に大岩があります。数年前までは木に囲まれていましたが、現在は周りの木が伐採されて、大きな岩がよく見えるようになっています。
播磨国風土記に次のような伝説があります。
『遠い昔、播磨の国に大汝命と少比古尼命という仲の良い2人の神様がいました。ある日、堲(はに)(赤土の粘土)の荷物を背負って歩いて行くのと、便意を我慢して歩くのとどちらが遠くまで行けるか、という我慢比べをしました。体が大きく力持ちの大汝命が便意を我慢する方を選び、体は小さいが我慢強い少比古尼命が大きく重い堲を背負って歩きました。数日後、我慢できなくなった大汝命はこの場で用を足してしまい、少比古尼命も笑って堲を道に投げ出しました。投げ出された堲と便は固まって石にとなりました。』
日吉神社の大岩はその堲と言われています。
堲は埴輪の土だと想像すると、龍野で命を落とした土師氏である野見宿禰命とも関係がありそうな気がします。
また、大汝命が用を足したときに、笹が弾き上げて服についてしまった。このため波自賀村(はじかのむら)と呼ばれるようになった村があり、この糞は今も磐になっているという。
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Profile 神奈木有紀(かんなぎゆき)
大阪市で広告ディレクターから2014年に独自理論による神奈木流体バランス法を作りセラピストに転身。
神奈木流の成果
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元気に自然に、ノーファンデ宣言。
ほぐし処ケイ・スリー
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