先日、大己貴命と少彦名命の逸話を求めて
神崎郡を訪れたときのこと
通りすがりで猿田彦神社を見つけました。
狭い道でさほど大きくは無い、
名前の通り猿田彦命を祀られているだろうと
それくらいしかしか情報はありません。
普段ならスルーしていそうですが
何故か惹かれるこの神社。
とりあえずお詣りすることにしました。
鎮まりかえる空気の中
一段一段と階段を登る度に
凛とする氣は心地よく
背筋をピンと伸ばしてくれます。
手入れもゆき届き
地域の皆さんに愛されている
そんなように感じお詣りをしました。
お詣りを終え奥宮らしき階段に
「御敷岩」の看板があり
石室のような石積みを横目に
まずは小さな奥宮をお詣りして
神社とは反対側の御敷岩へ向かった
カエルのようなカタチの磐座
ここにも大己貴命と少彦名命の
逸話が残されていました。
猿田彦命が素敵なお導きをくださいました。
とても有り難い気持ちになりました。
感謝です。(^^)
市川町 猿田彦神社
いちかわちょう さるたひこじんじゃ
兵庫県神崎郡市川町沢
主祭神 猿田彦命
昔、この付近は、新野庄と呼ばれ、「播磨国風土記」に登場するように開けた場所でした。
神社は古くから崇敬を集めており、明応年間(約500年前)には播磨国守護職赤松政村が領地を寄進した記録があります。
また、明暦3年(1657)、義民として有名な上月平左衛門が願主となり、本殿が増営さています。社殿の左には「御敷岩」と呼ばれる大きな岩があります。
大汝命(オオナムチノミコト)と少彦根命(スクナヒコノミコト)がこの岩の上から村々を見下ろして、まつりごとの相談をしたと言い伝えられています。』
「御敷岩」の前には市川町で一番古い石像物があります。神社の本殿から左の方へまわると、「御敷岩」の陰に不動明王像が祀られています。その像の台として、40cmほどの四角い石が置かれています。これは、もともと宝篋印塔と呼ばれている供養塔の基礎の部分を利用したものです。この石の正面には、次のように刻まれています。
康永三申年
二月八日
一結衆 敬白
西暦1344年、日本が南朝と北朝に分かれていた頃です。一結衆というのは、この塔を造るために集まった信仰を同じくする人たちの事です。この年号は市川町内の石像物で一番古いそうです。
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Profile 神奈木有紀(かんなぎゆき)
大阪市で広告ディレクターから2014年に独自理論による神奈木流体バランス法を作りセラピストに転身。
神奈木流の成果
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元気に自然に、ノーファンデ宣言。
ほぐし処ケイ・スリー
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