北播磨で見つけた優雅で庶民的な聖域、住吉神社と酒見寺/神奈木流 体バランス法 | 神奈木流 体バランス法

神奈木流 体バランス法

神奈木有紀(かんなぎゆき)大阪市で広告ディレクターから2014年に独自理論による神奈木流体バランス法を作りセラピストに転身。



大己貴命と少彦名命を調べるのに
潮の井を訪れたとき知ったのですが
「潮の井」の水は神水としてあがめられ、
北条町の住吉神社のお祭りは、
お神輿にここ水を注いでお祓いをしたという。
今もお神輿をかつぐ人たちは、
4月の第一土曜の早朝にこの「潮の井」に行き、
水垢離を取ってこの水で身体を清めるそうです。
そうと知ったらお詣りするしかあらりません。
近所の子供達が集まってお祭りの準備
子供達の声が聞こえる神社は
とても活気が溢れて強いエネルギーを感じます。
住吉神社の脇に酒見寺
神仏習合の名残りを残しています。
酒見寺は広々とした優雅な佇まい
住吉神社は対照的に庶民的で温かい佇まい。
それが表裏一体でしっくりくる。

この住吉神社明治期に改称されるまでは
「酒見神社」と言われていました。
翁と媼の二神が五人の王子と共が
北条地区にやってきました。
「山酒人」に神としての力を
証明したというところから
北条地区に約六町歩の田を持っていた
「山酒人」が神殿を造ったとされています。









北条町 住吉神社
ほうじょうちょう すみよしじんじゃ
兵庫県加西市北条町北条
播磨国三の宮

祭神
酒見神
底筒男命
中筒男命
表筒男命
神功皇后

黒駒村で創建され、養老元年(717年)に現在地に遷し奉られた。大阪の住吉大社らに伝わる『住吉大社神代記』〔天平3年(731年)〕に記された住吉大神の宮九箇処の一社である。古くは酒見大明神と呼ばれており、明治時代に県社に列格された際に現在の神社名に改められた。天平17年(745年)には行基によって東隣に別当 酒見寺が建立された。

社殿は平治の乱〔平治元年(1159年)〕や天正年間(1573年 - 1592年)の兵火など、幾度もの焼失と再建を経て荒廃していたところ、江戸時代初期に姫路城主の池田輝政により復興された。 現在の本社三殿(国の登録有形文化財)は嘉永4年(1851年)に再建されたものである。 境内中央には勅使塚が遺されており、現在は「鶏合わせ」や「龍王舞」など神事の場として使われる。







酒見寺
さがみじ、さがみでら
高野山真言宗の仏教寺院
山号 泉生山(せんしょうざん)
本尊 十一面観世音菩薩
開基 行基
聖武天皇の勅願寺と伝え
新西国三十三箇所第29番札所

寺伝によれば、天平17年(745年)、酒見明神の神託を受けた行基が聖武天皇に奏上し、寺号を泉生山 酒見寺として開創したという勅願寺。 酒見明神社の別当

平安時代から毎年勅使の参詣が行われていた名刹は、2度全山を焼失している。平治元年(1159年)の平治の乱での全山焼失の際は二條院様の御朱印を賜い勅により再建、天正年間(1573年~1592年)にも兵火で全山が焼失した。その後、江戸時代に入り、姫路城主となった池田輝政が姫路城の守護寺に定めて援助を行い、池田家の転封後は本多忠政の援助を受け、寛永年間(1624年~1643年)に江戸幕府の命を受けた実相院隆恵が再興した。さらに江戸幕府3代将軍徳川家光が朱印寺と定め、代々将軍から朱印状 所領60石を下附されて隆盛するなど、これまで天皇や幕府、藩により厚く保護されてきた。


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Profile     神奈木有紀(かんなぎゆき)
大阪市で広告ディレクターから2014年に独自理論による神奈木流体バランス法を作りセラピストに転身。
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