新月の日の翌日。
の~んびり宿を出て
道の駅『那智』の看板が見えたので
向かってみた。
道の駅『那智』の看板が見えたので
向かってみた。
そこは、那智駅で、
情報センターもあった。
情報センターもあった。
が
情報センターは休館だった
看板だけ↓
姫の装束、コスプレできるらしいよ
でも、草履で古道歩きは
足が痛くなりそう~
現代人の足はもう退化しちゃってるからね。
足管理を習って
日本の足袋、草履、下駄、わらじ
親指と四本指に分かれて
1:1として歩く
というのはすごく理にかなっていたことを知り
日本ってスゴイなぁ~!
と改めて思う。
那智へ来る時は、
いっぱい休憩しながらのんびり運転してきて
一日がかりだったのよ。
一日がかりだったのよ。
だから帰りも
一日かけてゆっくり帰ろうかな
一日かけてゆっくり帰ろうかな
と思っていた。
(肩こらないように)
だがしかし
なんとな~く
心残り感がある・・・
ふと、ナビの地図を見たら
今!停まってる信号の交差点を曲がると
だがしかし
なんとな~く
心残り感がある・・・
ふと、ナビの地図を見たら
今!停まってる信号の交差点を曲がると
汐崎さんがオススメしていた
神倉神社がある!!!
こりゃ行けってことだな
駐車場に車を停めたら
すぐ横に出雲大社の分祀があったので
お詣りさせていただく
見づらいかもだけど、大黒天です↓
大黒天を祀っていたが
ダイコクつながりで
ダイコクつながりで
大国主になっちゃった説
あるあるだと思う
でも
出雲大社は、昔はスサノオを祀っていた。
さらに
スサノオの前は、
摩陀羅神(まだらしん)という
謎の神様らしいのだ。
京都では摩陀羅神のお祭を
牛祭りと呼んでるから
結局は、牛頭天王なんだろな
慈覚大師が唐にいた頃に感得し、
日本へ連れて帰った
といわれている摩陀羅神
それって、
弘法大師が唐にいた頃に感得し、
日本へ連れて帰った善女龍王
と、セットにしてないか?
ようするに
縄文のむかーしから庶民が崇めているのは
夫婦神なのだよ。
人の生きる道を教えてくれた祖神
であるから、
道祖神と呼ぶ!
(村の堺を示すものではない)
夫婦そろってなきゃ
庶民は納得しない
独身のアマテラスを
いきなり「今日からこれが神だから」
って押し付けられても
はぁ?なにそれ?ってこと
そこで
弘法大師・空海は考えた。
朝廷の貴族を納得させるために
唐から連れて帰ってきた女神がいる
ってことにしたのだ。
慈覚大師・円仁は、空海よりも少し年下。
伝教大師・最澄の天台宗を盛り立てた人。
空海が女神を連れて帰ったから、
円仁は、男神を連れて帰ったことにした。
そうすれば、
庶民が男女の夫婦神を崇めていても
名前さえ変えれば!
今までの夫婦神のまま
変わらずに信心できる。
真言宗では空海が女神を祀り
(得度の儀式を行うお堂の本尊として准胝ジュンテイ観音を祀った)
天台宗では円仁が男神を祀った。
(摩陀羅神は常行堂の後ろ戸に祀られる守護神)
両宗派は、和合しなくちゃね
神倉神社
どんなんだろ~楽しみ~
どんなんだろ~楽しみ~
ぜんぜん前情報なしで
ただ、汐崎さんオススメだから!
というだけで来た。
(きっと「え~知らなかったの~!?」って、ブログを読んでるみなさんに言われてるんだろうな)
なぜか、熊野は
放置だったのよね
きっと
満をじして
ってことなんじゃないかな?
ってことにしておいて~
いざ!
まずはここに↓驚いた
手水用に、彫ってあるんだよ↑
あとから気づいたけど
すぐそこに上から流れてくる水があったので
すぐ汲んで、すぐ注げる。
すぐ汲んで、すぐ注げる。
これ↑どこにあるかというと
なんか、四角い文字彫った石(天岩盾)があって
その裏です。
手水舎のこの看板の右に、突き出てた。
看板に書かれてることも
うっひゃあ~でしょ?
だって
こんなだよ!!!
神秘ウォークが終わって、汐崎さんに
神倉神社もいいぞぉ~と言われたので
じゃ、これから行こうかな
と言ったら
神倉神社もいいぞぉ~と言われたので
じゃ、これから行こうかな
と言ったら
いや、それはやめた方がいい。
暗いと階段が危ないし
階段、538段あるから!
って言われて
神秘ウォークでヘトヘトの足にはキビシイな
神秘ウォークでヘトヘトの足にはキビシイな
と、あきらめたのだよ
『鎌倉積み』というらしいこのゴツゴツの階段
たしかに暗くなったら危ない!
両サイド、手すりもないし!
でも、本日は
温泉入って、サウナ入って、水風呂入って
筋肉痛は多少あるけど、元気だぜぃ!
行くぞっ!!
途中にあった夫婦らしい社
左が、火神社 右が、中ノ地蔵堂
神仏一緒に並んでる
神仏一緒に並んでる
社は新しいけど
石碑は古そうよね。
石碑は古そうよね。
一段一段
ゆっくりでも登れば
必ず着くさ~
と、最乗寺ツアーの奥の院の階段でも
いつもみなさまに言ってます
まだまだゴールが見えない
素敵な、二股の木
と、写真を撮ってたら
若いパパが、娘をおんぶして降りてった!
若いパパが、娘をおんぶして降りてった!
「ね~パパ、訓練するのにいいけどさ~、
そろそろ降りない?」と娘に言うも
娘・・・シカト
そういえばさっき
3歳くらいの子を
肩車して降りてった人もいた!
ご近所さんどうしなのか
おじいさんたちもいて
挨拶をかわしていた。
おじいさんたちもいて
挨拶をかわしていた。
きっと、日課の運動なのかもね
頂上に到着!!
入口の横にも
一つ、社があるので寄る。
まんざんしゃ と読むのかな?
どうやら、八百万の神さまたち
らしいっす。
その満山社の少し高い位置から撮った
この先の場所
この岩肌そのものに
もう、感動です
満山社の横にあった
少したいらになってるところで撮った
なにかがあったはずな場所
じゃ、入りますm(__)m
入ってすぐに
手水鉢
うわ!うわ!うわ!
すんごい巨石やん
こりゃあーた
盤座(イワクラ)信仰ですやん
奈良の大神神社の山頂や
広島の厳島神社の弥山の山頂とかも
なんで?ってかんじで巨石があるでしょ?
そりゃ~神様が置いたとしか思えないよね
そうなんだと思うよ~
だからこそ
そこで神に祈るわけです
縄文の昔から
そしてこの岩を
ゴトビキと呼ぶそうだ。
『琴弾き』という説と
『ヒキガエル』という説がある。
琴を弾くのは、キクリヒメ
カエルは水神の眷属
どっちも当てはまると思う。
そばに来たけど
カメラにおさまらん
そこから見る景色
なんとか自撮りしてみた
下に降りて・・・
社殿前に人がいるから
大きさ、比較してみてね↓
すると
地元の人かな?
男の人が、テテテテテ~と
岩肌をナナメに降りていった。
あの、岩のそばへ行けるんだわ!
筋肉、ちょっと、おぼつかないけど
行くぜ行くぜ行くぜ!
おおお~
縄文時代は
こういった巨石の陰に
祈りの場所を作っていたようだね
女神は、石をあやつる。
石神って、あっちこっちにあるよね?
だから女神は、山のてっぺんに
巨石を置くのも
おちゃのこさいさい
おちゃのこさいさい
人間の元素構造は、
花崗岩の組織とよく似てるそうだ。
女神は
石から人間を作ったのかもしれないね
だから
人間を石に変えることも
おちゃのこさいさい
そ!
メデューサは
恐ろしい悪神なんかじゃない。
神話は、勝者に都合よく書かれる
どいつもこいつも
本物の神を悪者にする。(もちろん、日本も)
すべての民が平等に平和に
分かち合い、助け合い暮らすことは
勝者にとっては、つまらない世界。
勝者は
富を独占して人々をひざまづかせたい。
だから、本物の神を
悪者に仕立て上げる。
如来様の髪の毛は、ぐるぐるしてるね?
螺髪(らほつ)という。
でもあれ、蛇がトグロ巻いてるのよ
如来が憤怒したら
トグロ巻いてる蛇も
フンガーーー!と立つ。
ほらね
メデューサになる
(国旗にメデューサがいる国もある)
階段をおりてきて
修復中の猿田彦神社・・・
その右側に、
山からの水が流れてきてる
岩、すごいなぁ~!!
さて、参拝し終わって
どうしよっかな~
と、地図を見たら、
あらま!熊野速玉神社がすぐそこ!
じゃ、行くか。
大きな椥(なぎ)の木
根元には、ハトが枯れ葉をひっくりかえして
餌になる虫を一心不乱に探してた。
那智が朱いのは
滝は女神なので当然
十一面観音は、水神でもあるし
こちらの
神倉の岩をご神体とするコチラも朱
『速』という字がつくと
だいたい、男神なんだけどな。
三本足はない。
こちらから少し、画像を掲載しますね
60歳を迎えると、
一ヶ月分くらいの食料を舟に積んで
南方の海へと旅立たなくてはならなかったそうです。
南方の女神のところへ召されるために
それは、死ぬってことだけど
即身仏的なことで
名誉なことだったんだろうな。
死とは、神仏のもとへと旅立つこと
神仏のもとへと還ること
魂に死はない
その死生観が現代では消えてしまったので
死は悲しい
忌むもの
みたいになってる。
この世で、与えられた寿命をまっとうしたら
(事故死や病死でも)
肉体を抜けて
母なる阿弥陀如来のもとへと還る
残された者は
魂が早く阿弥陀如来のもとへ辿り着けるように
背中を押す祈りを送ることが供養
祈りは
日本人の
真骨頂
と、天から伝わってます
本気出したら
祈りのパワー
ハンバないらしいよ!
わたしなんて
と思わず
手を合わせて
世界が善くなりますように
と、祈ってね
というわけで
熊野の巡礼
これにて終了〜
満をじして!
の熊野でした
長い長いブログを
お読みいただきありがとうございましたー
募集中〜