日本三大怨霊
などといわれている
菅原道真
平将門
崇徳天皇
どなたさまも
怨霊になるような人ではありません。
崇徳天皇も
神仏への信仰心が篤く
怨霊になるようなお方ではないです。
民衆に人気のある
厄介な者
うるさい蜂は
悪口を流して悪者にするのが
一番手っ取り早く
民衆の心を離れさせる手段。
自分にとって都合の悪い存在の
悪口を言いふらす
こんなの、
今も昔も変わらない。
私もさんざんやられてる
そして
平将門
歴史なんて全然頭に入らなかった私。
平将門って言われても
聞いたことはあるけど
いつの人?
何した人?
だったのですが~・・・
2012年 8月
江戸の北斗七星の結界
というのが
明治政府によって
潰されている
ということを知りました。
当時、書いた記事より抜粋↓
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このことに気づいたら
なぜだか
そこを巡ってこなくちゃ
と、異常に強く感じて
行ってきたのが
こちらです↓
平将門を祭神として
北斗七星の結界を作っていた
徳川家康のブレイン
天海上人
(私の見解では、明智光秀ではないです)
(光秀は、徳川家康の元で影で活躍していたとは思います)
この時は
なぜ、結界に将門なのか?
天海上人の意図は
ぜんぜん知りませんでした。
ただただ
巡ってきたのです。
自分のためにではなく
ただただ
日本を
お護りください
と。
そして
その夜に
どうしてこんなに
結界を巡ろう!
って強く感じたのか
いったい将門ってなんなんだ?
(名前しか知らなかった)
と、ぼぉ~っと考えた時、
ズシィーーン!!
というか
ぐぅぅぅぅぅぅ~!!
というか
ものすごい圧のモノに包まれまして
直々に、指令をいただいたのでした。
平将門を救え
と、
サインを感じた私の
反応は・・・
ですよ。
正直。
どうやって???
と思ったとたん
思考は読まれています。
真言を作れ
またもや
そんなもん
わかんないよ
と思った瞬間、
当時、知ってた
阿闍梨さんの姿が浮かんだ。
この人に頼むんだね。
わかった~
当時、皆様へ
お願いした文↓
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そして
そこから
平将門救出のための日々が始まったのです。
過去に書いた
当時の記事は
今は伏せてあります。
これから
あらためて
整理整頓して書いていこうと思います。
阿闍梨さん(今はもう離れちゃった)
に作ってもらった真言を
毎日毎日、唱えました。
一緒に祈ってくださっている方々も
ちゃんといました。
いろいろ言ってくる方もいたので
将門関連の記事は
アメンバー記事にしました。
でも、なぜか
アメンバー記事を書くと
異常なアクセス数で
なんじゃこりゃ?と思った
洩れ洩れなんか?
ま、それはさておき
将門を救出するにあたり
なにはともあれ
生誕の地へ行ってみよう
と、思いました。
でも、なぜかまず
秩父を巡った。
なんでだろう?
そうだ。
北斗七星は
北辰妙見信仰だからだ。
妙見で、秩父神社がヒットしたんだった。
どこに行っても
これだけ言ってた
平将門を
お救いください
そして
真言を唱えてた。
自分のことは一切
出さなかった。
自分のお願いごとなんて
一つもしてない。
それを実行すれば
どうなるかなんて
まったく考えなかった。
ただただ
なんとかしなきゃと
必死だった。
2012年の9月になって
茨城県の坂東市へ行きました。
将門が生まれ、住んでいた地。
あらかじめ
将門にまつわる場所を調べておいた。
行く先々で
トンボがそばにいた。
羽虫には、魂が乗りやすいという。
ましてやトンボは武士にとって
勝ち虫と言われている。
そして、こちら↓へ行った時です・・・
当時の記事文をコピペします。
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雨がザァーーーっと降ってきた。
空は、雲の切れ間から青空が見えるので
すぐにやむだろうと、
祈りながら雨やどり。
ふと、般若心経を・・・
とひらめく
覚えてないので、
アンチョコ出して読みあげると
涙が溢れてきました
読み終わる頃、
雨も小降りになり、境内へ・・・
観音堂から来ると、
この正面↓がわからないんだけど
この木の下に胴が埋められてる
と、直感があり、
木の根に触れながら
「将門さま・・・ 将門さま・・・ 」と、
言葉にならない思いをこめて
お名前を呼んでいたら
ぶわっ!!!
と、身体が揺さぶられ涙が溢れ、
号泣
その後、この写真の左側へ行ったら、
古墳って書いてありました。
そのそばに咲いていた花を
将門さまから
「(あなたに)花を・・・」とお言葉をいただき
失敬してきました。
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こちらは、2012年の当時の写真
こちら↓現在です
![ラブラブ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/035.gif)
延命院の胴塚で
ぶわっ!!
となったのはなんなのか?
おかしなことだけど,
切断されていたのは肉体(首と胴)
なんだけど
霊体も、分割されていたような
そんなかんじがした・・・
その胴と首が
ぶわっ!!と
合体したようなかんじだった。
そして将門からの
あふれる感謝が
涙となって私からあふれた
溢れた涙は
私ではなく
将門の涙だったのだろうと思う。
これから
私が体験し
感得した
将門伝説を書いていこうと思います。
(★ヤマトタケル伝説★的に)
どうぞよろしくお願いします。
(むかーしの大河ドラマの、平将門)
今の世界の動向にも
符合するセリフです。