内発的動機と外発的な動機の問題について書こうと思います。
さて、こんな会話がなされることはありませんか?
「ねえ、お母さん、○○のゲーム買って欲しいんだけど!だって、クラスでみんな持ってて、持ってないのぼくだけなんだよ。」
「だったら、もし今度のテストで90点以上取ったら買ってあげるわ!」
「えっ、本当!ぼく頑張る!」
こんな会話、一度や二度、あるかもしれませんね。でも、このようなことを続けていると(たけしの健康番組風に)
「大変なことになりますよ!」。
ちっとおふざけが入りましたが、でも、本当なんです。どんなふうに大変なのかは、これから示す実験結果やその実験を行った方の言葉から示していきます。
カーネギー・メロン大学のブルーム教授の指導を受けたエドワード・デシはこのような実験を行いました。使用するのは実験当時発売されたばかりのパズル。それをを使い、そのパズルをあるパターンに形作っていくというもの。
その実験の被験者は、2つのグループに分けられました。
1つのグループはパズルを解くと外的な報酬がもらえるもの。
もう一つのグループは報酬を受け取らないというグループ。
そして2つのグループに分けた被験者がそれぞれ何人かずつそのパズルに取り組みます。そしてパズルを解くと実験者は、8分間、席をはずすのですが、その席をはずしている間に、被験者がどのような行動をとるかというのが、重要な部分です。
どれだけ実験後もパズルを解くことに費やすか観察されました。ちなみに机には若者の興味を引きそうな雑誌類がたくさん置かれていました。さて、それぞれの被験者は、実験者が席を外したとき、どのような行動をとったでしょうか?
報酬をもらう約束をした被験者は、パズルにあまり興味を示さなかったようです。しかし、報酬を約束されていない被験者は、パズルを解くこと自体がおもしろく、それに時間を費やした者が多かった。
それに関して実験を行ったデシは、このように書いています。
彼らは最初、報酬なしで喜んでパズルをに取り組んでいたのに、いったん報酬が支払われると、あたかも彼らはお金のためにパズルをやっているかのように見えた。
金銭という報酬が導入されたとたんに学生たちは報酬に依存するようになったのである。
これまではパズルを解くこと自体が楽しいと感じていたにもかかわらず、パズルを解くことは報酬を得るための手段にすぎないと考えるように変わってしまったのである。
報酬が内発的動機付けを低下させるというこの結果は、常識を揺さぶる、しかも科学的な見地からは大変刺激的な結果であった。
パズル自体はとてもおもしろくそれをやること自体に楽しみを感じるものだったようです。しかし、一旦報酬がからんでくることによって楽しいとかおもしろいという感覚が失せてしまったわけですね。
デシは、この結果に満足せず、同じような実験を繰り返します。それによって確かに報酬が内発的動機付けを低下させるという同じ結論に至ります。
ここでデシがその著書の中で内発的動機付けについて定義していますので、それをここに示しておきます。
内発的動機づけとは、活動すること自体がその活動の目的であるような行為の過程、つまり、活動それ自体に内在する報酬のために行う行為の過程を示す。
内発的動機づけに対する言葉が外発的動機づけ。
例えば、勉強も学ぶこと自体は案外おもしろいものです。何かを知る喜びを感じたという方も多いのではないかと思います。
しかし、それが外発的な報酬などによって動機づけられてしまうと学ぶこと自体が楽しいものではなく、その報酬に依存してしまうことがあるという訳です。
そのため冒頭の例のようにゲームでつって勉強をさせるということをしていると本来、勉強のおもしろさで自ら子どもが動機づけるのではなく、内発的な動機づけを低下させてしまうのです。
だから、ゲームやお金でつってはいけないのです。
だったら、どうしたら子どもをやる気にさせることができるでしょう?
それについては、またの機会に!
参考文書
- 人を伸ばす力―内発と自律のすすめ/エドワード・L. デシ
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