神田祭-その一- | 『花のほかには』-fuyusun'sワールド-

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fuyusunの『何じゃこりゃ!長唄ご紹介レポート』
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時代 作曲 作詞
明治四十四年十月 四世 吉住小三郎
三世 杵屋六四郎
幸堂得知


四世吉住小三郎はのちのちの吉住慈恭氏。そして、三世杵屋六四郎はのちのちの稀音家浄
観氏の事です。このお二人が作ったのが、研精会。この研精会の100回記念の演奏会で発表された長唄です。
作詞の幸堂得知氏は『歌舞伎新報』という雑誌で劇評を連載したりしていた演劇評論家。また、『曽我の対面』の脚本を書いたり、小説『大通世界』という小説を書いたりと、戯曲家・小説家としても活躍していた人だそうです。この曲はこの幸堂氏の注文で作曲したものだそうです。
「山車と附け祭の囃子を取入れるの・・・」
これが主たるテーゼだっようです。

さて、現在の神田祭というと五月のお祭りで、初夏の訪れを感ずる行事のように思いますが、本来は九月に開催されていたようです。という事で、“菊”とかちょっと秋っぽい歌詞が聞かれます。
このお祭りは、祇園の祇園祭・大阪の天神祭と並んで日本の三大祭りとされています。
1300年くらいの歴史があるそうです。また、江戸の祭りというと神輿という印象が強いですが、そもそもこのお祭りは山車が出るお祭りだったそうです。
明治以降、文明が進み路面電車などの登場において、交通の邪魔であること、また、関東大震災で多くの山車を焼失してしまったことが原因で、今のようにお神輿中心のお祭りになったのだそうです。
ですから、歌詞からのイメージと現在のお祭りのイメージと食い違いがありますが、当時と今とではお祭りの感じが違うわけですね。

この曲のお囃子の中の多くは、お神楽系のお囃子が一杯でてきます。
そうそう、この曲はお祭りのお囃子を網羅するテーゼがあるから当たり前ですね。

さて、この曲は『百夜草』下ノ巻。上ノ巻は半井桃水が作詞の菊の由来を説いた長唄なのだそうですが、現在、どんな曲だったか残っていないのだそうです。
百夜草というのは菊の事なのだそうです。
という事で、この曲にも幾つか菊が出てきます。
九月九日は菊の節句。つまり、九月というと菊なのですね。
ところで、九月から五月になったのはいつ、どうしてなのでしょうか。
九月というと台風の季節ですね。また、この季節は疫病などが流行ったのだそうです。という事で、こういった時期を外しましょうよという事で、明治25年から五月十五日にお祭りが開催されたのだそうです。
あれ?
この曲ができた時は既に五月開催なのに・・・
まあ、夏祭りになって十九年じゃ・・・それ以前のはるか長い歴史がありますから、作者にとっては秋祭りなのでしょうね。

さて余談ですが、神田祭は神田明神のお祭りです。730年創建だそうで、東京で一番古い神社だそうです。もともとは大手町あたりにあったそうですが、天慶の乱で破れた、平将門公の首が付近に葬られ、天変地異の怪異が続き住民が窮したところ、時宗の真教上人が祟りを鎮め、1309年には将門公が神田明神の祭神として祀られましたのだそうです。
つまり、菅原道真の怨念を鎮めるために天神様として祀ったのと同じですね。
そして、江戸時代となって、
徳川家康は、江戸城の鬼門を守るという意味で、今の場所に神田明神を移したのだそうです。
五色のお不動さん。そして、鬼門は神田明神とい感じで江戸の街は守られていたのです。