二つ巴-その二- | 『花のほかには』-fuyusun'sワールド-

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fuyusunの『何じゃこりゃ!長唄ご紹介レポート』
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「二つ巴」とは忠臣蔵の主人公の大石内蔵助の家紋である。
大石内蔵助のルーツは、平安時代の武将藤原秀郷。通称、俵藤太という人だそうです。
俵藤太とは平将門の乱を平定した人。琵琶湖の竜神の娘に頼まれ、彼女を苦しめる百足を退治したという説話がある。つまり、平安時代の豪傑ですね。
吃驚な人の子孫なのですね。この『二つ巴』をやらなきゃ、そんな事知らなかったです。

さて、長唄『二つ巴』の歌詞にも出て来る「山鹿流」。これはいったい何のご流儀なのでしょうか?

山鹿流というのは山鹿泰行という人が説いた兵法です。

この方は会津生まれ。幼少の頃に江戸に出て様々な学問を学ぶ。そして、山鹿流という兵法および古学派(儒教の一派)の祖と呼ばれた人である。

ある時、朱子学について批判。その為に赤穂に流された。赤穂に流された泰行はそこで山鹿流を赤穂藩士たちに教える。大石もその門弟の一人である。山鹿流という中身・・・不勉強のためによく分からないのですが、「皇室尊崇」の思想の学問だったようです。後々、長州の吉田松陰などに影響を与えた学問なのだそうです。

さて、忠臣蔵で「山鹿流の陣太鼓」というのが有名。しかし山鹿流には陣太鼓など存在せず、あれはフィクションなのだそうです。

この吉良と赤穂藩の対立は思想の違いに発端したものという説がある。

幕府第一の吉良。皇室第一の赤穂。例えば、誰が上座に座るか。吉良は「もちろんお上である将軍様」という。赤穂サイドは「皇室の遣いである勅使様」と答える。これじゃ喧嘩が起きても仕方がない事です。

真実はよく分かりませんが、そういったことが原因となってもうなづける事です。