新富座は江戸三座の一つである守田座の前進である。経営者は十二代目守田勘弥。
(五代目坂東玉三郎の養父は十四代目守田勘弥。その人にとっておじいさんということですね)
明治五年に猿若町から新富町に移動。明治八年に新富座と改名。しかし、翌年に火事で焼失する。
で、明治十一年にガス灯などを設置した近代劇場をつくり華々しく開場する。演劇改良運動の場となり洋風な演劇等も上演したそうです。杮落しの記念として作られたのが『元禄花見踊』だったのですね。
明治四十三年に経営は松竹に変わる。大正十二年関東大震災にてまたまた焼失。以降新富座という劇場はなくなってしまったそうです。
そもそも「斧琴菊」は文政年間に三世尾上菊五郎が世に広めた判じ物。「良いことを聞く」という意味。
「春夏冬 二升五合」
「春夏冬」=「秋がない」=「商い」
「二升」=「升が二つ」=「ますます」
「五合」=「一升の半分」=はんしょう・・・繁昌♪
つまり「商いますます繁昌」
とか、、、
まあまあ、こういった粋な遊びをお江戸の皆さんはしていたわけです。
後半に出て来る「蝙蝠羽織」ってどんな羽織か興味あったので調べてみた。
元禄頃に流行った羽織らしい。丈が腰あたりという短い羽織。なのに袖が長いのですって。
で後ろから見ると蝙蝠に似ているから「蝙蝠羽織」ですって。
なんか、アンバランスでカッコ悪い感じするんですが、そんなのが流行っていたんですね。
先日、ある演奏会で
「ひんだ鹿の子」を「ひんだがのこ」と「が」を濁音で発音しているので吃驚した。
ここの部分、
「ひんだかのこ」と唄う人もいれば、
「ひんだがのこ」と唄う人もいる。
また「ひったかのこ」と唄う人もいれば
「ひったがのこ」と唄う人もいるらしい。
「ひった」=「ひんだ」、「ひった」が訛って「ひんだ」なんですって。
「ひった」であろうと「ひんだ」であってもどうでもよいのですが、この「がのこ」の「が」は鼻濁音だと思います。
濁音だと超汚いものがイメージされてしまう。驚きというより、すごく嫌な感じがした。
さて「ひった鹿の子」とは「疋田鹿の子」の事。
そうそう、『京鹿子娘道成寺』の「京鹿の子」は京都を産地とする疋田鹿の子の総称という説明書きを目にしたことがある。
何気に聞き流したりしているが、意外に「何?」というものがたくさんあるものです。
ちなみに「京鹿の子」=「きょうがのこ」の「が」はたぶん濁音だと思う。
この濁音と鼻濁音の区別はやや難しいといえば難しいですね。