俄獅子-その三- | 『花のほかには』-fuyusun'sワールド-

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fuyusunの『何じゃこりゃ!長唄ご紹介レポート』
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〈八月〉

・八朔

一日は農家の台風よけ、豊作祈願に八朔という行事がある。

遊女たちは全員白無垢姿となる。

白無垢の由来は

高橋という遊女が病に臥せっている時に馴染みの客が。高橋は当時の御寝巻きだった白無垢姿で客を迎えた。それが清楚で良かったと言われたから

とか

八朔御祝儀の祝い事には白帷子で登城するという武家社会の習慣。

とか

八月の冷え込んだ日にたまたま白小袖を着ていた遊女が際だっていたから。

などと言われています。


・俄

俄というのは、宴席等で即興的に行われた狂言。

今でも、京都の花街で「おばけ」というものが節分に行われていますが、あれと似た行事ではないかと想像します。


・月見

十四日から十六日。十五夜のお月見です。

えっ?九月じゃないの???と思われるでしょうが当時は旧暦。今の九月くらいですね。


〈九月〉

・重陽

九月九日。農村での収穫を祝うお祭り。衣更え。

菊のお節句で、もともとは宮中の行事で、菊酒などを呑み長寿を祈るお祭り。


・月見

十二~十四日。十五夜のお月見とワンセットであと見の月。十三夜の事です。

十五夜を見たのに、十三夜を見ないというのは「片見月」と言われ縁起が悪い言われた。

で、しっかり十五夜の時に「十三夜も一緒に眺めましょうね」と遊女は客に約束を取り交わしたそうです。


・神田明神祭礼

十五日。今は五月のお祭りですが、江戸時代においては秋のお祭りだったそうです。


〈十月〉

・亥の子=玄猪

十月最初の亥の日にお持ちを食べて無病息災をお祈りする。また、この日より見世に火鉢が出される。

もともと、宮中の行事。

吉原だけでなく、江戸城においても玄猪のお祭りは行われていた。

10月朔日より囲炉裏を開いて、炉で鍋を焼き、火鉢で火を盛る習慣があった。また幕府では大名・諸役人に対して、10月朔日七ツ半(午後5時)に江戸城への登城を命じ、将軍から白・赤・黄・胡麻・萌黄の5色の鳥の子餅を拝領して、戌の刻(午後7~9時)に退出する。 玄猪の祝いに参加する人たちは熨斗目長裃と規定されている。

けっこうきちっとしたお祭りなのですね。


・夷講

二十日。一月に行われる夷講の秋バージョンです。


〈十一月〉

・ほたけ=火焼

八日。稲荷祭りがおこなわれ防災祈願を行う。庭に蜜柑を蒔き禿に拾わせるといった行事。

一般的にも「火焼」という行事はあったらしい。どこかの地域では雪合戦のごとく蜜柑をぶつけ合って防災祈願のお祭りをするところもあるらしい。


〈十二月〉

・事始め

八日が事始め。二月の事納めの説明にも書きましたが、この日より正月行事もろもろが始まりますという意味だそうです。


・煤掃き

十三日は大掃除。平安時代からある行事。ということで、もともとは宮中の行事だったようです。

吉原では、この日に嫌われもののやり手を胴上げするといった変な風習もあったとか。


・餅つき

二十日は箕輪金杉から餅つき要員の応援がきお正月のお持ちの準備をします。

この行事も一般的な行事です。


ちなみに二十五日に見世の周囲が片づけられて松飾が飾られます。

そして、あっというまに大晦日。新年を迎えるという感じでしょうか。


まあ、しょっちゅうお祭りという印象がありますが、

毎月一日、十五日、十七、十八日、二十八日は行事がなくても「紋日」と定められていたそうです。

紋日は何かが高いわけで、できれば安い平日に遊びたいのが人情。

けれど、ケチな男とは思われたくないという男心も持ち合わせているわけですね。そういった男心を刺激して各行事のある日や紋日に廓に足を向かせる手練手管が遊女には求められていたのでしょう。