日本には多くの年中行事がある。正月とか雛祭りとかは年中行事の一つです。
もともとは宮中で行われていた儀式や行事が民間に浸透したものが多いようです。
吉原という江戸最大の遊郭にも多くの年中行事があります。民間と共通した行事もあれば、吉原独特な行事もあるようです。「俄」も八月に行われる吉原独特な行事です。
さて、男性諸君の夢の娯楽街。華やかな吉原にはいったいどんな行事があったのか調べてみました。
〈一月〉
・仕着日
正月元旦・二日は遊女屋から新しい小袖が送られ、遊女たちはそれを来て正月のあいさつ回りに出るとか。基本的にこの二日間は有給休暇だったらしい。
・大黒舞
大黒舞というのは、鳥追いや様々な大道芸を行う芸人。つまり、江戸の被差別階級の人々が担った芸能の一つ。「正月六日からおおよそ二月初めまでの期間、大黒舞ということで非人たちが吉原(江戸吉原)に来て、いろいろの物真似をする。大黒舞というのは形ばかりで、多くは芝居狂言の真似である」と『嬉遊笑覧』(喜多村信節著)に記されている。吉原独特の行事の一つ。(もともとは、大阪や京都・江戸で被差別階級の人々が大黒天を思わせる格好をして新春を祝う門付芸だったらしい)
・七草粥
これは吉原に限らずの行事ですね。今でも正月七日の行事ですね。
・蔵開き
十一日。蔵を開けて新年の空気を入れた。蕎麦切りなどをして祝ったそうだ。
・小正月・藪入り
十四日から十八日が紋日。紋日というのは節句など特別な日と定められている日で、遊女たちは必ず客を取らなければならず、また客は通常料金プラス特別料金プラス特別チップをはずむというのが決まりらしい。
しかし、十六日は藪入りという有給休暇。もともと奉公人が暇をもらって実家などに帰る行事のことを藪入りというようだけれど、遊女は大門を出られなかったので単に有給休暇なのでしょうね。
・夷講
二十日。商売繁盛を祈願し、夷棚を飾り、親類や知人を呼んで宴席を設けるなどしたそうです。
十月にも夷講はあります。
〈二月〉
・事納め
八日に行われる。新年始まったばかりなのに「事納め」なんて・・・。しかし、十二月八日は暮なのに「事始め」だ。
これは正月を中心とした考え方で、正月行事の始まりだから十二月八日が「事始め」。で反対にもう正月行事はおしまいの二月八日が「事納め」という考え方らしい。
・初午
最初の午の日。江戸・京では遊女の名前を記した大提灯をつるしたそうです。
吉原の守り神である九郎助稲荷をこの日はお祀りしたそうです。
〈三月〉
・ひなまつり
箕輪あたりから桜の木を持ってきて植えたとか。で花が散ったら撤去・・・。贅沢ですね。
ひなまつりというと桃の花をイメージしますが、旧暦ですから、この季節は桜の季節。お花見期間。
お花見期間はずっと紋日。そりゃそうですね。桜をどこからか持ってきて吉原内でお花を楽しむ贅沢をするのですものね。
〈四月〉
・衣更え
一日は、袷から単衣の着物に衣更え。
・灌仏会
八日はお釈迦様のお誕生日。いわゆる花祭りのことです。
〈五月〉
・端午の節句
五日・六日は菖蒲のお節句です。廓内は花菖蒲で飾り立てられ、お互いを菖蒲の葉でたたき合って邪気を払う菖蒲打ちを行います。
子どもは立ち入り禁止。菖蒲打ちの儀式で小さな禿が怪我をしたことがきっかけとか。
〈六月〉
・富士権現祭礼
一日は通常の紋日でしたが、この日は富士権現のお祭りがあって、吉原もにぎわったのだそうです。
〈七月〉
・玉菊灯篭
若死した玉菊という売れっ子花魁の追善供養のために、一日から十二日、仲の町の茶屋の軒先に揃いの灯篭を飾ったとか。しかし、一説では玉菊花魁が生きていた時代からこの行事はあったとか。
・七夕
笹を立て、短冊や酸漿を飾ったとか。今とほとんど一緒です。
・四万六千日
十日。浅草観音の行事で、おかげ様をもって吉原も大繁盛。紋日ではないという説と、紋日だったという説がある。
・草市
十二日。お盆に備えてお盆に必要な草花を売る市が開催されたそうだ。
・髪洗い日
七月十三日はどこの店も休業。当時、だいたい遊女たちは月に一回の洗髪をしていたそうだ。でも日程なんて決まっていない。ただ、七月十三日だけは邪気を払うという意味でみんながいっせいに洗髪をしたそうだ。
・盆
十五日・十六日はお盆。大紋日で公休日。
また、仕着日で、店主が遊女のために薄着の着物を送ったとか。今でいうボーナスであろうか?!
・玉菊灯篭
十三日から十六日にかけて、それまで飾ってあった灯篭をはずし、そけぞれのお店が趣向凝らした灯篭を飾ったそうです。
さてさて、長くなったので八月からは明日に書きます。