年代 | 作曲 | 作詞 |
1834年天保5年 | 四世 杵屋六三郎 |
不明 (作曲者自身?) |
まずは“俄”ってなんでしょうね。さっそくネット検索してみました。
「江戸時代から明治時代にかけて、宴席や路上などで行われた即興の芝居。仁輪加、仁和歌、二和加などと表記する場合もある。内容は歌舞伎の内容を再現したものや、滑稽な話を演じるものがあったようである。路上で突然始まり、衆目を集めたために、『俄かに始まる』という意味で、俄と呼ばれたとされる。遊郭などで、多くは職業的芸人でない素人によって演じられた」と載っていました。
廓の行事の『俄』というのは、三月の夜桜、七月の灯篭といった行事があったようですが、それに並ぶ重要な行事の一つで八月に行われた行事なのだそうです。(おおっ!とかだ勘違いをしていました。そうそう、季節です。私は、ずっとこの曲は廓のお正月と思っていました)
八月に行われるようになったのは、享保・・・つまり徳川吉宗の時代。その前までは春と秋に行われていたそうです。
この曲は天保五年(1834年)ですから、もう夏の行事になってからですね。
今でも、祇園などの花柳界に“おばけ”という行事があるじゃないですか。
あれと似たような行事。遊女に仮装させたり、などなど、一番賑わった行事のようです。
この行事、明治中期まで続いた行事なのだそうですよ。一発芸的な感じで一鎖演じたらお終いだというのに、振り付け等は一流の振り付け師に注文したとか。
さすが、江戸の吉原。派手でございます。
今のように、週刊誌があった訳でもなし、テレビがあった訳でもなし・・・ましてや、ネットなど無い時代。
当時の流行の先端は、こういった吉原とか花柳界、あとはお芝居とか。
という事で、明治頃では、この翌年の舞踊界の流行はこの“俄”にあったそうです。
この俄獅子というのは、この吉原の“俄”という行事の情景を描いた長唄です。
杵屋六三郎が、元来あった『相生獅子』の歌詞をもじって作曲したのだそうです。
もともと、この曲は素の演奏用として作曲されたものなのだそうです。
どうも、噂による六三郎さん・・・廓にはまって、居続けしながらこの曲を作ったとか・・・。
歌詞に「抓ったあとのゆかりの色は~」なんちゅうのがありますが、もしかして、お馴染みの姉さんにギューと抓られてしまったのは六三郎さんかもしれません。
この曲の歌詞。とっても粋で艶っぽい感じです。
でも、ぜんぜんいやらしくないのが不思議です。こういった表現能力。江戸時代の人は本当にお洒落だなぁと思います。
とっても華やかな曲で、その賑やかで眩しいくらいの情景が目に浮かぶ感じ。そして、そこに存在する人々の命を感ずるような素敵な曲なんですよ。
さて、この曲のお囃子です。
私はお囃子大好き人間なので、ついついお囃子メインになってしまいます。
この曲のちょうどクドキの部分にあたるところがあります。(人目忍ぶは~あたり)
出端越の段という手組みがそこには入るのですが、今はほとんど打ち物は入らなくて、笛のみが入ります。
普通、クドキというところは、唄の聴かせ処なので笛以外の鳴り物って普通は入りません。
しかし、何故かこの曲にはお囃子の手組みが入っているんですよね。
出端というのは、登場人物の出に使われる手組みなんですが、越の段の場合はもっとくだけたもので、花見踊りの最後の方にも出てくるし、娘七草の中盤にも出てきます。
調べたところによると、大皮があしらう手の越す手というのは頻繁に使うから“越の手”というとか書いてある文献がありましたが・・・そうなのかな?
私は、大皮をお稽古した時にここの手組みを教えて頂いたのですが、ここは本当に難しいところです。
唄がメインのところですから、絶対に邪魔になってはいけないのですよ。
曲想でやっぱり何がメインというのはありますものね。
打楽器はインパクトが強いから、あしらっているつもりでもけっこう煩くて、曲を壊しちゃう事ってありますものね。
何時の頃か、手組みはあるけれど、ここは曲想的にクドキに値するところだから、鳴り物が入るのはあまり好ましくないのではという事で、打たなくなってしまったそうです。
ある演奏家さんは、今でも、この部分を太鼓だけ打ったりされる事があるのですが、超ピアニシモ。
柔らかく、かすかという感じで打たれています。
そうか、もしここを打つのならこういった感じで打たなければならないのかと大変勉強になった覚えがあります。
なんでも「デケデケ」と無神経にしか打てない私には、超難しい芸当です。
でも、三味線の旋律聴いていると、うーん入れたくなる雰囲気のメロディーだなぁといつも思いながら聴いています。
お囃子ついでに、
この曲の締め太鼓。幾つか、お祭っぽい手が入ります。
長唄には長唄独自なお囃子もありますが、お能やお祭のお囃子から頂戴しているものがけっこうあります。
このお祭っぽいお囃子はまさしくお祭のお囃子の手を頂戴しています。
これが難しいのよね。軽快に粋に打つってこれほど難しい事はないように思います。