時雨西行 | 『花のほかには』-fuyusun'sワールド-

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fuyusunの『何じゃこりゃ!長唄ご紹介レポート』
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年代
作曲
作詞
1884年元治元年 二世杵屋勝三郎
河竹其水

                 ※河竹其水とは河竹黙阿弥の初期の頃のペンネーム


謡曲の『江口』を長唄化した作品なのだそうです。
西行法師が書いた『撰集抄』に摂津の江口の遊女である妙と西行の歌問答の話と、『十訓抄』の性空上人が遊里で普賢菩薩を拝んだという話をミックスして出来たのが、謡曲の『江口』です。

大阪市東淀川区南江口にあり、淀川の右岸に位置するのが江口です。平安京から山陽・西海・南海の三道を必ず通る所の宿場町だったのだそうです。繁栄した宿場には遊里ありなんでしょう。平安時代からこの地には遊里があったようです。


題材となっている『江口』という謡曲のストーリーは以下の様なものです。
『花のほかには』-fuyusun'sワールド- “旅僧が摂津の国江口の里で遊女江口の君の旧跡に立ち寄り、昔西行法師が宿を断られ「世の中を厭うまでこそ難からめ仮の宿りを惜しむ君かな」と詠んだ和歌を口ずさむと一人の女が現れ「法師さまを遊女の里に泊められなかったので」と弁解し、自らが江口の君の幽霊と名のり姿を消す。
僧が夜更けに江口の君を弔っていると月夜の川面に屋形船に乗った江口の君が現れ昔の船遊びの様子や遊女の境涯を述べた舞を舞い、やがてその姿は普賢菩薩となって西の空へ消え去った。”

この“江口の君”というのは、
『新古今集』の中にある、西行法師と歌問答をした遊女の妙の事なのだそうです。
彼女は、平資盛の娘で没落してこの里の遊女に身をやつしてしまったのだそうです。
平資盛は、平家一門の武将。和歌に優れた人だったようです。
なるほど、そういう家に生まれた人だから、西行のような和歌の名人と歌問答なんか出来ちゃうのでしょうね。
この妙が築いた庵は寂光寺(右の写真)と呼ばれ今でもあるのだそうです。

西行法師の父は左衛門尉佐藤康清。母は源清経の娘。西行は通称俵藤太すなわち藤原秀郷の九代目の子孫だそうです。俵藤太・・・。聞いた事が、、、ああ、『二つ巴』を調べた時に大石内蔵助のルーツだ・・・。
という事は、西行と大石内蔵助は血縁関係にあるんですかね??!
俗名を佐藤義清という。文武に優れハンサムボーイだったらしい。そんなスーパー青年が二十二歳で出家してしまう。
出家の理由は
①に救済を求める心の強まり
②急死した友人から人生の無常を悟った
③皇位継承をめぐる政争への失望
④自身の性格のもろさを克服したい
⑤鳥羽院の妃・待賢門院(崇徳天皇の母)と一夜の契りを交わしたが、「逢い続ければ人の噂にのぼります」とフラレた。すなわち失恋。不倫の末の失恋かい。


この『時雨西行』という曲はとっても良い曲と思いう。
でもね、一つ首をかしげるのは、女の一人住まいに「一晩泊めてください」なんて、断られて当然なのに、、、
「チェッ!ケチ」と言いたいが如し、お坊さんの癖に嫌味の一首。このシーンはあまり好きではありません。
山の中の一軒なら・・・。いやいや、雲水の人だったら、普通はお寺の境内で雨露を凌げるところで野宿したりしますよね。
私は江口というところが、超ド田舎で人里離れた場所と思っていましたが、けっこう賑やかな宿場だったようですね。ならば、宿屋もあるだろうに。またまた、野宿に適した場所もありそうな感じがしますけれどね。

以前、ある舞踊会で、江口の君に宿を断られた西行が「チェッ!ケチ」と怒りを少し表現した演出で踊られた方がいまして、西行はお坊さんなのに俗っぽすぎと思いました。

今まで、この遊女は実は普賢菩薩だったんだと思いこんでいましたが、勘違いでした。
彼女の話を聞きながら、彼女の中にある普賢菩薩の心を感じたのですね。
宿を断られた西行は
世の中を厭うまでこそかたからめ、かりの宿りを惜しむ君かな」すなわち
「悩み多い世の中を嫌って出家するまでは貴方にとっては難しいでしょうが、一時の宿を貸すのも貴方は惜しむのですか」と宿を断った遊女をなじった気持ちを込めての歌を読む。
すると「世を厭う人とし聞けば仮の宿に、心とむなと思ふばかりぞ」と遊女は返歌した。
「あなたは悩み多い世の中を嫌って出家された方なのに、一時の宿に執着されるなと思うだけなのです」と返す。
素晴らしい。遊女妙にパチパチです。
出家するという事は俗世を捨てるという事。様々な欲を捨て、物事の執着も捨てる。それが出家する事。
西行のまだまだ未熟な心を諭すような歌。素晴らしいと言うより、カッコいいです。

さて、西行というと「桜」なのですが、この曲は珍しく秋なんですね。
西行ものとしては珍しい背景だと思います。