『浅妻船』の作曲者は二代目の杵屋佐吉。
う~ん♪杵屋佐吉♪
杵屋佐吉と聞くと、私は四代目杵屋佐吉をすぐに思い浮かべる。
低音のセロ三味線とか、大きな大きな三味線=豪弦、電気三味線(咸絃)などを考案。芙蓉曲なるものを創始した人物です。
豪弦は写真のような大きな三味線。
http://www.colare.jp/rareko/koten/vol35.html
長唄の業界では地味な方だったんだろうなぁ・・・
なんて思っていました。
ところが合点。失礼いたしました。
長唄の業界でも、大変に偉い方だったのですね。
四代目杵屋佐吉は明治17年に生まれた。今の七代目杵屋佐吉氏のおじい様である。
三代目杵屋勝三郎・杵屋六三郎・芳村伊三郎に師事。1904年に祖父三代目杵屋佐吉の名前を継承。同時にタテ三味線に昇格。その語、現在の松竹の長唄部長に。また1907年。明治座の囃子頭になる。1925年大正14年に長唄協会の設立メンバー。昭和13年三代目会長となる。『二つ巴』『黒塚』などなど作曲する。
芙蓉曲は三味線小曲。残念ながら拝聴したことがない。でも、名前から綺麗な音楽を聞かせてくれそう。
初代杵屋佐吉は、二代目杵屋六三郎の門弟。明和五年ごろから番付に名前が認められ、安永末頃にタテ三味線に昇格する。『蜘蛛の拍子舞』などを作曲する。浅吉という子供がいた。やはりこの方も業界人だったのですが、なぜか父親の名前を継承せず阿佐吉という名前で活躍する。で、初代佐吉の門弟の和吉のまた更に門弟の和助が二代目を襲名する。二代目佐吉の門弟の和市が二代目阿佐吉を継承したのち三代目佐吉を継承。
ここのご一族の家系図を読んでいると頭がクルクルしてしまう。
そして、三代目からやっと血族で継承の図式になって今に続くんですね。
作曲者の杵屋佐吉からちょっと寄り道してしまいました。