浅妻船 | 『花のほかには』-fuyusun'sワールド-

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fuyusunの『何じゃこりゃ!長唄ご紹介レポート』
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年代
作曲
作詞
1820年文政三年 二世杵屋佐吉
二世桜田治助

浅妻というのは土地の名前です。現在の滋賀県、琵琶湖の東岸に息長川のそそぐ河口に開けた港町です。
井原西鶴の処女作『好色一代男』において、「本朝遊女の始まりは、江州の朝妻、幡州の室津」と言われたほどに繁盛した、色町で知られたところだったそうです。
浅妻船というのは、舟に遊女を乗せて夜泊の客に媚を売って商売をしていたそうで、その舟の事なのだそうです。

この曲の舞踊は烏帽子水干の舞姿。
これは、元禄の時代に多賀潮湖(英一蝶)という画家が、烏帽子水干の舞姿で船中で鞨鼓を打っている遊女の姿を書き、「百人上臈」(美人百態)のうちの一つとして売り出した。
これ以来、“浅妻船”と題され、有名な画題ともなったのだそうです。
実は、もともとこの絵は、美人一人の絵ではなく、気高い美男の殿様が自ら小船に棹をさしており、美女が綾の袂を翻し小鼓を打っている図柄だったそうです。
美男の殿様は五代将軍綱吉、美女は愛妾のお伝の方。将軍の恥溺生活を風刺したものといわれ、島流しなんぞに罰せられたのだそうです。後々、五代将軍が死去し恩赦を受けて再び絵を描くようになったというエピソードがあるのだそうです。

この曲は、綱吉とお伝を風刺した絵ではなくて、江頭の柳かげに浮かんだ船の中に烏帽子水干をつけた遊女が乗っているという絵からヒントを得て作られたものです。
夜毎かわる梶枕。遊女の哀れを唄ったものです。(梶枕というのは、舵を枕にして・・・らしいです)
この曲は、文政三年九月に中村座で三代目坂東三津五郎が初演したものです。
『月雪花名残文台』という七変化ものの冒頭で踊ったものだそうです。
本名題を『浪枕月浅妻』。
この『月雪花名残文台』の中には、この『浅妻船』の他に、長唄の『寒行雪姿見(まかしょ)』や清元の『玉兎月影勝(玉兎)』が含まれています。
この三代目坂東三津五郎は初代坂東三津五郎の実子。この『浅妻船』をはじめ『汐汲』『傀儡師』などを初演。三代目中村歌右衛門と競う名優です。
彼の女門弟が町の師匠となり、その流れを受け継ぐ人たちが集まって現在の坂東流が出来たと言われており、坂東流の流祖と言われているそうです。

さてさて、この曲なんですがね。
滅多に長唄の演奏会では出ない曲。お目に掛かるのは舞踊会ばかりですね。
踊りの会に行くと、視覚の印象が強すぎて、音楽の印象が薄いのであります。
何度か聴いた事があるはずなのですが、お囃子のお稽古でやる事になって、初めて音楽を聴いた感じがします。
印象薄い曲ですが、じっくり聴くと良い曲です。