“アカデミー主演男優賞×2”+“アカデミー主演女優賞”+“アカデミー監督賞”
まぁ、なんと豪華な顔ぶれでしょう!? 『チャーリー・ウィルソンズ・ウォー』は。


この映画では、アフガンへのソ連の侵略をたった1人で防いだ男の物語
となっています。そして、この映画と同時期に「ランボー4」で
テロリストの残虐性を描いたことも注視しなければなりません。

この映画が封切られた頃、アメリカが始めた対テロ戦争で混乱させた
イランでの米軍撤退を含め、アメリカの対テロ対策が問題になっていた頃。

つまり、戦争は後の処理(学校作ったりして、アメリカに都合のいい
教育を施すことで敵対心をなくす)が大切だということを言いたいのか?
(だからイラン駐留は必要なんだという理屈)

アメリカが解放してやったのに、今はアメリカに牙を剥いてる外道国家
という印象を与え、戦争を遂行しやすくしたいのか?

いずれにしろ戦争反対勢力を多少でも影響力を弱め、戦争継続への
国民のコンセンサスを得られるようにしたいという政治的な映画なんでしょう。

冷静に考えたらわかるけれど、この映画の通りだったら、
なぜ、これほどまでに彼らはアメリカを憎悪するのか? 理屈が通らないでしょ。

ただ単に戦後処理としてアメリカよりの教育をができなかったからなんて
そんな単純な話ではないのは道理。

彼らは戦争の裏でアメリカが糸を引いていたのを知っているし、
麻薬というカタチで武器の代価が支払われたことも、また、
同じ理由で経済援助が受けられなくなった、つまり、アメリカの都合で
振り回されて国がぼろぼろになってしまったことを知っているのです。

トム・ハンクスが出ているから、もう少し、例えば
9.11のテロリストたちをアメリカが生み出していったことの告発
みたいな流れが、もう少し出ているかとおもったんだけど、
ただのアメリカの自己満足映画に感じましたね。

唯一、議員が議員を目指した原点だろうと思われるエピソードを
トム・ハンクスが話すシーンが、良かったかな。

ま、いずれにしろ、『チャーリー・ウィルソンズ・ウォー』は、
「アメリカ人のアメリカ人のための慰めの作品」ですね。


最後まで読んでくださったあなたに、全ての良きことが雪崩のごとく起きます。



石神の慟哭!
容疑者Xの献身 , 堤真一 , 松雪泰子


仕事が一段落したので、帰りに『容疑者Xの献身』を見てきました。

原作を読んだ時の感想はこんなにも美しく残虐で切ない物語は
他に知らないということでした。

この場合、私の言う美しさは、物語の精緻さと主人公の献身。

純粋に人を想い、その人を助けるためにどんな犠牲もいとわない
合理的思考が導きだした結末は、また人の心によって無惨に終わってしまう。

その想いが常識的な尺度では測れないほど強いものだから 余計に悲しい。

映画のキャスティングでは原作に出てこない柴咲コウちゃんが出てくるし、
主人公の石神(この映画、この原作では間違いなく主役は石神です)を
堤真一が演じるので(かっこ良すぎる)、この無惨さ悲しさが
だせるのかとても不安でした。

さらにテレビシリーズの映画化って、たいていの場合、
派手にすればいいやって感じの「金のかかった2時間ドラマ」って
レベルの作品が多いので、それも不安でした。

しかし、そんなことはぜ~んぶ杞憂でした。
この映画は映画館で見なければなりません。

映画館という日常から切り離した空間で見るからこそ、
あのじっくりした演技を堪能できるんだと思います。

DVDで見たら、否が応でも画面の周りに散らかっている日常が目に入って、
この映画の控えめな演出が退屈なものになってしまう可能性があります。

それに映画館の暗さを利用した最後の電話のシーンとか、
ちょっとしたことなんだけど、映画館だからこそ
観客に感じさせることができるものがあると思う。


とにかくね、石神@堤真一が素晴しい。淡々とした演技が
ラストのあの咆哮とも言える慟哭に繋がってて、気がついたら涙がでてました。

それと靖子@松雪泰子さんも素晴しかった。
あのダンカンとクリスマス(?)の夜のシーン。
あんな演技ができる人なんだ。正直驚いた。

それに、石神の回想シーンで出てくる松雪さんの美しいこと。

原作では、自殺願望のある主人公が隣に越してきた女性に惹かれて
生きる気力を得るくだりが、ちょっと弱かったんだけど、
映画ではあのワンカットだけで理解できてしまう。

それだけに湯川が靖子に推理を語るシーンで、
事実を知った靖子を是非演じてほしかった。

それにあのガリレオの「あなたは真実を何もしらない」
って台詞を入れてほしかった。

トリックを解くのを最後まで引っ張りたいなら、
湯川の台詞をカットして(事実映画ではカットされている)
靖子が推理を聞いた直後のシーンをつなげばいい。

そうすればラストの石神の慟哭と対をなして、
もっと余韻の深い映画になったと思う。

さらに最後の大学でのシーンと字幕時の背景に映っているシーンは不要。
あんなとこで説明せずに、ズバッと切って終わった方が余韻があっていい。

あと、控えめな演出の長めの映画だから、
中だるみを恐れたんだろうけど、あの山のシーンは全くいらない。

その分、ちゃんと靖子と娘の関係を描いた方がよかった。
結局、靖子側の動機もそこにあるわけだから。

とまぁ、いろいろ苦言を書きましたけど、
本当に凄い演技を見せてもらいました。
予算をかけず素晴しい映画が撮れる証明ですね。


原作の方も短編集『ガリレオの苦悩』が出たし、
同時に2作目の長編『聖女の救済』もでたから、
またテレビシリーズをやって、もう一度映画って話になるかもね。


公開中話題だったのに見に行けなかった『相棒-劇場版-』を見ました。

う~ん、大量のエキストラと爆破シーンのために予算が必要で、
2時間ドラマではできないから映画にしたって言うレベルの作品ですね。

もっと大人の映画かと思っていたんですけど、
チェスを使った犯行予告とか、振り回され方とか、
不自然きわまりない展開が多すぎ。

サイトが乗っ取られようが、サーバーは物理的に存在する訳で、
そこから管理者を辿ることなんて簡単なのに、それすらしないし。

あげくの果てに東京マラソンを人質に取った展開でありながら、
大山鳴動して鼠一匹みたいな世界だし(ネタばれとかじゃなくて
見ていたらすぐにわかりますよ)。。。

結局、動機は非常に政治的なものが出てくるんだけど、
実際のイラク人質事件を下敷きにしていると思われるだけに、
中途半端な社会批判みたいな描き方はどうなの?

あの時の異常な自己責任論は、この映画のような裏があるかどうかは
どうでもよいことなんですよ。責任ある一国の宰相が、
ああいう時に使う言葉として適切だったかどうかということ。

この映画ではああいう裏を作ることで国を悪者にして、
簡単にかたずけちゃったけど、それはあの自己責任論と同じ、
単なる思考停止にしか過ぎないんですよ。

そういう意味では、映画としての評価が3だとしても、大幅に減点せざるを得ない。


『相棒-劇場版-』のような映画を作ったからといって、
こんなことでテレビ局の免罪符にはできないんですよ。

最後まで読んでくださったあなたに、全ての良きことが雪崩のごとく起きます。