ミニバスに乗って行き先告げるとき足元にいた鶏が鳴く


ミニバスと呼ばれる所以定員を無視して座る車内は狭し


出発の遅れに怒る人がいて会話を楽しむ人々がいて


二つ目のバス停に差し掛かるときヤギが一頭乗り込んでくる


ふりだしに戻るというはこのことか「ガソリンを入れ忘れた」からに


母と子が隣の席に乗り込んでくればたちまち始まる授乳


体勢を変えられぬほど狭きゆえ授乳の赤子と目が合っている


「持っといて」言われるままに抱く赤子もう一方の子どもが泣けば


「触ってもいい?」と逐一母親に許可取りながら我に伸びる手


教室で子を育てた気になっていた我が身を恥じる貴女を前に


愛情や慈しみなどこの世には貴女のための言葉の多き


あいさつのクラクションにヤギが鳴く鶏が鳴く赤ちゃんも泣く


バーストの修理を待てば時間とかどうでもいいやと背伸びする空


青空と浮かんだ雲の色合いに塗られて走る人々の足


This is a my favorite car which painted by colors like Zambian sky


ミニバスの車窓の風に口ずさみたくなっているザ・ブルーハーツ


ルコンバはまだまだ遠いこの空が続いてる先そのまた向こう


青年海外協力隊(理数科教師)の一生一句~アフリカから一句、詠ませていただきます。~-ミニバス
             ミニバス(僕の町まで乗せてって。)
ミニバスに乗って友を訪ねれば電線がふと途切れた車窓


草原に轍ができる人々がその先にある水を求めて


大自然一羽の蝶が現れて不自然として在る赤・緑


小さなる蟻にも向かう場所がある赤い大地にできる行列


静という忙しさがある風の舞い蝶の羽ばたき蟻の行進


目をとじて耳をすませば見えてくる地球の呼吸私の呼吸


雄大な「なんにもないが」ここにあるリアルアフリカ パ・ニャングエナ


一球をラリーでつなぐコートにて敵も見方もないように見え


汚れるという純粋 草の上子どもが躊躇なく転げれば


青空に皆が混ざれば子の描く絵みたくなったしろくろきいろ


笑おうとしている不純 子どもらと画になるように写真を撮れば


藁葺きの屋根に視線がいっている元太陽電池設計者なり


暗いとは表現したくない光一日分の天道の恵み


「やさしい」という形容詞用いればしっくり光る食卓の上


隔たりはネットが一枚あるだけのみんなが同じ空見上げた日


写真にしか写らない美しさ一瞬君が笑ったという


遥かなる友の存在疑わず孤独を忘れるほどの星空


もう二度と訪れることない町を振り返らずにいる帰り道


振り返れば道振り返らないでも道 町から町へ我らを連れる


ミニバスは時間を思い出しながらゆっくり首都へ加速してゆく


ルサカには何でもありてなあんにも感じずにいて信号を待つ


今一番何がしたいって、冷えたコーラ冷蔵庫から取って飲みたい


飲み干せば何かを失くすようにしてにコーラの泡がはじけた真昼


青年海外協力隊(理数科教師)の一生一句~アフリカから一句、詠ませていただきます。~-バレーボール大会
            バレーボール大会(みんな、空の下。)
草刈の匂いが残る校庭にフットボールが始まっている


チーム分けするユニフォームがないからにコインで決める着物と裸


教室で制服を着ていた君の露となりし黒き彫刻


窓際でほおづえついていた君がセンターハーフで輝いている


厳正なフェアであるべきグランドに我だけが履く新品の靴


素朴なる「痛くないの」という問いに「痛いに決まっていますよ」と君


同様に表と裏が出るというフェアなコインを投げた青空


グランドで裸チームが恥らえば空の下でも思春期の君


子の決めるロスタイムとはいと長し試合の終わりは陽が沈むまで


アフリカは時間を持たぬ国である時間に富める住む民の故


青年海外協力隊(理数科教師)の一生一句~アフリカから一句、詠ませていただきます。~-アフリカのロスタイム
         アフリカのロスタイム(失うもの、得るもの。)
降水率上がれば下がる出席率 君待ちながら雨季は深まる


期待することと信頼することのちがいを思う教室の隅


軒下に他人が集う雨宿り 見合わす顔のあたたかきこと


雨宿り等間隔で並ぶ人 人間はみな平等である


願いとはいつでも上にあることを信じてやまず仰ぐ青空


雨あがり同じ顔して見上げれば一人の他人として歩き出す


ザンビアと日本の国旗が並びおる洗濯ものを干す晴れた午後


We're together, but we're also alone. I'm washing, you're watching.



青年海外協力隊(理数科教師)の一生一句~アフリカから一句、詠ませていただきます。~-洗濯の時間
            洗濯の時間(Washing and watching。)
ニッポンを五分で予習してニホンジンの顔して教室に行く


チテンゲをまとえば注ぐ視線浴びつくづく我は日本人なり


「ドッコイショ!」覚えたばかりの言語にて言うぎこちなさ親しんでおり


ネクタイをゆるめて腕をまくる君 叱らずにいる体育の時間


静という動作もあらん 銘々が空に浮かんだ時刻をつかむ


遠い遠い母なる海を思いしに少し寂しいダンスのあとは




今学期から指導することになった体育の時間で、「ソーラン節」を教えている。今週で3回目ということと、放課後の自宅の庭で開いている自由練習の甲斐もあって、なんとか形になってきている。

ザンビアにおける体育の授業は、他の主要科目に比べると優先度は低い。学校によっては指導できる教員がいなくて、体育が時間割にないところもある。僕の配属先においては、週に1コマ=40分。たったの1コマを楽しみしてもらえるような授業にしていきたい。

ダンスは共通言語だ。ザンビアは内陸国で海など写真でしか(あるいは写真でも見たことも無いかもしれない)見たことない生徒に、「これは海の漁師の踊りなんだよ。」と説明してもキョトンとするだけ。でも、一度おどれば、その説明を理解しているかのように、海を、波の動きを表現していると感じる。

帰国前にはJapanese Festivalを任地ルコンバで開催し、ぜひ彼らの晴れ舞台をセッティングしてやりたい。やるからには他人を感動させるものを表現できるよう、生徒と共に本気で取り組んでいきたい。

青年海外協力隊(理数科教師)の一生一句~アフリカから一句、詠ませていただきます。~-体育の時間
            体育の時間(ドッコイショ~ドッコイショ~。)
教え子をせんせいと呼ぶ恥ずかしさ 互いを知らぬ年月のため


少しだけサイズの大きなスーツ着て教師の顔になる実習生


恩師らに会えば半人前の君 教師の顔と生徒の顔と


質問を職員室で投げやればいよいよ君は同僚である


戻るとは進むひとつの形かもしれぬと思う 母校に来れば


黒板に書かれた今日の日付けさえ 見るものすべてがデジャ・ヴュのように


いつの日か恩師が言っていたことを繰り返すのは教師のさだめ


繰り返すことと伝えることの差にこだわっている指導書作り


将来の君をイメージして投げる「時限言葉」の届かんことを


子どもらと例えてみたき草の根は空にも負けぬ青さを放つ


見えぬもの見れた気がした教育の答え こうして君と出会えば


学び舎は学び舎として立っている変わらぬものの象徴として




前任・前々任ボランティアの教え子が教育実習生として、母校ルコンバ小中学校にやって来た。彼は今21歳、数学の先生になるために大学に通っている。数学の教師を志したきっかけは、彼がまだ中学2年生のときにやって来た、遠い異国のボランティアとの出逢いだった。

就活生のような一張羅は少しサイズが大きめだ。それが何故だかフレッシュに感じて、自分も駆け出し教師にも関わらず、ついつい先輩風を吹かしてしまう。「指導書見せてくれないか?」「どうぞ、Sir!」「なかなかいいじゃん!」「Thank you, sir!」、という具合に。

自分の準備で分からない問題があって、「この問題はどうやって解くか分かる?」と尋ねると、「ちょっと待っててください」と言って、彼は解き方を調べる資料を探すためどこかへ行った。数分後にまた戻ってきて、「Sir!分かったよ!」と丁寧に説明してくれた瞳は頼もしい限りだった。

教育は長い年月がかかるもので、その場では成果が見えないことのほうが多い。駆け出しとはいえ、教室で生徒らと接して来て、心が折れることは今まで何度でもあった。その苦労が無駄ではないのだと思えるのは、彼のような生徒に出会えることも一つの理由だ。教師冥利、ただその一言。こうして君と出会えたのだから。

青年海外協力隊(理数科教師)の一生一句~アフリカから一句、詠ませていただきます。~-チョサンガ先生
                Mr.Chosanga(チョサンガ先生)
始業式明るい色のネクタイを選びおるこの性格が好き


登校の一年生が立ち止まる「コイツハダレダ」と目が言っている


しゃがむとは愛ある動作 親が子の目線になってボタンを留める


窮屈な第一ボタンが気になって入学式は始まってゆく


しゃがみ込みアングルはよし 左からナース、ドクター、ティーチャーが夢


新品を着れぬ入学式のあと蒼きマンゴーのみが看ていた




ザンビアの学校の年度は一月から始まる。入学式という形式的なものは、ここルコンバ小中学校にはないけれど、小学1年生の生徒たちが親と校長室で順々に手続きを行っていくのがその代わりだ。

多くの生徒が新品のチェックの制服を着ていて、少し意外だった。ちょっと大きめのサイズの制服、大きめの背中のかばんが愛らしい。たぶん親に留められたボタンがちょっと窮屈そうで、これもやはり愛らしかった。

外国人を間近でみるのが初めてなのか、親に手を引かれ僕を見る子どもたちの表情は怪訝だ。現地語で「おはよう」と言うと、友達とニヤリと顔を合わせて「おはよう」と照れながらも返してくれた。「入学おめでとう。」と心の中でつぶやいた。

担当するG8(中学1年)の生徒は、手続きの関係でまだ2割ほどの生徒しか登校していない。初の体育の授業では、その生徒らの前でソーラン節を踊った。キョトンとしていたけれど、必ず巻き込んでみせる。蒼きマンゴーが残る頃、ザンビアで教える最後の一学期がゆっくりと始まってゆく。

青年海外協力隊(理数科教師)の一生一句~アフリカから一句、詠ませていただきます。~-子の目線で
              子の目線で(入学おめでとう。)
少年の目尻に留まる一匹の蝿が時間を止めた路地裏


「Give me money.」「No,I don't have any money.」
just sounds like a candy getting wrong way.


貧富の差 埋める大義はなきにせよ 生める貧富の差は吾のためぞ


生きるとはしがみつくこと 汚くて臭い路地裏 母子の授乳


愛という言葉を知らぬ子が我に飛びつくあいを何と呼ぼうぞ


路地裏を抜ければ空は大げさにわざとらしいほど快晴である


きみは君わたしは私 七色が違いであって差でないように




昼食の行きつけのシマ(ザンビアの主食)屋はマーケットの路地裏にある。汚くて臭くてうるさい、不快指数が相当高い場所へ僕が毎日通う理由は、なんとなくこの国の生々しさを感じられるから。もちろん、おばちゃんの作るシマとおかずの揚げ魚がおいしいことも。

今日はその路地裏で珍しくお金をせがまれた。しつこさに耐え切れず「オレだってお金持ってないんだ!」と口をついて出た、嘘。「それを言っちゃ~いけないよ!」と相手も本音を、ポロリ。

援助慣れしたほうがわるいか、援助慣れさせたほうがわるいか。とにかく彼らからしたら、僕はお金持ち、なんだ。僕がこの国いる意味の矛盾に、たまらず仰いだ空は皮肉のように青くて、広かった。

家路で近所の子どもたちが僕に駆け寄って、「Yuji!」と膝に飛びついてきた。毎度のように思い出す、ぼくは僕であるということ。雨上がりの空に虹がかかっていた。雨季という季節があるザンビアにおいて、それはそう珍しいことではない。

青年海外協力隊(理数科教師)の一生一句~アフリカから一句、詠ませていただきます。~-七色
               七色(混ざらずに、濁らずに。)
国境は国を隔てる 線路とは国を繋げる おなじ線でも


一本の線をなぞれば隣国へ辿り着けるは「タザラ鉄道」


わすれものしてた予感も忘れゆき旅はだんだん始まってゆく


何気ない景色は車窓に切り取られ回想映画のように流れる


ほおづえをつく青年も空も木も時の流れに身を任す如


両側の車窓に虹を見つければ子の如はしゃぐ「虹のトンネル!」


線路から一等車へと伸びる腕 十円分のお釣りのために


一等車見上げしかめる少年の視線の先に昇る太陽


話すことなくても起きていたい夜 仲間と過ごす深夜特急


日常の日々を忘れにゆく旅に 思い出してる日常の日々


温泉で旅の疲れを癒すこと 矛盾と思いつつ愉しめり


初日の出 いつもと同じ景色さえ いつもと違く見えなくもない


車窓から見るようにして日常の景色をひとつつかまえにゆく



ザンビア最後の年末は、同期と一緒にゆっくり過ごした。お酒を飲み、年越しそばを食べ、音楽を聴きながら、去年のことを語らった。素敵な仲間に感謝。

年始は同期と共に旅行。ザンビアと隣国タンザニアをつなぐタザラ鉄道にも初めて乗った。目的地はザンビア最北端の町カサマにあるカピーシャ温泉。人生初の深夜特急に子どもみたいにはしゃいだ。付き合ってくれた仲間に感謝。

そしてまた、僕の日常の町ルコンバに帰ってきた。雨季でものすごい勢いで伸びる雑草。「久しぶり!」と声を掛けてくれる町の人々。耳をなぜる程度の風。

旅から帰ってきてすぐの目には、いつもの景色を少しだけ光らせて見せる。いや、日常の景色は素敵な瞬間の連続なのだということを思い出させてくれる。僕はまた、その一つ一つをつかまえにゆく。

青年海外協力隊(理数科教師)の一生一句~アフリカから一句、詠ませていただきます。~-深夜特急
              深夜特急(ザンビアの車窓から。)
本格的に雨季に入ったザンビアの空は、ころころと機嫌を変える。洗濯をするのも、空模様を気にしてタイミングを見計らわなければならない。二年目ともなると、風の吹き具合や雲の様子から、なんとなく判断ができるようなる。けれど、やはり自然相手、いつもうまくいくとは限らないのが常だ。

明日から諸々の公式行事(教師会、安全対策会議、大使館レセプション、送別会)のため、首都ルサカへ丸々一週間上京する予定で、年末の大掃除…というほどでもないけれど、自宅の掃除・整理整頓をしていた。この一年にデジカメで撮った写真をバックアップするために、パソコンのデータもアルバムめくりのように整理していくと、「時間が経つのは早いなあ。」と、しみじみしてしまった。

来週の首都である行事を終えると、僕の任期もちょうどあと半年となる。任期が近づいてくると、どうしても次のことを考えたくなるものだ。日本に帰国したら友達に会いたい、牛丼を食べに行きたい、温泉に行きたい…。けれど、あくまであと半年、僕のザンビアで活動できる時間はあと半年あるのだ。先のことでなく、今ここにいることを切実に想うことを、いま一度、心に問い、確認したい。

雲が厚くかかっていたせいか、洗濯物が乾くのに丸一日かかった。辺りはすっかり夕暮れて、空気がひんやりと冷たい。さっきまで聞こえていた子どもたちの声も、どうやら家路についたようだ。紅く染まった夕焼け空を眺めながら、「明日晴れるかな。」とつぶやく。今日という日を最後まで懸命に彩る夕焼けを前に、その問いは愚問として、黄昏の空に溶けて、燃えて、消えた。

青年海外協力隊(理数科教師)の一生一句~アフリカから一句、詠ませていただきます。~-今日の日
                  師走(最後の最後まで。)