こんにちは。
前に、叱りつけた相手なのに抱っこを求めてくる…不思議な行動という記事を書きました。
昔はそのまま抱っこをしてあげることは、やっちゃいけないことを許すことになってしまうって感じていました。
それに叱った手前、いきなり優しくなんてなれない。
気持ちも切り替えられない。
抱っこしてあげればいいのにできない。
自分も腹が立っているから意地になっている頑なな自分。
絶対に抱っこしてやるもんか!
あんたが怒らせたんでしょうが!
来ないで!
って小さな息子を押して拒否。
自分の行動に後から、子ども相手になんて大人げない…って思ったことも数知れず。
求めてきているのに、手を広げて受け入れられない私はなんて器の小さい人間なんだと。
こんなママで可哀想だ。
同じ場所にいる大人が自分しかいないから来るんだ。
でもそれでもどうしてもできない。
…心が狭いから。
私にすがるしかないのに何で受け止めてあげられないんだって自分を責めたこともあります。
だけど、誰に泣かされたかということよりも安心を求めているんだって思えるようになったので、今は抱っこできるようになったよーと前の記事では話したかと思います。
全文はこちらから
だけどね、なかなか怒ってるときってそんな風に考えられないよね。
私も当時の自分がこの記事見たら、
「そうできないから困ってんじゃん!」
って逆ギレしたり、子どもが多いから慣れたんでしょうよって斜に構えていたでしょう。
時が経って子どもが大きくなっていても、そう思ってあげられたらよかったんだよねと後悔の念でいっぱいになったり。
どうして過去の自分はそうできなかったんだと責めたり。
過去の傷がえぐられたように感じた方もいらっしゃるかもしれません。
ただね。
この記事で一番大事で伝えたかったことは…下の2つある中で後者だと思っています。
自分の心のつぶやきを拾えること。
初めにこう言いましたね。
私自身の体験として、叱られたあとに抱っこしてもらえるということは許してもらえた時だった。
ご褒美みたいなもの。
怒っているときは抱っこしてもらえなかった。
私はね、特に
叱られた=嫌われた
と感じやすかったんです。
ヨシヨシしてもらうには、
「ごめんなさい、もうしない」
と謝らないとしてもらえなかった。
そんな小さな自分を見つけました。
子どもの頃の親の存在って絶対的だもんね。
でも、今なら自分も親になってわかる。
そして、子どものころの自分の気持ちもわかる。
叱る=嫌い ではないということを。
ただ、子どもの頃の自分としたら、そう思ったんだよね。
言い聞かせることはしません。
母親はそういうつもりじゃなかっただろうとかそういうのはいいの。
『私がどう感じていたか』
をそう思ったねって聴いてあげる感じ。
そう思ったことに良いも悪いもないんです。
母だってそういうつもりもなかっただろうけど、私はそう感じたのだと。
こうやって自分の気持ちをそのまま自分が聴いてあげることができます。
真逆なことを言うようだけど、抱っこできないときは今はできないって言ってもいいと思っています。
抱っこすることが子どもにとってはいいんだって分かっていても、自分の気持ちが置いてけぼりにされていたら意味がない。
その嫌がっている気持ちってどこかで子どもに伝わる。
小さな我が子を拒否する自分にすら嫌悪感を抱き、責め続けた
そんな私を、私がハグしてあげるんです。
怒りには根っこがある。
そこに気づくには、自分のつぶやきを拾うところから始まります。
怒りを紐解く方法を知っているから、心と体がチグハグにならずにすんでいるし、下の子たちを抱っこできるようになったのだと思っています。
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