親を恨むほどの過去の出来事に囚われている人へ | 金沢市で小学生の不登校に親が振り回されなくなる方法

金沢市で小学生の不登校に親が振り回されなくなる方法

不登校・登校しぶりの親が、気持ちの「聞き方」を改善すると不登校に振り回されなくなります。
石川県金沢市を中心に、安心感を得る聞き方講座や相談を開催。
気持ちを聞くと不登校の子どもが救われ、同時に親自身も安心。子どもとの信頼関係を取り戻せます。

こんにちは。

薮内(やぶうち)ゆかりです。

 
ゆかりんと呼ばれております。
 

 

 

ご無沙汰してます。

 

ちょっと思い出したことを日記として残すために書きます。

 

 

 

 

決断する怖さ

 

 

いきなりですが、

 

 

 

自分で決めるって、怖い。

 

 

 

私が感じていたことです。

 

 

こうやって文字で書くと、簡単なことのようにも思えるけど。

逆にそれでもサラッとやってのけたりすることもあるんだけどね。

 

 

 

人間は1日に3万5千回も決めている(選択している)とも言われています。

 

 

 

ではなぜ怖いのかというと、どうなろうがその責任を自分が負わなきゃいけない(と思っている)から。

 

 

その結果を、良くも悪くも自分が受けとめなきゃいけない。

 

 

どんなに辛いことであっても。

 

 

 

だから、人に決めてもらいたくなるし、相手に良かれと思って選ぶこともあるのです。

 

 

そうすれば上手くいかなかったら相手のせいにできるから。

 

つまりそうやって傷つく自分を守れるから。

 

 

 

 

恨んできた

 

 

私が決めずに選びもしなかった出来事がありました。

ずっと心に残ってること。

 

 

それは詳しくは話せませんが、私がずっと親を恨んできたことです。

 

 

そうする方法しかなかったのかって今でも疑問に思うことはあります。

 

 

親を恨み、さらにそうしかできなかった自分を恨む。

だからずっとずっと苦しかったよね。

 

 

 

あの時親が決めた結論は、私の望むものとは違っていた。

やりたくない方法だった。

 

 

 

でも何も言えなかった。

 

その言えなかった自分を責めた。

 

 

 

それだけ幼かった、未熟者だった私。

 

“言うこと”が全てではないけどね。

 

自分がやれるだけことをやりたかったんだなって今なら分かる。

 

 

 

 

ただ、過去に起こった事実として、違う視点で考えられることも増えた。

 

 

 

 

自分が子から親になったことで増えた視点。

 

 

 

 

私は自分の子どもがどちらを選んでも傷つくかもしれないという出来事が起きた時、選べるだろうか…と。

 

 

 

 

全然話は違うし極端だとも思うけど、

 

『ミステリと言う勿れ』

 

の整くんが言った、

 

 

「子どもに決めさせるということもまた虐待です」

(子どもに親の生死を選ばせる)

 

 

だったり。

 

 

協会で話している、

 

「小さい子にとってはある程度の枠(家庭のルール)は必要、なんでもかんでもいいよは逆に子どもも不安になる。

子どもに全ての責任を負わせてしまうことになる。

枠は安心感なんだよ」

 

 

という話からもヒントを得て、どちらも子が責任を負うということから、私が子ども側として過去の出来事より気づいたこと。

 

 

 

過去の出来事は、私は小さい子ではなかったけれども…代わりに親が責任をとってくれていたんだなぁ。

 

 

私は守られていたんだ。

 

どちらを選んだとしても私を守る方法だったんだと思うと涙が止まらない。

 

 

 

親もどれだけ苦しかっただろうか。

 

 

そんな風に思えるようになるとは。

 

 

私ばっかりつらい!苦しい!って思ってきたからね。

 

 

 

でも正直なところ。今更だけど。

 

怖いけど責任も負わせてほしかったのもあったんだよね。

 

 

それをやってもよかったはずなのに…私は決めることを放棄した。

親に託した。

 

 

 

当時は、どうしても私のためとは思えなかった出来事だけど、自分が親になったから分かったのもある。

 

 

 

結果は私の望んだ形にはならなかった。

 

 

私は学生の身でお金を出していないし選べないから意見を言ってはいけないって思ってた。

 

 

そんな自分も、結論を出した親も散々恨んで、円形脱毛症になって、涙は枯れる以上に泣いて、生きてる意味すら全く見いだせない日々もあったけど。

 

 

自分が親になって物事を別の方向から見た時、見えてきたのは親の愛情しかなかったとは。

 

 

守ってくれていたんだな。

 

それだけで涙が出た。

 

 

同時に自分の未熟さも感じたけど、それがその時の私だったとして今なら捉えられる。

 

 

読んでる人はちょっときれいごとに思えるかもしれないね。

 

 

 

 

自分で決めていないように見えて決めている

 

私がずっと親を恨んできたこと。

 

 

でも心の奥では分かっているの

それを最終的に選んだのは自分なんだって

 

 

判断基準を相手に求める日々を生きていると、それは自分の人生を生きていないんだよね。

 

だから頭と体がちぐはぐで、モヤモヤする

 

 

 

私はどうしたいんだろう?

何をしたいんだろう?

 

 

私がどうしたいか、が見えなくなる。

 

 

 

親の顔色ばかり見てきたから。

 

 

 

相手の希望を勝手に想像して、自分で決められないでいる。

 

 

 

でも、それでも。

 

自分が(相手に良い方法を)選んでるんだよね。

 

 

自分で決めてないようで、決めてるんだ。

 

 

 

 

だったら…これから、どっちを選ぶ?

 

 

 

それを知ってから、結果がどうなろうと。

 

自分でこちらを選んだんだ、と自信をもって今後生きていきたいと私は思い始めました。

 

 

相手にとって良い方法だからだとしても。

 

 

私はそれを選んだんだ、と。

 

 

 

 

どうしたいかの前にどう感じているかを知る

 

人によっては、大人になって自分がどうしたいのかが分かりませんって人もいるよね。

 

 

人の顔色ばかり見てきて、自分の欲求が分からなくなっちゃった、という人。

 

 

私のように、親を恨んでいる人。

 

 

 

過去の出来事は、自分はそうせざるをえなかったんだよね。

 

 

 

もしも今でもずっと苦しいなら。

まずはそこを受け止めることからしてみましょ。

 

 

どんなにつらいことも。

 

 

あのときは、そうするしかなかった。

 

 

 

こうしたかった!

こうしたくなかった!

 

 

  「~と思うんだね」と後ろに付けながら。

 

全部思いをだしてあげましょ。

 

 

 

 こうしたかった!…と思うんだね

 こうしたくなかった!…と思うんだね

 

 

って。

 

 

なんで私はこうなったんだろう、私のバカ!

 

とか出てくるかもしれないけど。

 

 

それも

 

 自分を責めてるんだね

 

って。

 

 

思いや欲求をそのまんま見るだけ。

 

 

それで終わり。

 

 

 

必要以上に自分を責め続けるのはやめましょ。

 

 

その責めたい思いさえも否定せず、眺めるだけ。

 

 

自分は死ぬまで一緒だから。

 

 

 

自分がどうしたいか、を知りたいなら。

 

 

自分がどう思っているか。どう感じているかを良い悪いというジャッジなしにこうやって出してみましょう。

 

 

信頼できるコーチやカウンセラーにセッションできるならセッションの場で。

 

人に話すのがムリなら、ノートに。

 

自分一人の時に一人で口に出してみるでもいいよね。

 

 

 

私は場合により↑使い分けてますが、だいぶこのおかげで過去の出来事に囚われなくなってきました。

 

 

 

過去に囚われている人がいるなら、やってみてね。

 

楽になるから。

 

 

 

薮内(やぶうち)ゆかり

 

 

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