こんにちは。
子どものためといいながら、自分のしつけが―って周囲に言われるのが怖かったことを思い出します。
幼稚園では年長になると
言いたいことを言う
自分で決める
ようになっていきました。
場合によっては公開処刑もある
年少年中で特に私を困らせるようなことがなかった長男
年長になって、降園後に
友達のおうちに遊びに行きたいけど
親側が今日は無理だ、行けない
とかで私と意見がぶつかると
殴る蹴るが見られるようになりました。
よく長男と職員室前で園長も入ってくれたりして話したことを今でも思い出します。
卒園に近づいたころ
いつものようにお迎えに園内に入ったら、長男の担任に呼び出されましてね。
だだっ広い部屋で
担任、長男、私の3人で話しました。
(心でキタゾキタゾ…と思ったのは内緒)
お迎え前
長男は、縁側で担任に
「助けてもらいたい」
「もっともっと気にかけてほしい」
そう話したそうです。
担任は泣きながら話を聞いてくれて。
気持ちに気づいてあげられずごめんね
わかったよー
助けるよー
って長男に向けて話してくれたと。
で、その後に同じ言葉が長男から私に対して向かってきました。
「おかーちゃんに助けてもらいたい」
「おかーちゃんにもっともっと気にかけてもらいたい」
正直ピンと来なくてね
何言ってんの?
親なんだから気にかけてるし!!
と心に思いながら、
「○○(長男)のこと気にかけてないことはないよ」
そう言いました。
言葉そのままを受け取り、返したつもりでした。
私は気にかけてるよー
を分かってもらいたくて、
そればかりを話していた気がします。
長男のことをこれでも
想ってる!
考えてる!
それを分かってよ!
私だって大変ながらも考えてるんだから!
(この頃って次男の脱ステと三男1歳で睡眠不足続きだけどパートも始めた1年だった)
それが私の心のつぶやきだったように思います。
読んでいる人はもうお分かりですね。
私の気持ちを分かってよ!
私を認めてほしい
です。
一切、長男の気持ち受け止めていない。
長男のことを考えているようで自分を認めてほしかったんだなと思います。
母親としていろいろやってるのに、
これ以上何を頑張れって言うの、どうすればいいの?
もっと気にかけてって言われて、
お母さんなのに何もできてないって言われているようで悲しい
が私の気持ちだったんです。
その時、担任には
「お母さん、子どもは満足することはないんだよ、もっともっとという思いでいるんだよ」
って言われました。
言われたことがイマイチ理解できず。
その場は終わりましたが何とも違和感が残ったんです。
気にかけて!
って言われたから
気にかけてるよ!
って返した。
それで終わりなはずなのに
なんで長男は納得いかない顔をしているの
伝わってないの
もう、どないせぇっちゅーーーねん!
自暴自棄の時はそこまで思いました。
担任ちゃん、ブログ見てたらごめんね
でもこの違和感、この時間が
私にとってはとても大事なものだったんです。
そこまで考えに考え続けて
卒業文集を書く頃には一つの結論に至り、こう書きました。
まだ、かな。ぐらいの曖昧さはあるけど。
その後、私は子どものこころのコーチング講座を受け、「聞く」ということを学び始めます。
この時に至った結論は、
講座を受けてやはりそうなのかと思える機会になったり
自分が自分をまず認めること
自分で自分に多くの荷物を背負わせてたことに気づく機会になりました。
この話し合いの後にね、
長男がよく描いてた絵。
担任と長男が縁側で正座して話してる絵
絵の中の担任は泣いてるけど、顔は笑ってる
何度も何度も描いていました。
今思えば、きっと長男は自分の話を聞いてもらって
受け止めてもらえた
と感じたから嬉しかったんだろうな。
それが
何度もその情景を絵に描く
という行動になっていたんだろうなと思えます。
卒園式の前夜、お布団で
「幼稚園、楽しかった!」
そう言ってくれたのが何よりでした。
母は聞けなかったけど、担任や先生たちが聞いてくれたね。
代弁もしてくれたね。
今ならどうすれば良かったのか、分かる。
「気にかけてないことない、気にかけてるよ」
って私が言ったこと。
長男の言ってることは間違ってる!と否定されたように感じたかもしれないね。
聞いてくれた、とは思わないだろうな。
背景も考えたりすると、
長男は、もっとこっちを見てほしい
お母さんの気にかけてるじゃ足りないんだ
僕の気持ちを分かって
という状態だったんだな、と。
それを担任の力も借りて、親に言いたいけど言えなかったことを振り絞って言ったのかもしれないなぁ~
なんて思いましたよ。
それが解決策としてね
物理的に見る、気にかける
ということもできればいいけどね、そういうことじゃないんだよね。
それよりも長男の気持ち分かったよって共感すること。
必要だったんだな。
そしてその時の自分がダメだった…とは必要以上に自分をいじめない。
その時の私の気持ちも分かるから。
自分の気持ちにも気づいてはじめて、
次同じことがあったらどうしようって思える。
あの時の私がダメだったから…
って責める癖ばかりついてるのでね
それは必要以上は思わなくていい、責めてる自分に気づくこともできるようになった。
だから今すごく楽です。
子どもは今こう思ってる
それ以外の何モノでもない
あなたはそう思うんだね
「聞く」ということをしてくれた担任に、感謝。
まだまだ子どもの話を「聞く」
ということが分かっていなかった母の私あちゃー話。
ただ、振り返るとこの時が
子どもの話を「聞く」
ということの大切さに触れたひとときだったんだなと思います。
「聞く」ことに意識し始めて分かった、
私の中の共感と同意・同感を一緒に感じていた話は長くなりそうなのでまた別記事で。
久しぶりに思い出して、文集も読み直してホッコリしました
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