🧵この記事はきっかけ(1)からの連続シリーズです
 
 
私と上司は台北での仕事を全て終えると、台北を離れて南に向かい、南部での商談を終えるとそのまま桃園国際空港に直行して桃園から日本に帰りました。
 
 
それからちょうど一ヶ月後にパンデミックが起きたのです。
 
 
パンデミックが起きて、家で過ごす時間が長くなったこともあってか、桜井識子さんが書かれた「月下老人」というタイトルのブログの記事が目に留まりました。識子さん曰く、月下老人はとても陽気な神様(仏様)で、本当に赤い糸を持っており、人間と人間の縁結びを専門としていて、仕事との縁結びはしないけれど、子どもとの縁結びはしてくれるとの事。
 
 
私はこれを読んで大笑いしてしまいました。
 
 
いるよね〜
 
月下老人、絶対いるよね〜
 
絶対いると思ってたわ🤣
 
しかもめっちゃ陽気な神様って、わかるわ〜
 
あの陽気すぎる台湾にぴったりの神様やわ〜
 

と、もう大爆笑してしまいました。
 
 
私自身は月下老人に願掛けをして、その結果大恋愛をしたけれど、最後はもう二度と元に戻れないくらいお互いを傷つけ合って別れてしまいました。しかも一回目は一人で、二回目は二人連れ立ってお互い相手と一生一緒にいたいと月下老人にお願いしたのに、私たちは5年で完全に壊れてしまいました。
 
 
それでも、自分の願いが叶わなかったからと言って、神様仏様なんていないと思ったことは一度もありませんでした。もともと月下老人のご縁でも何でもない相手だったのに、たまたま月下老人に願掛けした直後に付き合い始めたので、月下老人のご縁だと勘違いしたのかもしれません。月下老人がもたらしたご縁だったのに、私がそれをないがしろにしたのかもしれません。私には月下老人の声が聞こえるわけではないので、本当のところは分かりません。
 
 
でも、あの時なんとかしてサイと結婚していたらよかったのかと言えば、実はそうとは全く思っていません。私に限って言えば、もっと我を抑える事、お節介を自重する事、相手の持っている本来の力を信じて任せる事、ただただ相手をありのままに受け入れて愛する事など、かなりたくさんの事を学んでもっと精神性を向上させておかなければ、結婚しても遅かれ早かれサイが苦しくなって離婚していたと思います。サイと別れて気付いた事、学んだ事、反省した事がたくさんあって、これらは全て、どうしても私には必要な事だったと思っているからです。
 
 
私は台湾生活の最後の一年は行天宮の近くに住んでいました。関羽さんのいる廟です。識子さんが関羽さんの言葉を「人間とは、人生とは」の記事に書かれていますが、私はこれはその通りだと思っています。
 

"悩み、葛藤、苦しみ、楽しみ、喜び、そういうことを経験しながら、物事を深く考えて、どう対処するのか……

 

このような体験は、人間が思う以上に大事だと言っていました。

 

だからこそ、人生に価値がある、とも……。

 

わざわざ生まれてきたのは、そういう体験をするためであり、生まれてから一本調子でまったく何もない人生だったら意味がないそうです。"

 
 
最近のスピリチュアルは、「がむしゃらに頑張る必要はない」「頑張らずに願いを叶える」「自分の思い通りの現実を引き寄せる」なんて、努力や試行錯誤もしないで、何でも自分の思い通りになる事がいい事のように謳い、甘い事だけを言っているスピリチュアルが人気を集めていますが、私はこれには極端すぎて全く共感できません。
 
 
例えば入社したばかりの新人さんは、先輩や上司の指導がわかりにくい、自分の業務量を把握して適切な量の仕事を配分してくれないと言って、自分の仕事が就業時間内に終わらなかったり、仕事が覚えられないのを先輩や上司のせいにしがちです。でも、年数を重ねて、いざ自分が後輩や部下を持つようになると、指導や業務量の調整の難しさが分かるようになってきます。そして、何でも手取り足取り教えてあげたり、いつも後輩や部下が心地よくなる業務量をキープするために自分が業務を背負ってしまうと、今度は後輩や部下に甘えが生じてしまい、いつまで経っても仕事で自立できない人材になってしまう事もあります。自分が嫌われたくないからと、優しくしているだけでは本人の成長のためにならない事もわかってきます。時には厳しい事も、本人のためを思って話さなければなりません。でも、心底相手を想って伝えた事ならば、その動機=想いは結果として反映される事も知るようになります。そして会社がいい給料を出してくれないと文句ばかり言っていても、いざ自分が経営、もしくは経営に近い立ち位置を経験してみると、社員とその家族を養う事の大変さを知り、組織が自分をいい感じにしてくれる事ばかりを求めていた自分がいかに甘えていたか、そして自分の役割を大切にしてチームで協力する事の大切さに気付く事もあります。
 
 
自分が傷付ける側になって、傷付けられる側になって、初めて知る痛みがあります。自分が守る側になって、守られる側になって、初めて知る安心感の重みがあります。自分が幸せを与える側になって、与えられる側になって、初めて知る愛情の種類があります。先輩・後輩、上司・部下、親・子ども、先生・生徒、サービスを受ける側・提供する側、裏切る方・裏切られる方、母国で外国人を受け入れる側・異国の地で自分が外国人として受け入れられる側…いろいろな役割を経験してみて、初めて知る目線や苦労、痛みや愛情、幸せがあります。尊敬する人とも文句を言いたくなる相手とも付き合って、試行錯誤をしていく中で、いろんなところにぶつかりながら、都度学んで成長していく事はとても大切な事だと思います。
 
 
何でも自分の思い通りになって、痛みも苦しみもなければいいなんて、そんな事はないはずです。実は私の従弟は、東大に入りたかったのに、早慶にしか受からなかったからと言って、そこから引きこもりになってしまいました。私と年齢はほぼ変わりませんが、今も引きこもっています。それまでどれだけ何もかもが自分の思い通りに行ってきたのでしょうか。思い通りに行かない事を知らないというのも、極端すぎます。思い通りに行く事ばかりに焦点を当てるのも、極端すぎます。成功体験も失敗も、両方バランスよく持っていた方がいいと私は思います。(なので私はこのブログに、敢えて自分の失敗談も嬉しかった事も包み隠さず書いています。)
 
 
だから私は、自分の願いが叶わなかったから、神仏はいないなんてそもそも思っていませんでした。台北で服3着着回ししてがむしゃらに生きてみたり🤣、時には頑張り疲れてのほほ〜んとしてみたり、都度それなりに自分の考えを持って体当たりはしたものの、結果いろいろやらかしちまって残念なことになったり(笑)、時にはノリノリでなんかやってる私の事を、関羽さんも月下老人も、媽祖娘娘も、保生大帝も、飛虎将軍も、指南宮も........みんなみんな爆笑しながら私の事を見ていてくれていたのだろうと思うと、識子さんの記事を読んで私も笑い転げてしまいました😂😂😂
 
 
つづく

※いるよね〜!いてくれてるよね〜!って思うわ🤣