この暑さもあって、すっかりタイモード。
多くの日本人が惹きつけられる
タイの魅力について考えたときに、
私は25歳で駐妻として
初めてタイに住んだときのことを
思い返さずにいられない。
もう13年前になる。
22歳で大学を卒業し、
大手自動車メーカーに総合職として
新卒で入社したものの、
すぐに辞めてしまい、
配属先の大阪から実家に戻り、
派遣として働いていた。
そんな矢先の23歳、
妊娠、中絶。
社会に出ていたのだし、
結局その彼氏とは結婚もしたし
(1回目の結婚、駐妻時代の旦那さん)
産むという選択肢もあったと思う。
でも私はそのとき、
この命を守りたいという本能的な衝動より、
「今の私たちで育てられるはずがない」という
頭の声、思考、
不安からの選択を優先させてしまった。
その後も私は「悲しみ」にくれるどころか
悲しみに浸ることを拒否し続け、
早く結婚したい一心で、
ちょっとハードな外資系ITベンチャーに
営業事務として就職。
1年くらい働いて、
目標金額の貯金100万円を超え、
仕事を辞めた。
と、共に、
緊張の糸が切れ、
身体を壊した。
まともに外出することも出来なくなって、
青白い顔をして、
毎日フラフラとめまいがして、
薬の効かない原因不明の不定愁訴に
悩まされ続けた。
貯めた結婚資金100万円は、
アッサリその後の生活費と医療費に消えた。
働くこともできない。
お金もない。
結婚も決まらない。
宙ぶらりんのまんま、
1年経つか経たないかという頃に、
(本当に長かったな…)
彼のタイ駐在が決まり、
それをキッカケに入籍・結婚。
入籍から半年待って、
駐妻としてタイで生活するようになった。
まだスワンナプーム空港も開港していなかった
13年前のタイ。
駐在の立場は
待遇等もだんだん傾き始めた時期
だったけれど、
それでも今と比べたら
ずいぶん優遇されてたと思う。
だけど、
身体を壊していたし、
当時の私は「心の声」を聴くことよりも、
「いかに器用に合理的に生きるか」ということに
重きを置いていたのもあり、
渡タイ後最初の1-2ヶ月は、
ほぼ引きこもり。
ファミリーカー用のドライバーさんが
いてくれたので、
それで日本食スーパーくらいには
買い物に出かけたりしたけれど、
行き先を告げても
通じてるか毎回不安だし、
ほぼ自動的に恵まれたメイドさんが来るのも
他人を家にあげるのが不安。
なんなら、
メイドさんを家にあげるために
掃除をする。(本末転倒。笑)
タイ語を習いに行くでもなく、
ただ毎日家にいる。
こんな感じで、
まずは住んでるコンドミニアムに慣れることから始まった。
今の私からは想像もつかないほど、
そろり、そろり。
1mmずつ行動範囲を広げる感じで、
少しずつ「タイ」に慣れていった。
次に続きます。