日本100名城 50.彦根城 再々訪【中編】はコチラ

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 目次

 

 埋木舎(国指定特別史跡)

表門

表座敷

茶室

御居間

座禅間・仏間

 

 入館チケット

 パンフレット

 

 

 旧池田屋敷長屋門(彦根市指定文化財)

 パンフレット
 


 

前回行けなかった「埋木舎」へ向かいます

 

 

 

 

ここへ来て「井伊直弼」のイメージが180度変わりました!
 

「中堀」に浮かんでいるのはライトアップのソーラーランタンです。

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

埋木舎(国指定特別史跡)

創建は宝暦9年(1759)頃と見られる。

彦根藩井伊家では、藩主の子であっても世子以外は、他家に養子に行くか、家臣の養子となってその家を継ぐか、あるいは寺に入るのが決まりとされていた。

兄が藩主になると城下の「控え屋敷」に入って宛行扶持(あてがいぶち、捨扶持(すてぶち))で暮らすこととされていた。

埋木舎 はそうした控え屋敷の一つであった。

控え屋敷であるため下屋敷のような立派な建物でもなく、素材も一段下で大名の家族の住居としてはきわめて質素であり、中級藩士の屋敷とほぼ同等。

ここは、「尾末町御屋敷」あるいは「北の御屋敷」の名で呼ばれていたが、 井伊家の十四男として生まれた井伊直弼が13代彦根藩主となるまでの不遇の時期、天保2年(1831)以後15年を過ごした屋敷として有名で、

「世の中をよそに見つつも埋もれ木の埋もれておらむ心なき身は」

と直弼は和歌を詠み、自ら「埋木舎」と名付け、文武両道の修練に励んだ。

 
表門




門の屋根を覆うかのような大きな柳の木がある。


直弼はその柳をことさら愛し、柳が風に逆らわない姿を範として、号にも「柳王舎」を使うことが多かった。

 

また、外出先で立腹する事があった時、帰宅して庭に植えられた柳を見て「むっとして 戻れば庭に 柳かな」という句を読んで心を落ち着け、座右の銘としたといわれている。



 

「玄関」から続く艶やかな紅葉の絨毯が素敵。




 
表座敷
直弼の客人と応接の間。

「表書院」ともいう。
 
国学者 長野主膳と三日三晩、文学論や人生論を語ったのもこの部屋。





直弼が埋木舎時代、客人接待用に使用された食器の漆器類、左のガラスケースには日常の仕様品などが展示されている。

 

 

茶室
4畳半。

床は壁床とし、点前座の勝手付に吹き抜けをつくり、1畳の水屋を備えるなど、直弼の茶室に対する哲学が窺える。

天井は薄板を羽重ねに張り、竹と木で交互に押さえている。

天井の一部は掛け込み風になっているが、これは屋根の形状に沿って自然に傾斜が付いたもので、単純な天井に変化を持たせている。

最大の特徴は、茶庭を持たないこと。





法華経の「甘露の法雨を澍て煩悩の焔を滅除す」の文よりとりて直弼が名付ける。

直弼は初の「石州流」茶道を学び後に自らの茶道を埋木舎で確立する。

茶号は「宗観」(無根水(むねみ)ともいう)



 




 

御居間
「奥書院」「奥座敷」ともいう。
 
直弼の17歳より32歳までの15年間、日常の生活や勉学をした居室。

上之間、下之間、控の間の三室を主に使用。





大久保小膳は直弼の側役で、直弼が暗殺された後わすが四日で彦根に戻り、この事変を彦根の人々に伝えた人物でもあり、「埋木舎」を含む、直弼ゆかりの資料保存・顕彰に力を注いだ人物。



 

廊下の前の中庭には、直弼の愛した萩の花が美しく咲き競った。




庭石も表座敷前に比べると立派につくられており、庭の景観も広く枯山水風の風情がある。
 
当時は直弼の愛した「柳の木」があった。



 

座禅間・仏間
「中の間」、「仏間」、「座禅の間」、「お産の間」が並んでいる。

その奥には「脱衣の間」と「湯殿」が続くが、湯殿は板敷で、水はけをよくするため斜めに勾配がつけてあり、浴槽のほかは何も無い。



NHK大河ドラマ「花の生涯」の表舞台となった埋木舎。

当時の作品をパネルで紹介している。
 
 

 

入館チケット
 
 
 
パンフレット
埋木舎 


 





 

 

 

【名称】 埋木舎
【住所】 滋賀県彦根市尾末町1-11
【電話】 0749-23-5268
【開館時間】 9:00~17:00(入館は16:30まで)
【入館料】 大人300円、高校・大学生200円、小・中学生100円、団体(20名以上)1割引
【休館日】 毎週月曜(祭日の場合は翌日)、12月20日~2月末

※ 2020年11月25日時点の情報です
 
 
 
「埋木舎」前から「佐和口」を見る。
 
良い景色!
 
曇りなのが残念。
 
いや、逆に雲が良い演出!?
 
 
 
 
「埋木舎」の受付のおじさんとの会話で、伊賀から来たのなら丁度いい場所があると言って教えてくれた「旧池田屋敷長屋門」。

「土日しか中は公開されていないけど、見所は門だから!是非行ってみて!」
 
とお勧めして頂いたので、見学することに。
 
ここに伊賀忍者が住んでいたのですね。
 
しかもとても待遇が良かったとか。
 
 
 
旧池田屋敷長屋門(彦根市指定文化財)

旧池田屋敷長屋門は、彦根城の中掘に近い第三郭に建っている。

かつて、池田屋敷のあった尾末町一帯は、江戸時代には中級武家屋敷地が広がっていた。

当屋敷に住んだ池田太右衛門家は、江戸時代初期に二代目当主井伊直孝により「伊賀者」として召抱えられた。

初代と二代は100石取りだったが、三代は250石に加増、四代は150石に減知、七代に180石となり、以降代々180石を相続して明治維新を迎えた。

屋敷は、当初は御歩行町(現在の京町二丁目)にあったが、江戸中期以降は、現在の尾末町に移った。

彦根藩では分限(身分)に応じて長屋門の格式が定められており、この建物は、中級武家屋敷の典型をなす長屋門として貴重な遺構となっている。

 









 
 

 

パンフレット
旧池田屋敷長屋門




彦根城下町割図 
 
 
 
 
【名称】 旧池田屋敷長屋門
【住所】 滋賀県彦根市尾末町5-38
【開館時間】 9:00~17:00(入館は16:30まで)
【入館料】 無料
【休館日】 祝日を除く月曜~金曜、年末年始(12月25日~1月3日)

※ 2020年11月25日時点の情報です
 
 

 

日本100名城 50.彦根城 再々訪【完結編】へ続く