“フランス現地で醸造したBIO醤油”完成までの歩みを「読売新聞」に掲載していただきました | 世界一の醤油をつくりたい 湯浅醤油有限会社 社長 新古敏朗のブログ

世界一の醤油をつくりたい 湯浅醤油有限会社 社長 新古敏朗のブログ

湯浅醤油の社長、新古敏朗が想いを綴ります。
和歌山県の情報の発信、イベント情報などの掲載
日本の醤油の発祥の地から世界のトップもしくは、本当に醤油にこだわっている人に知ってもらいたいと思っています。

湯浅醤油有限会社 丸新本家の新古敏朗です。

 

湯浅醤油㈲が、フランス現地でフランスの原材料を使って作る

BIO醤油をついに2023年冬に完成させました

 

フランス醤油事業の経緯、困難や試練、完成までのあゆみが

2024年3月24日 読売新聞の記事になりました

是非読んでみてください

 

読売新聞 湯浅醤油 フランス醤油

 

仏産しょうゆ 世界への道

 ワイナリーで仕込み高評価

 

湯浅醤油(和歌山県湯浅町)

新古社長は1881年創業の金山寺味噌製造「丸新本家」の5代目。

「世界一の醤油と味噌造りを目指す」と2002年に湯浅醤油を設立した。

丹波黒豆を100%使用した「生一本黒豆」は、プロの料理人からも高い評価を受けている。

従業員15人、資本金300万円。

 

―転換力―

 

しょうゆ発祥の地として知られる和歌山県湯浅町の「湯浅醤油」は、

新型コロナウイルスの風評被害などで売り上げを大きく落としたが、

造り方が似ているワインに着目し、

フランスでのしょうゆ造りに希望を見いだした。

社長の新古敏朗(54)は

「フランスに自慢の味を定着させたい」と意気込む。

 

■風評被害で資金難

 

しょうゆ造りは、鎌倉時代に中国に渡った禅僧が、

味噌の製法を持ち帰ったのが始まりとされる。

製造過程で出る汁の芳醇な香りに気づいた湯浅の人々が工夫を重ね、

しょうゆが生まれたという。

 

食卓に欠かせないものだが、近年の国内消費は

家庭料理の洋食化などで先細りに。

活路を模索していた新古は2014年、

フランスでワインの製造現場を見学していた時にひらめいた。

 

木だるやステンレス製のタンクで発酵・熟成させるワインは、

しょうゆと造り方が似ている。

ブドウと大豆という原材料の違いを越えられるのではないか。

 

18年にフランスでワイナリーを借り、

大豆や小麦を発行させ、

しょうゆの素になるもろみを仕込んだ。

そして、20年1月。

約200㍑の試作品を完成させたが、

新型コロナが全てをストップさせた。

 

世界ではロックダウン(都市封鎖)などの措置が取られ、

国内でも外出自粛が呼びかけられる事態となった。

事業が宙に浮いただけでは済まなかった。

 

2月には地元の病院で、国内初の院内クラスター(感染集団)が発生し、

観光客はほぼいなくなった。

蔵の見学ツアーで客を呼び込み、

併設の直売所で商品を売っていた同社の売り上げは激減。

 

さらに卸し先から契約を打ち切られるなど、

資金難に直面した。

「町内で最初に、コロナ対応の融資を受けるための

書類を取りに行ったほどだった」。

新古は風評被害に苦しんだ当時を振り返る。

 

■名門をパートナーに

 

それだけに、フランスでのしょうゆ造りには、

大きな期待を寄せた。

渡航制限で簡単に渡仏できない中、

同年春に準備を任せる現地のパートナーを見つけた。

約400年続く名門ワイナリーの経営者だ。

 

オンラインで相談を重ねた。

23年にはフランス南西部・ボルドー近郊のサンテミリオンで、

本格的な仕込みを開始。

転用したワイン生産用の機械は何度も故障したが、

その都度対応し、2種類、計約3800㍑のもろみを

木だるとステンレス製タンクに仕込んだ。

 

木だるの濃い口しょうゆは熟成に時間がかかるが、

ステンレスタンクでは早く進む。

新古は搾り出しのため、その年の10~11月に渡仏し、

ついに、薄口しょうゆの完成に立ち会った。

 

現地での販売も始まった。

フランス語で白を意味する「ブランシュ」と名付けたその味はしなやかで、

バターやチーズを多用するフランス料理に合うと評判だという。

 

「フランスで軌道に乗せて、日本の調味料を世界に広げる。

いずれは米国でも造りたい」。

新古は世界市場を見据えている。

(和歌山支局 佐武 建哉)

 

 

日本国内では食文化の変化に伴って醤油の消費が減っている一方、

海外への輸出は増加しているのが現状であるので

湯浅醤油㈲はこれからも世界を視野に入れこだわりの醤油を造っていきます。