2時間近くじっとしていることができないからだ。
最後に映画見に行ったのは3年くらい前でそれも人に誘われたから行ったもので自分の意思で行ったのは多分7年ぶりくらい。
そんな佐藤裕紀が
そんな佐藤裕紀が
映画を見に行ったわけだ。
見たのはそう。
プーさんの実写版「プーと大人になった僕」
佐藤裕紀はもう本当に小さいときからのプーさん好きである。
メルヘンでありながら確信をついてくるあの独特の世界観が大好きで30歳になった今でも全く変わらず好きなままだ。
ちなみに最後に自分で見に行った映画も実はプーさんである。
そんな感じで普段映画なんか見ないからまずチケット買うだけでドキドキした。
田舎者のオッサン丸出しだったけど何て言うか時代は進んでいるんだなぁって思った。
レビューってほどのことはしないけど
一応大前提でこの映画はプーさんをある程度知ってたほうが楽しめるとは思う。
まぁプーさん知らん人のほうが少ないとは思うけど。
そしてプーさんを好きじゃない人から見たらもしかしたら何がいいか分からないかもしれない。
けどだからこそそんな人達にもこれを見てもらいたい。
社会人になってみて本当に思うのが
当たり前だとか常識だとか仕方ないとかって言葉で皆ただ自分を誤魔化して諦める。
けど
その当たり前って軽いものですか?
常識で人を傷付けていませんか?
仕方ないって決めたのはあなたではないですか?
プーさんは頭良くないけど決して馬鹿ではない。
何て言うか
凄く素直なだけなんだ。
だから当たり前とか常識ってものが分からない。
だってこれが欲しい、これがしたい
って感情だけで動いてる。
それを人はわがままというかもしれない。
けどなんでわがままではいけないのだろうか?
プーさんのわがままは人に迷惑はかけるけど決して人を傷付けない。
究極かもしれないけど人を傷付ける常識と人を傷付けないわがままのどちらが正しいことだろうか?
意外とわがままな人のほうが人のこと考えていたりするんだよね。
プーさんはそれであって仲間のことは凄く大切にする。
いや
プーさんに限らず100エーカーの森の仲間達はそう。
ラビットもティガーもわがままでうるさいけどいざってときは率先して動くしピグレットはビビりで役に立たない場面も多いけどそれでも最後には逃げないで立ち向かう。
映画の作りは凄く日本的じゃないとは思った。
けどそれと同時に大切なことに世界は関係ないとも思った。
この映画ってのはこれを感じるかどうかが全てだと思うんだよね。
内容見りゃ
現実はそうじゃない
とか
家族を養うために
とか色んな意見が出ると思う。
でも
聞きたいことはこれ
あなたはそれで幸せですか?
ってこと。
これでyesと答えられない人についていかなければいけない人の気持ち分かりますか?
俺が1番寂しく感じるのは
日本は社会人になることをあまりにも嘆く人が多い。
それは!
実際問題は分からない。
けど
年を取るごとに足枷が増えるならあなたはなんのために生きていきますか?
それに尽きる。
子供のために
という言葉は素晴らしいけど
子供のせいで
って言葉を脳内変換していませんか?
子供のためにっていうけど
子供はそれを望んでいますか?
ってこと。
結局のところ
自分の心の声きちんと聞いて言い訳しないで生きることが周りの人の幸せにも繋がるんじゃないかって思う。
映画ではプーさん達ぬいぐるみが喋って動いてエキセントリックな感じになるんだけど佐藤裕紀的解釈としてはこれはクリストファーロビンの心の声だと思ってる。
自分の声が聞こえなくなってきたときにプーさんが現れたってことだと思った。
臆病なピグレット、卑屈なイーヨー、虚勢をはるティガー、あれこれまとめたいラビット…
これ全部人の心の中にあるものだって思ってその心を1つ1つ具現化したのが100エーカーの森の仲間達だと思ってる。
実写化するって聞いて予告見たときはぬいぐるみ使って実写化?って?が浮かんだけどこれは凄く良かった。
変にディズニー感強くなくてそれでいてディズニーらしくてプーさんも可愛いんだけど脚色された可愛さではなくてぬいぐるみの持つ愛くるしさがしっかりと表現されていたと思う。
原作とアニメーションは若干雰囲気違うけどこの作品は原作の世界観しっかりあってしっかりとくまのプーさんの続編として描かれていたことがプーさん好きとしては凄く嬉しかった。
真新しいことを言っているわけではないかもしれない、普通と言えば普通かもしれない。
けど何て言うか大人になっていかに多くの人がそういうものを忘れて嘆きの中で生きているんだろうかって考えさせられたし大切なものに年齢も境遇も関係ないって改めて思った。
大切なものに
意味なんて必要ない。