おはようございます。
9日にきつねさんこと、てっぺいさんの
「古くやさしい魔法の生き方」を開催しました。
私はこの講座4回目の受講でしたが
今回はメンバーが再受講と初受講半々。
でもかなり質問もコアだったなーと思いました。
講師殿も面白かったと仰ってました。
ではレポいってみよう。
今回、初参加してくれた方が終わってから
「私、これ自然とずーっとやってた
みんなはそうじゃないの?」
と言ったのね。
うん。たぶん、「みんな」はそうじゃないと思う
前にもいらっしゃいましたよ。
アンケートで
「私、これ実践してました。
どうしてなのかわかって良かったです」
と書いてくれた方。
スピリチュアル迷走してしまう人って
「奇跡が来る打率をあげる方法」
ばかり考えてしまい、その根本を
「感謝する」
「手放す」
「求めない」
にしてしまうから、かえって難しくなるんだろうな…
私は、自分に関しては
「自然とやってました」
とは思わないんだけど、
(以前はコントロール満載なタイプで
はかりごとばかりだったので)
今回、てっぺいさんが
「蓄積した誤認を解放する」
と話しているのを聴いていて
うん、そこだね、と思った。
自分のコントロールや
自分の価値観の中で「こうなったらいい」を引き寄せる
そこには、誤認が乗りまくってる。
これが解放されてないと
周りで常に起きている
「奇跡」
をキャッチできない。
引き寄せを必死にやりたがる人には
「今が不満」
「今は足りていない」
がベースになってしまっている人も多い。
まず、その「誤認」を解放することで
見えてくる範囲が格段に広がるのだと思う。
で、最初に出てきたお2人の例でいうと
「私、自然とやってた」
という方は、この前提が
「私は今、ありのままで満たされている」
なのだと思いました。
だから、昼下がりの午後のティータイムに
芝生で寝転がって野球を見ていると
ホームランが飛んでくるわけだよね。
私の場合は、コントロール感満載だった時期は
たくさんの奇跡を見逃してきたと思います。
本当はとても幸せで満たされていたし
いつでも必要なものはもたらされているのに
「私には足りないところがある」
と必死になっていたから。過集中が起きていたんですね。
てっぺいさんは、このWSで話している時も穏やかです。
自然体でリラックスしてる。
コーヒー飲みながらゆったりしているので
場の緊張感もほぐれていく。
ご本人いわく、シュタイナーの4気質は憂鬱質だから
あまり社交的じゃない…はず。
きっと人とずーっと一緒にいたら疲れちゃうんだろうけど
「その場の人の気と合わせる」
を武術ベースでできる人だから
その場における自分のありのままを常に発動している。
(この辺は、てっぺいさんの黄色の書とも重なりますね)
そして、大切なのはいわゆるスピリチュアルで言われる
「エゴをなくす」
「執着を手放す」
は、この場合には必要ない、ってこと。
欲しい、という気持ちはあって良くて、願っていい。
エゴまみれでOKだから、「はからない」と唱える。
手放しましょう
すべてに感謝しましょう
もちろん、本質はそうなのだけど、
実践できなかった時、自分へのジャッジとなってしまう。
そうすると、ますます緊張感が高まってしまって
かえって、はからいに気づいて受け取る力が落ちてしまう。
それより、エゴがあろうが感謝してなかろうが
「穏やかな休日の昼下がり感」
の中で自分がリラックスして、
思わず轢かれそうになっている子猫を助けようとしている感覚
この状態を作り出せていればベスト。
昼間の花火のように、実はありふれているけど見えにくい
「はからい」
を受け取ることができる。
ここだよね。
過集中してると、轢かれそうになっている子猫を見逃すからね。
これは、認識できる範囲を常に広げる努力をする、
ということでもあると思った。
「還相の慈悲」
思わず猫を助けてしまう感覚
強く求める気持ちもなく
ただ、与える。ただ、する。という動き。
思わず発動
その感覚を一度でも体感してみると
「なーんだ、これなんだー」
とすごく無駄な力が抜けます。
そして、てっぺいさんは猫助け上手
あのWS内だけでは伝わらないかもしれないけど
私はずっと見てきて、それだなあと思ってる。
てっぺいさんがWSのテキストで紹介している
藍坊主の「星のすみか」
(てっぺいさんはちゃんとJASRACの許可を取っている!)
心があるから、苦しかったり悩んだりするのだけど、
私たちが持っている心は、
あの星さえ、持てなかったもの。
その光を、純粋なもの、本来のありのままに
整えていけばいいだけなんだよね。
こうあるべき、こうしなければならない、を外して
ただ、自分の光を放つこと。
心は、星のかけらなんだから。
いいねえ。
としみじみ味わってました。
前回受講した時も書いたけど
「はからない」を空気清浄機のように回しながらも
はかってよい、エゴまみれで良い
ただ、人のはかりごとが神のはからいを超えることは
ないのだから、穏やかな休日の昼下がりの心のあり方で
猫助け上手になれ
とてもシンプルでやさしいのだけど
日々の実践が大事なのよ。
今回てっぺいさんは言ってないけど
私は、このWSの「はからない」を
日常でも使い倒すことがとっても大事だと思う。
だって、生きてたら
はからなきゃならないこともたくさんある。
それをいちいち
「はかりごとNG」
ってしてしまうと、苦しいし、どうしていいかわからなくなる。
この日も参加してくれていた方から
ちょっと相談されていたことがあったのだけど
つまりは
「はかってよい!
でも、片隅で意味のない言葉の羅列のように
はからない
を回しておく」
だと思うよ、と話してたら
WSでも最後にそんな話になってたね。
今回もてっぺいさんは
たくさん質問が出ていたけど
ひとつひとつ真摯で誠実に対応していた。
「もうデータベースは大体あるんだよね」
とは仰るが
誰かへの意識の向け方ひとつとってみても
自然体なのだけど、醸し出している雰囲気に安心感がある。
少年のような、と思ってたけど
少女のような純粋さとキュートさ、かもしれないな。
それと、老賢者の包容力が同居している感じ。
いろんなことを認識していて
怒りや悲しみややりきれなさもあるんだろうと思う。
ただ目の前の轢かれそうになっている子猫を助ける。
それも、思わず体が動いちゃっただけの話。
WSで言ってることを本当に体現している人です。
と書いておいて何だけど
てっぺいさんがLINEスタンプいいなー
と途中で言ってたことに関しては
もしやり始めたら
スタンプだけのやりとりになりそうね
と思ってしまったよ。
まあ、ご本人がさらに斜め上から
「でも俺、スタンプを交換する友達いねーな」
と仰ってたけどね…
今回ちらっと話したけど
私は、願望の方は
安室ちゃんが昔歌ってた
「夢なんて見るもんじゃない 語るもんじゃない
叶えるものだから」
のように、願ってないで行動しようよ
と感じているので、願望書き出すワークが
本当に難しいのね。
そして、今の「願い」は
私のはかりごとや、自力ではどうにもならない
「他力本願」
なことばかりなの。
だから「はからない」をまわしながら
日々の出来事に淡々と、取り組むだけですね。
このテキストの最後に書かれている文章。
これは、WSに参加して、ぜひ内容を聞いてから
じっくり味わってほしいのだけど
そこに生じる「機会」や「縁」=ネコに一切の行動を預け
ここ、心にしみいるのです。
日本には
「袖振り合うも他生の縁」
があるけど、本当に、目の前の人がどんなに
自分にとって嫌だ、受け入れられないと感じられても、
そこには「縁」つながりがあるんだよね。
それをダイレクトに受け入れるのは難しいかもしれないけど
誤認をこまめに解放しながら、
日々に起きる様々なできごとを
「はかりながらも、片隅ではからないを回し」
淡々と、自然体で生きていると…
いつのまにか、自分が思ってもみなかった
でも、自分に必要な場所へ運ばれている。
もしかしたら、それを
「運命」
というのかもしれない。
と感じた、今回の「古くやさしい魔法の生き方」でした。
あ、そうそう、てっぺいさんは
「ダシガラやタタミイワシにならないこと」
とも仰っていた。
うん。だから、「欲しい」と思うことも大事なんだよ。
あきらめない、求めていい!
と言われて、やっと願望で
「また三浦大知くんのライブに行きたいです」
って願望が出てきてくれました(笑)
あくまでも人として普通に自然に生きていこう。
というメッセージが、本当にあたたかい、このWS
これからもまた招致したいなあと思ったのでした。
私はてっぺいさんをししょーだと思っていますけど
自然体のこの方を「(アドラーの言う)尊敬・共感・信頼」しています。
ししょーの仰ること、特にこの古くやさしい~に関しては
ユングよりアドラー寄りの考えがはまる気がしているんだよね。
ただてっぺいさんは、アドラーは勉強不足で詳しくないと仰るが。
これからもこのWSでたくさんの人が、目の前の地面を固めて
軽やかに一歩、足が踏み出せますように。
ご参加下さった皆さまもありがとうございました!とても楽しかったですね。
今日もお読み下さいましてありがとうございました