西和賀日記626回「横黒館ここにあった」(北上線シリーズ④) | 西和賀日記 山・雪・味・人 楽しき農山村 

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奥羽山脈「真昼山地」に魅せられて65歳で岩手県和賀郡西和賀町に移住したおじさんの暮らしぶり

 【JR北上線ハイキング第4弾:横川目駅】

横川目駅前がかつて大賑わいだったことを「和賀平野の歴史と文化」(和賀町史談会、2005年)で読んで、ずっと気になっていました。

 

 

いつも7時43分ごろ家の前を走る町営おでかけバスに手をあげて乗車(100円)

若い西和賀高校生たちに囲まれて意欲は高まります。

 

 

8:42ほっとゆだ駅~9:07横川目駅。

片道420円。

横川目駅は横川目地域ふれあいセンター・横川目公民館の一角の「ふれあい談話室」が待合室に充てられていました。

きょうの一番の目的は、横川目繁盛の中心的施設だったという劇場「横黒館(おうこくかん)」があった場所を確認することです。

 

 

駅を出たところに大きな碑がありました。

文字の判別は難しいのですが、大正10年(1921)に横黒線(現・北上線)工事の黒沢尻~和賀仙人が開通した時のもののようです。

停車場道路建設の意義を強調している文面に読めました。

 

 

大正15年(1926)※に地元の私人によって開設された横黒館は昭和17年(1942)から金清堂菓子舗店主の及川清四さんが経営に当たったといい、昭和31年(1956)には300人収容から600人収容に拡大したと本には書いてあります。

老舗の金清堂菓子舗は今も街道に面して営業しています。

さっそく訪ねてみました。

 

 

目的は一瞬にして遂げられました。

道路向かい、店の駐車場になっているところが横黒館跡でした。

標識柱も立っていました。

三代目社長の奥さんが「義父(二代目)が劇場で映写機を回していたそうですよ」と教えてくれました。

90歳で今も現役菓子職人の剛身さんにさっそくお話を伺うことにしました。

 

 

「戦時中は軍事工場になって、飛行機を造る機械も入ったが、稼働しないうちに終戦になりました」

「映画は花巻の会社の移動映画館でした。高校生のころから映写技師をするようになり、横黒館だけでなく映写機とフィルムを持って横黒線に乗って方々に行きましたね」

「ウチでは旅館もやっていたし、街道沿いは商店が並び、飲み屋街もあって賑わってました」

横黒線は昭和41年(1966)に「北上線」と名称を変え、地域の社交場だった横黒館は昭和45年(1970)に閉館になりました。

 

 

ほかに何か見どころはないかと北上市和賀庁舎にある図書館に立ち寄りました。

沢内村出身の髙橋春時という元教師が書いた「岩手西和賀の方言」(岩手出版、1982年)に、前回ブログの「よでだうえ」がありました。

「よでだうぇ」終わりの田植え。田植えの終わり。赤飯を炊いたり餅をついたりして祝った。

 

 

郷土資料にあった山野獣江河鱗塔を見に行きました。

和賀西小学校の西、高圧鉄塔の近くにありました。

明治20年(1887)建立で、当時貴重なタンパク源だった山野の獣や川の魚の霊を慰める碑。

和賀町内では、自然界の動物供養碑はこれだけだそうです。

僕も熊や鹿や猪や岩魚を食べているので、この場を借りて手を合わせてきました。

 

 

昼どきになり、ファミリーマートの裏手にあるとんかつ専門店「あげもん」のとんかつ定食(1200円)で昼食にありつきました。

厚くてやわらかい肉、ソースや薬味にも凝っていて、初めての店でしたが満足の一食でした。

 

 

夏のような暑さの下、近くの川目神社にお参りし、和賀川に架かる瀬畑橋と瀬畑大橋を渡りました。

川目神社は農作の神で水を司る水波能女大神が御祭神で、嘉応年代(1169~1171年)の御神体とのことです。

 

 

昔、橋がない川を歩いて渡ったところを「川目」と呼んだそうです。

江戸から明治のころには瀬畑に渡船場があったと「和賀平野の歴史と文化」に書いてありました。

ファミリーマートで缶ビール、金清堂で土産のお菓子を買って横川目駅に戻りました。

14:01横川目駅~14:26ほっとゆだ駅。

駅の温泉につかり、15:00発の貝沢行おでかけバスで本日の行程を終えました。 (6月11日)

 

 ※横黒館の開館:昭和2年(1927)としている資料もあります。完成と開館の違いかもしれません。