気仙沼日記846回「音楽22:バッハのマタイ受難曲」 | 西和賀日記 山・雪・味・人 楽しき農山村 

西和賀日記 山・雪・味・人 楽しき農山村 

奥羽山脈「真昼山地」に魅せられて65歳で岩手県和賀郡西和賀町に移住したおじさんの暮らしぶり

2019年(令和元年)の大みそかとなりました。

N響の第九と吉田類の年またぎ酒場放浪記で新年を迎えようと思います。

ボクシングの井岡のタイトルマッチが夕方の放送だったので、見たい番組の三つどもえにならなくてよかったです。


年をまたいで聴く音楽にふさわしいのはバッハのマタイ受難曲です。





5月の改元の時にも手持ちの3枚組CDを回しました。

時代や年をまたぐ節目にはうってつけです。

なぜなら、時代や年をマタイで(跨いで)聴けるから…

というのは、おやじギャグでして、座布団を一枚ももらえません。


この曲は、僕が十代のころには、本や放送や音楽雑誌で「バッハの最高傑作」とか「音楽史上の不朽の名作」とか「音楽のすべてが詰まっている」とか喧伝されていました。

確かにそのとおりで、僕の場合も「孤島の一枚」は迷いなくこの曲でありました。






福音史家やイエス役など8人のソリストと小編成オーケストラ、少年合唱団と男声合唱団による全68曲・演奏時間3時間超の大作です。


冒頭の合唱だけでも、もう音楽の陶酔に引き込まれます。

20代のころ、悩みや不安が多かったのでしょう、この音楽に救いを求めるようにして、夜ごとにLPを回していた時期がありました。


独唱や合唱から劇的構成にいたるまで、音楽の奥深さがこれほどまでにも凝縮された作品はほかにないと思えるほどです。

日本では第九ファンがたくさんいますけど、ぜひマタイ受難曲にも耳を傾けてほしいと、大みそかを迎えるたびに密かに思っています。 (12月31日)