前回の【無駄話】で記憶一般の周辺知見を得ましたが、今回は幼児期の記憶が思い出せない現象(幼児性健忘-infantile amnesia)と自我の形成との関係を考えてみたいと思います。
当たり前ですが、子供は生殖→妊娠→出産→乳児→幼児という過程を経て運動機能(「はいはい」、伝い歩き、よちよち歩き等)や精神機能(認知、理解、言語伝達等)を獲得してゆくことが観察されます。このような人間の経年成長に関わる心の研究であるを発達心理学(注)などと言います。
注:参照にエリク・H・エリクソンが出てきますが、学生当時「私は誰か」という極めて実存主義的自我論を考えていた私は彼の著作である「自我同一性」も読みました。尤も彼の理論をそのままうのみには出来なかったのですが...
また、こどもの発達心理学に関して、フロイトを専攻した私として外せないのがフロイト発達心理理論(wiki)です。
書かれているようにリビドーを「性欲」と表現したために社会的バッシングを浴びたわけですが、リビドーの概念は寧ろ「生存への欲求」そのもので、自分としては漠然と
負-(タナトス-攻撃) ← リビドー(生命エネルギー) → 正+(エロス-愛)
というイメージを描いていました。
一般に発達心理学とは「人間の生涯にわたる心の発展過程を研究する心理学分野」と定義されていますが、今回は特に「出産により新生児(出生後28日未満)として生まれた人間が、乳児(出生後1年未満)、幼児(学齢未満)を経て自我を獲得、成長させてゆく過程」で
何故人間は自我が形成される3~4歳頃以前のことを覚えていないのか
について考えてみます。(注)
注:wikiの「幼児性健忘」では海馬が未発達で言語化できない為の記銘の失敗、または干渉による想起失敗のように書かれています。又河合先生の記事では同様の説明の後、「検索の失敗」によるものと考えられているようです。
河合先生の記事の中で「一般的に子どもは1歳半ごろまでに言葉を話し始めます。つまり,1歳半ごろまでに言葉を記憶しているのです。よく考えると当たり前ですが,それでも赤ちゃんのころの記憶がないように感じるのは,「いつ」「どこで」「なにを」したかというエピソード記憶が発達していないからでしょう。「自分自身についての記憶」であるエピソード記憶は発達がとても遅く,4歳ごろに機能するといわれます。このため,幼児期の記憶がないと感じるようです。」とあり、このことから「子どもの記憶を育てるには親の口から積極的に楽しかった、嬉しかったことを繰り返し伝えてあげましょう。日常の何気ない場面や感情、愛情を言葉にして子どもの記憶に積み重ねていくことも大切です。」ともいわれますが、心理学的には虚偽記憶(「偽りの記憶」-認知心理学が解き明かす「子どもの体内記憶」の真相)の問題も包含します。
さて、発達心理学では子供(人間)の自我形成については「客観的観察(子供の行動や表出の観察)」と「主観的観察(子供のに対する質疑の回答の分析解釈)」という二通りのアプローチがありますが、いずれの実験によっても、
(1)自己と他者の認知(注1)
(3)「時間認知」(注3)
が重要になってくるのではないでしょうか?
「幼児期における自他の特性に関する理解とその発達」(東京経済大学 全学共通教育センター准教授 野田淳子)
注2:同一視、投影、摂取は心理学における防衛機制、葛藤や脅威による不快な感情を緩和するために用いられます。
①同一視-自分にない優れた能力や名声を持つ他者を真似て自分を近づけること、自分の存在自体を他者に重ね合わせ、他者の状況を自分のことのように感じたり考えたりすること、自分が尊敬する人と同一になりたいという欲求から発生する同調現象
②投影-自分の感情や思考や動機を他人になすりつけること、受け入れがたい感情や性格などを、相手が抱いていると思い込むこと(投影性同一視という概念もあります。投影性同一視とは、投影と摂取の要素を合成したもので、自分自身の受け入れがたい感情や性格などを相手が抱いていると思い込み、相手へ「投影」したものを「同一視」することです。)
③摂取-他者の内にある考え方、価値観、感情などを自分の内に取り入れること、主に未熟な発達段階でのもので、他者を断片的に取り入れること
「同一化と人格発達」
注3:
「子供の時間知覚」
「幼児期中期の「自我」の発達と保育の課題」(京都府立大 教育福祉論・発達心理学教授 服部敬子)
様々な記事や論文から、乳児の段階では自我が未発達で自他の区別が乏しく、母親とのコミュニケーション(母親が<主体>の授乳の対象となる我("me")-客我、<主体>として母親を対象におっぱいを吸う我("I")-主我)が始まり、少しづつ自我が発達し、運動機能の発達とともに経験量が増えることにより「自分の客体化」が進んで主客分離が進んで「自己の客体化により、主体を他者に投影したり」「他者に自己を投影させることにより、他者の内面を推し量ったり」することが出来るようになるように思えます。
「幼児性健忘」が「海馬が未発達で記銘ができない」「(多重関連付けにより)干渉により想起できない」というよりも、主我と客我が分離した「混乱した自我」が統合される「自我のパラダイムシフト」の際に、旧主我に関連付けられた記憶と旧客我に関連付けられた記憶が関連付け(データリンク)を失い、「検索できない」ようになるのでしょうか?「幼児性健忘」に関わる様々な実験も行われています。(「幼児期記憶の感情と年齢差」(慶応義塾大学学術情報リポジトリ))
一部の自閉症スペクトラム症では幼児記憶がある、という記述がありますが、自我統合が不完全で記憶リンクがそのまま残っているとかの(こじつけ的)解釈もできるように思います。
何れにしても、「幼児性健忘」と自我の発達や時間認識は密接な関連があり、人間存在のあり様、ひいては人格障害の機序を理解するうえで大きなヒントとなるように思えます。






