【Pscho】シリーズフロイト再考フェーズに進み、前回は【Psycho】フロイトの描く「自我世界」をやりましたが、一般の方が「フロイト」に関して興味を持って接近する機会は矢張り

 

夢判断

 

ではないでしょうか?そして(To be very honest and with no hesitatation to say)そのような方は「人の心理」や「(特に)ご自身の知らない部分(無意識)」に興味や関心があるといってまず間違いないと思います。

 

(フロイトの生涯には理論変遷がありますが)フロイトが「夢判断」を著したころの簡単な纏めとしては、

 

(1)夢は無意識(エス)の欲求の発露(夢という精神現象の目的は潜在的な願望の充足)

(2)但し、それは抑圧を受ける為、検閲された表現となっている

(3)従って、夢を記録し、自由連想を行って夢の中の事象に関連する意味を探り、本当の意味を判断する

 

というものです。しかし、これはフロイトが自分の夢を自己分析して得た結論であり、与件と問が結論となる「循環論法である)」という批判を容易に受けることになります。

:この中で「ヨイショ」と書かれた中野信子さんの記事はこれ。精神現象を「外から観る(脳神経学)」方が「内から観る(精神心理学)」のを面白がる、ということの方が興味深いですね。

 

フロイト(精神分析学)とならぶ大家の一人であるユング(分析心理学)は異なる見方をしています。()まず彼は夢が心の状況を表現し、自我や意識に対して補償の役割を果たしていると考え、無意識のみならず意識も相互的に夢に作用し、更に(ここがユングのユングたらしめているところですが)無意識(集合的無意識あるいは元型)から意識に向けてのメッセージであると考えました。

:Copilotなどは↓の様に対比させますが、これで「相違を表し」ているといえるのでしょうか?「自我に対する補償」とは「満たされない願望充足(の願望)」とどう違うのでしょうか?また、双方とも観念連合を自由連想や「語ってもらう(どう違うの?)」によって確認、解釈されるのは(寧ろ)極めて類似しているというべきでしょう。唯一の大きな違いが(フロイトが非科学的だとして忌避した)ユングの「集合的無意識」なのでしょうが、それも「鶏(集合的無意識があり、それが発露する)が先か、卵(個に誕生後共通文化的価値等が刷り込まれる)が先か」という感もあります。

 

フロイト

ユング

夢の解釈

願望充足、睡眠の守り手

心の状況をありのままに描き、自我や意識に対する補償

夢分析の方法

自由連想法

夢を語ってもらい分析する

無意識の捉え方

個人の体験と経験によって形成される

意識と無意識が相互的に作用する

 

ここ迄で当時の精神分析学等が「(観察の対象である自我による)内省される現象を(観察の主体である自我により)解釈せざるを得ない(また他の方法で検証することもできない)」という本源的弱点をさらけ出してしまうことになります。(しかし、そのような批判を浴びながらも未だにフロイトや夢判断が支持される・・・人々に思い当たる節がある・・・ということも見逃せない事実です。

 

ここでは精神分析や(分析)心理学という「(内側から観る)内省的現象記述アプローチ」からいったん離れて、

 

とは何か(現在どのように考えられているか)

 

を異なる観点(「外側から観る)神経生理学的アプローチ」等)から再考してみましょう。

 

↑の記事を見ると、夢は

 

(1)人間が睡眠中(除白昼夢)に観る(

:必ずしも視覚だけではなく、夢で経験される知覚認知は「ヒトの場合、視覚の夢96%、聴覚の夢25%、動く夢19%、味覚の夢2%、触覚に関する夢1%、嗅覚の夢0%という結果...、先天性全盲者は視覚ではなく視覚以外の感覚を感じる夢を見る」だそうです。

(2)主としてレム睡眠の時に出現する

(3)「大脳が覚醒時と同様な活動状態を示す脳波になる。時にはその活動に刺激されて反射運動がみられる場合がある。この反射運動には、寝ている状態で手足を動かす、声を発する(つまりは寝言)などある。寝言の中にはを歌いだす」(

:私が米国に駐在していた時、寝言も英語だったと神様から聞いています。

(4)夢を見る理由については現在のところ不明

(5)身体状況の影響では「尿意が夢に反映されやすいのは良く知られ」()ていますが、飢えや渇き等の身体状況や、気温等の外的環境刺激がどのように夢に影響するかは分かりません。

:私自身の経験では、幼児の時にトイレに行った夢を見ておねしょをしてしまったことを覚えています。

 

ということで、大脳の(REM - Rapid Eye Movement)睡眠時における「(なんらかの)精神活動の結果または産物である記憶」()であるという以上のことは(科学的には)言えないと思います。(その意味で夢判断や夢分析を「夢占い」と大同小異と批判する人もいますが、それはそれで誤っているとは言えません。「夢占い」も経験的な夢の象徴解釈の試みであることに変わりはないのですから。)

:大体夢を観ている時、「視座という主体認知(「私が見ている」という「意識」)」が感じられますが、それは覚醒時の意識(見当識)とは全く違う「意識」であることは間違いありません。また、観た夢を忘れてしまう(夢の内容が記憶にない)ことは都度あることですが、その場合でも「夢を観たという記憶」があることを忘れてはなりません。

 

その意味で、フロイトの「願望充足説」は100%正しいわけではありませんが、同時に100%間違っているわけでもなく、「願望充足説に基づく解釈」が奏功することもあったでしょう。要すれば夢という現象の前で「夢が何なのか、夢を観ている時の意識がどのようなものか、何故夢を観るのか、何が夢の原因となり又は影響を与えるのか」まだ分からない、というのが「科学的な結論」なんでしょう。(フロイトの偉大さは、少なくとも彼以前にはなかった「夢には(無意識に関連している、何らかの)意味がある」という主張を社会に定着させたことでしょう。)

 

とはいえ、

 

これで終わっては身も蓋もないので、(願望充足説の)フロイトを悩ませた「悪夢や不安夢の解釈」はどうなのか?に移りましょう。フロイトは第一次大戦を経て(エロス・リビドーの対極にある)タナトスの概念を取り入れ、「例外」を認めたようです。()確かに自我防衛機構として外傷的な経験や不安(外傷的な経験の予想)を「予め経験する」ことは十分に考えられ、あり得ることです。

出典

Freud considered that the experience of anxiety dreams and nightmares was the result of failures in the dream-work: rather than contradicting the "wish-fulfillment" theory, such phenomena demonstrated how the ego reacted to the awareness of repressed wishes that were too powerful and insufficiently disguised. Traumatic dreams (where the dream merely repeats the traumatic experience) were eventually admitted as exceptions to the theory. フ ロイトは、不安夢や悪夢の体験は、ドリームワークの失敗の結果であると考えた。「願望充足」理論と矛盾するのではなく、そのような現象は、あまりにも強力 で十分に偽装されていない抑圧された願望の自覚に対して、自我がどのように反応するかを示しているのである。トラウマティックな夢(夢は単にトラウマ体験 を繰り返す)は、最終的には理論の例外として認められた。

 

不安夢の序に、最後に(余り夢は覚えていない質なんですが)私の経験する、繰り返し見る不安夢(既視感の有る夢ではなく、現実に何度も見る同様の夢)についてご紹介しましょう。

  • 時空的にあり得ない組み合わせの背景や環境の夢です。(例えばエレベーターが数百階まであるとか、異なる時代の友人や同僚が同時に現れる等)
  • 例えば私は巨大な(日本橋三越のような)旧い格式のある石造りのような建物の薄暗い回廊をウロウロとさ迷い歩いています。(他の例では広々としたモール建物の中にいます・・・眠っているのに「あー、これは昔行ったWhiteplains(NY州)のモールだな」という意識があったりします。)
  • なんでそこにいるのか、何を求めて、何をしようとさ迷っているのか分かりません。しかし私は「解決」を求めてさ迷っている、という意識があります。
  • その為に回廊のドアを開けて中に入ってみたり、旧い(日本橋三越にあるような金属格子付きの)エレベーターに乗ったりしますが、所謂"going nowhere"で(ぼんやり)目的地と感じる地点から却って離れてゆくことを認識し、不安になります。
  • どうあがいても、どんなに歩いても「決して目的地に到達しない」という不安感が高まります。
  • そして絶望感を感じながら覚醒します。

 

フロイトなら「それは貴方が子供の時に持った、禁断の性的欲望が満たされない為にその充足を求めてさ迷っていることを表しています。」と言うでしょうか?

 

意識の内省的観察を行うことを唯一の方法とする精神心理学では、そうであるという立証も、そうでないという反証もできない

 

ことを痛感します。(まぁ、大脳神経生理学でも無理だとは思いますが...)

 

前回フロイトと精神分析学のQuick reviewを行いましたが、フロイトがヒステリー治療から除反応(無意識の抑圧を意識化することで症状が消失するという(後のブロイアー曰く)カタルシス療法)に気が付いた辺り(注1)から、彼は無意識を含む精神世界像を独自の解釈で構築(注2)してゆきました。

注1フロイト『自我とエス』(1923

注2:彼は人文系というよりも理工系のバックグラウンドを持っており、主観的現象記述をそのままにすることが出来ず、恰も構造や実態を持った自然科学「風」に構築したかったのかもしれません。

 

フロイトの描く精神世界(または「自我の構造は、

 

というものでした。

:フロイトは「自我(ドイツ語Ich-英語’I')」という言葉を、人格の主体である広義の「自我(Ich)」と、上記心的構造の中でエス(ドイツ語ES-英語'it')と超自我(UBER-ICH-'Super-I')を調整して適応する狭義の「自我(しばしばラテン語のegoと訳されます)」があります。

 

これを少し解説、コメントすると...

 

エス(イド)

ESは、ドイツ語の3人称単数の代名詞(「それ("it")」)を意味します。一方IDはラテン語の「それ」を意味します。

精神分析学では「エス」も「イド」も同じもので、人間のあらゆる本能的な生存欲求の源となる「領域(フロイトはそう考えた)」で、(当時批判されたように)しばしば(「種」の生存欲求である)性的欲望、欲求と関連します。欲求、欲望は意識される場合もあれば、無意識である場合もあります。
前に神経科学の所で、生体反射的機能をつかさどる延髄や内臓等の機能をつかさどる小脳などが、「無意識」で生命維持を行っていることを書きましたが、そのような(脳の前頭葉皮質の「高次な脳機能」をプログラミングにおける「高級言語」に譬えれば、アセンブラーや低級言語Cのような)原始的な生存欲求、欲望である食欲、睡眠欲、性欲等の主観的現象記述だと愚考しています。

 

超自我
エス(イド)の対局にある超自我(Uber-Ich)は、生後の親のしつけや成長するにつれ受ける社会的要請等で形成される"Does and Dont's"という「ルールや規範、道徳を重視する領域」であるとフロイトは考えました。

 

何故フロイトがこのように考えたのかというと、彼は先ず「母親に対する(しばし性的な)愛情とその障碍となる父親に対する敵意が禁忌として抑圧される(後にそう呼称することになる)『エディプスコンプレックス』を想定し、それを生み出した抑圧者が超自我であると着想するようになったからです。

当時の書簡から、彼は自己分析を行って(当時のオーストリアや欧州の文化的な背景のもとに)自らにエディプスコンプレックスを見出し(「僕は母親への惚れこみと父親 への嫉妬を自分の中にも見つけたのです。」)、それに対する抑圧自覚して、その抑圧者こそが超自我とその役割であると考え始めたことが覗われています。(

エディプスコンプレックスの形成と変遷.pdf その後、個人に限らず「トーテムとタブー」では社会心理学的にも「父殺し→王殺し」というエディプスコンプレックスが存在すると壮大な「発達文化理論」にも発展します。なお、(女性用の「エレクトラコンプレックス」もありますが)フロイトの「エディプスコンプレックス」に対して批判的であったのが女性精神分析学者のメラニー・クラインであったことは印象的です。

 

 

私は精神分析を学び始めた学生の時から、この「エディプスコンプレックス」は19-20世紀のキリスト教的欧州文化が刷り込まれたフロイトの「投射」理論だと疑っていましたが、クラインの「エロス対タナトス」などを持ち出す以前に、超自我は「投射と摂取」という精神分析の防衛機構から説明されるべきだと考えていました。要すれば親や他人からしつけられ、叱られ、懲罰を受けた経験からその「(社会的)権力者を摂取(他者の取り込み)」し、今度は自己を他者化して「他者化した自己を『しつけ、叱り、懲罰する』ようになる」訳です。

 

何れにしても、このような何ら事実による検証もないファンタジー(ギリシア神話(エディプイス)や悲劇(エレクトラ)からの命名からして詩的ですが)を、神経症の臨床治療から文化人類学迄敷衍していけた(反対や批判も多かったが、過去から現在に至るまで多数の人が受け入れた)ことが「フロイトの直観力の天才性」ともいえると思います。(

:もはや「学」ではなく、「文芸」としてですが。事実、フロイト全集も「大河小説として読める」と私は思います。


自我
エスと超自我の間に挟まれた中間的、調整的領域としての「狭義の自我」で、その存在は弁証法的です。この自我は常に意識的であり、自意識の光の当たっており、見当識(現在の状況を把握する能力で、時間や場所、人物などに関する認識 )の主体となるものです。↑の図では「無意識」と「前意識」()の間にありますが、
:「無意識」ということばもややあいまいで、「意識されていない」が「(抑圧等により)意識化できない」と「意識しようと思えばできる」に分かれるとフロイトは考えます。後者を前意識と言います。

無意識
意識化しようと思えば、思い出すように意識に上る「前意識」と異なり、(狭義の)自我が自意識の光の当たるところであれば、その光が当たらない(広義の)自我領域が無意識の世界だとされます。コンピューターの世界でいえば、ハードウェアやOSのサービスを担当するものは多くは「無意識的」です。

 

以上でフロイトの「自我世界」のあらましの解説を終えますが、まぁ、ザックリと現在の私に言わせてもらうと、↑の図(「自我世界」)は

 

当時のキリスト教的、父系(男性)社会的、欧州(欧州の中のユダヤ)的、自然科学(の志向)的「フロイトという個人」の内省を現象として「エポケー」の上で記述することなしに、「整合性、科学性、客観性を擬態した壮大な叙述詩」を理論体系とした「疑似科学」精神分析学の顕著な一例

 

ではないかと思います。しかし、同時に

 

現在でも、異なる人種、国籍、言語、性別、年齢の多くの人が、彼の壮大な叙述詩である精神分析学の様々なテーマに共感(同意)を示していることは極めて素晴らしい(文芸的)作品

 

と言えるのではないでしょうか?また、精神活動という

 

単なる脳細胞のシナプス結合、その興奮や機能という客観的観察と同じものが、内省的叙述によりこのように表現され得る

 

という「現象を外と内から観る」相違に深い感慨をもってしまいます。そう思いません?

 

今年になってから(プログラミングのネタ切れで)始めた【Psycho】シリーズですが(学生時代から既に半世紀を経ているので)、「記憶」以降の心理学の基礎の復習、神経症の解体統合失調症双極性障害などを経て、最後にこのシリーズの最後のテーマである「精神分析」について、

 

先ず結論

 

である「精神分析...は今?」と「精神分析...結局、何だったの?」を今回書き、その後各論を思いつくままに書いてみたいと思います。(実はその為の復習としてwikiの精神分析学を「あーそうだった」「そうそう、これもやった)等と見返してしまいました。)尚、以下「紫字」はwikiからの引用、青字は私の結論的部分(Chat-GPTにも助けてもらいましたが...)です。

 

1.「精神分析...は今?」

精神分析(学)は、ユダヤ系オーストリア人であるジークムント・フロイト(Sigmund Freud)が創始した、ということについては争いはありません。フロイトはもともと「自然科学者・神経学者で、脳神経や精神(心)の動きがすべて解明されれば、人間の無意識の存在やその働きについてもすべて実証的な説明が可能になると信じてい」るような今でいう「理系志向」の人でした。(その結果「フロイトは宗教や宗教的なものに対する峻厳な拒否を生涯にわたって示しつづけ、その結果ユングをはじめ多くの弟子たちと袂を分かつことにもなるていた。それゆえ、フロイトは宗教や宗教的なものに対する峻厳な拒否を生涯にわたって示しつづけ、その結果ユングをはじめ多くの弟子たちと袂を分かつことにもな」りました。)

 

所が、「(当時)原因不明の病気であり、脳に何の異常もない器質性の病気ではない、心因性の病気だと考えられていた」ヒステリーに興味を持ち、「シャルコーのヒステリー講座に感動して、精神科医へ転向」し、「催眠状態の時に患者が意識していない幼少期の事柄を喋ると、ヒステリーの病状が改善した事が知られて」おり、ヒステリーの治療を通じて「無意識領域に抑圧された葛藤などの内容を自覚し、表面化させて、本人が意識することによって、症状が解消しうるという治療仮説(思い出して言語化して表出することができれば、症状は消失する」「除反応(後にブロイアーにより『カタルシス療法』と命名)」「という治療法」を通じて、「精神分析学」と呼ばれる理論体系を構築してゆきました。

 

しかし、「精神分析が創始されたころの精神医学においては、『精神病の原因は脳の何らかの器質的異常によるものであるが、その異常はいまだ解明されていない』という精神病内因説が優勢であった」為、「また、脳科学もその異常を解明できそうなところまで発達していないので、フロイトと同時代の精神科医たちは精神障害の原因究明には興味を示さず、むしろ症状を詳しく分類することに力をそそいでいた。
このような精神医学は、精神障害の根本的メカニズムを解明しようとする精神分析とは交流を持たず、しばしフロイトならびに精神分析を排斥し迫害する立場に回った。そのため精神分析は、精神医学界から離れたところで独自の発展を遂げることになる。精神分析が精神医学と深く結びついていくのは、フロイトの死後かなり経ってから、それも第二次世界大戦後のアメリカにおいてで
」した。

 

現在精神分析学は「精神分析の影響が大きかったアメリカにおいても、1980年のDSM-III(精神疾患の診断と統計の手引き)以降、神経症の概念が解体される方向に向かい、患者の希望した薬物治療を拒否して精神分析に専念した治療者が、患者との裁判で敗訴した(参照:過誤記憶裁判)こともあって、精神分析医の数は減少し」、

現在の**米国精神医学会(APAAmerican Psychiatric Association**におけるフロイトの精神分析の評価は、歴史的な意義は認められているものの、科学的な臨床実践としての影響は限定的という立場にあります。

1. 歴史的意義の評価

  • 精神分析は20世紀前半において、精神医学や心理療法の発展に大きく貢献しました。

  • 特に、無意識の概念幼少期の経験の重要性**防衛機制(抑圧・転移など)**といった考え方は、現代の心理学・精神医学にも影響を与えています。

  • 精神医学の分野が薬物療法一辺倒ではなく、心理療法を重視する流れを作った点で重要な役割を果たしました。

2. 科学的妥当性の問題

  • 精神分析は経験的・実証的な方法論が欠けていると批判されており、**「科学的な検証が困難」**という点が問題視されています。

  • フロイトの理論は主に臨床事例に基づいており、現代の心理学・精神医学で求められる統計的な研究や実証的データに乏しいとされます。

  • そのため、精神分析は**エビデンス・ベースド・メディスン(EBM: 証拠に基づく医療)**の基準を満たしにくいと考えられています。

3. 現在の米国精神医学会における立場

  • **DSM(精神疾患の診断・統計マニュアル)**は、客観的な診断基準を重視し、フロイトの精神分析的診断カテゴリー(例:「ヒステリー」)はほぼ排除されています。

  • 治療の主流は、認知行動療法(CBT)や薬物療法が中心となっており、精神分析は補助的なものと見なされています。

  • ただし、特定の分野では精神分析的アプローチ(関係精神分析など)が精神療法の一つとして残っています。特に、長期的な心理療法を重視する治療者や一部の心理学者は、精神分析的な手法を応用することがあります。

4. 精神分析の現在の位置づけ

  • 精神分析そのものは、心理療法の一つとして残っていますが、主流ではありません。

  • 精神分析的アプローチを現代的に発展させた「精神力動療法(psychodynamic therapy」は、比較的短期的な治療として現在も用いられています。

  • 一部の研究では、精神力動療法が特定の症状(うつ病など)に有効であるという報告もありますが、認知行動療法ほどの広範な支持は得られていません。


結論

米国精神医学会において、**フロイトの精神分析は「歴史的に重要だが、科学的エビデンスに乏しいため、現在の精神医学の中心ではない」**という評価になっています。
ただし、精神分析的アプローチの一部は精神力動療法として残っており、特定の治療領域で一定の影響を維持しています。
(Chat-GPT)

 

2.精神分析...結局、何だったの?

ということで、所謂昔の「精神病」に対して(精神療法である)精神分析が余り有効でなかったことから、またフロイトの採った方法論が(私的<わたくしてき>に言えばフッサールの現象学()のような)内省的観察や記述であり、フロイト個人の主観によるバイアスと推論を免れ得なかったこと、また「近年、従来の薬物療法に加え、認知行動療法 の有効性が確認され、薬物療法と併用する医師が増加している」ことから、

:【フッサール現象学の方法論】

  (1) 外界の実在性について判断を停止(エポケー)

  (2) 純粋な意識(内観現象)を記述考察

  (3) 主観と客観の関係を考察

  (4) 意識の操作によって厳密な学問に体系化

 

実証主義的科学論者により「精神分析はエビデンス の不十分な療法」と批判され、支持を失った一方「精神療法の基本的な考え方が精神分析学派の諸概念を基に発展してきているのも事実であり、精神科医 や臨床心理士 、ソーシャルワーカー などが患者理解のために精神分析の概念を援用することがある。口語版精神分析とも呼ばれる交流分析 は心療内科 や看護 、介護の領域で活用されている。また一般の人々が、抑圧やコンプレックス といった精神分析由来の概念を使用(あるいは誤用)して、自分や他人の行動や心の動きを説明することも、日常生活のなかでよく見聞きする」というように、

 

(1)「精神分析学」という(実証科学的)学問としての生命は尽きているものの、

(2)(フロイトの提唱した)精神分析の種々の心理機構的概念が現実の対人心理分析に有用であることから「民間利用」の「技法」としてまだ存在している

 

のではないかと、(半世紀前のフロイディアンである小生は)愚考しております。

 

では、

 

実際どうなのよ?

 

という各論になるのですが、それは次回以降追い追い書いてゆきたいと思います。

 

昨年暮れから興味を持って聴き、親しんだKing Gnu(というか、常田大希)。

 

チェロを弾かせれば(事実なので、当然)プロ級、ギターも(僕も昔ギタリストだったので)ソロの部分の輝き、その他諸々の演奏能力に隠れて見えないのが、

 

彼の詞(詩?)

 

半世紀前、言葉にこだわっていた文学少年だった私にビシビシ響く

 

言葉使いと構成

 

そっちにも痺れます。

最近サボってブログを更新していないのには訳があります。前に義父が亡くなったと書きましたが、ようやく葬祭儀礼が終了し、妻と姉が何度か頭を突き合わせて、あれやこれや打ち合わせていますが、どうも苦戦している模様。とはいえ、「他人の金」なので私も口をはさみたくなく、放っておいたのですが、時間はどんどん過ぎて、相続登記や相続税申告等〆切のある問題があるのでとうとう介入することにしました。

 

1.取り急ぎ不動産の相続登記をしなければなりませんが、その為には遺産を特定し、それを相続人で分割しなければなりません。そんなことを神様に言うと「五月蠅いわねぇ、プンプンッ!」と怒りますが、運転手で登記所に相談に付き添いで行くと「3月末を過ぎると、固定資産評価洗い替えがあるので、区役所にまず確認...云々」と言われ、とうとう「あなた、手伝って」と言わせることに成功しました!

 

2.私は昔保険屋で、損害調査業務を行っていたので、法務、不動産登記、税務や関連事務にそれなりに知見があり、神様と姉が取り急ぎかき集めた資料を基に相続財産目録、遺産分割協議書、登記申請書や将来の二次相続に向けた区分所有建物の処理として売買契約書、その登記申請書を取りまとめて先週登記所に赴いて、申請を完了しました。(実はこの後も区分所有建物の合併登記が残っているのですが、それはまた追い追い...)

 

3.次に相続税の申告になりますが、収集するデータが馬鹿多いし、所謂「小規模宅地に関わる特例」に関わる考え方、計算方法等の確認に時間を費やし、また区分所有建物に関わる固定資産税明細の評価額の確認(これは経験のない税理士も分からない人がいます)等滅茶苦茶めんどくさい細かい情報をweb、人づて、税理士の無料相談、果てはChat-GPTで確認し、専用スプレッドシート(注)を作成して纏めてゆきます。

注:これはコンサルタント時代から私のやり方なんですが、収集したデータをスプレッドシートのマスターシートに纏め、作成する文書は総てこのデータを参照(リンク)するようにしておけば、転記ミスやコピーデータの更新忘れを避けられ、データの変更があってもすべての文書が一遍に交信できるからです。

 

4.最後に不明点を纏めて一昨日無料税理士相談サービス(注)を受けて最終確認し、相続税計算は(未確認情報のバリデーションを行えば)一応完了というところまでこぎつけました。

注:当然、税理士業務の営業があり、見積もりをもらいましたが、

「一件100万円!」

ということで、「それなら亭主にやらせる」と神様が宣われました。

 

5.しかしまだまだいばらの道は続き、登記簿謄本や印鑑証明等の付属資料ではなく、税務署に提出する相続税申告書を作成しなくてはなりませんが、

これが難題!

先ず国税庁が公表しているPDFのフォームが数十種あり、「一番簡単な、普通の一般庶民の、住居と金融資産だけの個人相続」でも申請書類は14ページに及びます。又それを記入するお作法が書かれた説明書は

まるで本の様!

成程、これなら「一件100万円」は(法律や登記、税金に疎い人なら)

有難い!助けて!

となるのも郁子(ムベ)なるかな、と思います。

 

6.これ(14のPDFフォームと申告書の説明書)ばかりは私も心が折れ、投げ出そうかと思いましたが、「どこかにフリーの申告書作成ソフトがある筈!」と信じてweb検索を行い、とうとう

唯一の無料相続税申告書作成クラウドサービス

に到達しました。(他にもソフトはありますが、大体2~3万円かかります。)

 

7.現在まだ未収集データがあり、まだ作成が完了していませんが、「少なくとも自前で相続税申告書の作成が可能」であるとの手ごたえがあったので、5月末までに完了したいと思います。

 

まだまだ【Psycho】シリーズでジクムンド・フロイト博士の偉大さを書きたいとおもっているのですが、今回のこの悪戦苦闘を同様に苦しんでいる同志の為に【実戦相続税申告】公開したいとも思います。

 

まぁ、そんなことも念頭にもう少しお待ちいただければ幸いです。

 

前回で【Psycho】シリーズの一応の締め、なんて感じを出しましたが、また性懲りもなく【Psycho】シリーズを続けます。そして、今回のテーマは...

 

自己愛(あるいはナルシズム

 

これが理解できない人はいないと思いますし、これのおかげで喜んだり、苦しんだりすることは人間すべてに見いだせるといっても誤りではないでしょう。(スキゾイドパーソナリティ障害の人は知らんけど。)そして、この【Psycho】シリーズを始めることになったきっかけの【無駄話】「承認欲求」?ですが、実はその裏側に「自己愛」が存在しているわけです。

 

所でこの

 

「愛」(ホストクラブの名前じゃないです、念のため。)

 

ですが、神経科学がこれを究明するのはまだまだ先だと思われますし、心理学においても学術的な定義は未だなされていません。

 

誰もが知っているけれど、それが何かを言い表そうとすると逃げてしまうもの、それが「愛」(別に詩を書いているわけじゃありません、念のため。)(

 

:いらんAIのお節介で↓が出てきましたが、なんか腑に落ちません。

心理学における愛の定義は特定の人に対するいつくしみの感情や、親密な関係における情緒的な絆などです。

【愛の定義】

  • ロマンティックなパートナーや、子ども、家族など、特定の他者に対するいつくしみの感情
  • 親密な関係における情緒的な絆
  • 相互に価値を与えたり、発見したりする評価の過程

【愛に関する心理学理論】

  • 心理学者のロバート・スターンバーグは、愛の三角理論を提唱しました。愛は「親密さ」「情熱」「関与」の3つの成分に整理できるとしています。
  • ポジティブ心理学では、愛は「あなたと他者との間でおきるポジティブな感情の共有」「行動の同時性」「相互の配慮」と定義されています。
  • エーリッヒ・フロムは、愛とは与えられるものではなく、自分のなかに息づいているもの(喜び、興味、理解、知識、ユーモア、悲しみなど)を相手に与えることであると述べています。」(by Search Labs

 

↑のwikiの「ナルシズム」には「フロイトは対象に一切のリビドーが向かっていない事をナルシシズムと命名した」とありますが、私の理解では総ての愛(愛情)は何らかの「生命エネルギー(リビドー)」を(自己であろうが、他者であろうが)対象に振り向けることであり、前に書いたようにベクトルが反転するとそれは攻撃性として現れるために、「」と「憎しみ(攻撃性)」は相反しながらも同一であると考えています。「愛し、愛される関係」の極端な反転形がサディズムとマゾヒズムではないか、と言ったら変でしょうか?身近には「幼児が大好きな母親に怒られるとぶったりする現象」を想定してもらえれば、私の言っていることが理解できるのではないかと思います。

 

自己愛と他者愛の相克問題は、対人関係の基幹をなしており、所謂「健常者」でもトラブルが多いので、このバランスを崩したdisorderな人々は更に問題が多くなります。例えば、MSDマニュアルでも自己愛性パーソナリティ障害を紹介しました。

パーソナリティ障害を専門分野とする精神分析医のサンディ・ホチキスは、自己愛性パーソナリティ障害について以下のように述べた

  1. 恥知らず: 恥は、負のナルシシストの下に潜む感情である。彼らは健全な方法で恥を処理できない。
  2. 呪術的思考:負のナルシシストは「魔法の思考」として知られる認知の歪みや錯覚を使って自分自身を完璧と見なす。彼らはまた、他人に恥を「掃き出す」ために投影を用いる。
  3. 傲慢:自我収縮を感じている負のナルシシストは、他人の衰退、脱走、堕落を知ることで、自我を「再膨張」させることができる。
  4. 羨望:負のナルシシストは「軽蔑」を利用して他人の存在や業績を最小化することで、他人の能力に直面した際に優位性を確保する。
  5. 権利意識:自分が特別であると考えているため、負のナルシシストは特別有利な扱いやノーチェック・パスなど、根拠のない期待をしている。彼らは求める承服がなされないと、その優位性への攻撃だとみなすため、周囲からは「厄介な人」「困難な人」とみなされている。負のナルシシストへの抵抗は、自己愛を傷付けられた被害と見なされ自己愛憤怒を引き起こす。
  6. 搾取:他者の気持ちや関心に関わらず、負のナルシシストは他者を執拗に搾取する存在であり、それは様々な形となる。それはしばしば抵抗が難しいか、不可能な立場の人をターゲットとする卑劣なものになりうる。不利な状況に立たされた場合、従順を演じてみせるが本心からではない。
  7. 境界線の不全:負のナルシシストは他者との間に境界線があることを理解していない。他人とは別個の存在であり、自分の延長線ではないことが分からない。己のニーズを満たさない他人は、存在しないのと同じである。負のナルシシストに自己愛を供給する人々は、負のナルシシストの手足として扱われ、主人の期待に応えることが要求される。負のナルシシストから見た精神世界には自己と他者の境界線が存在しない。」(wiki ナルシズム

 

しかし、↑の1~7って、more or less、誰にでも見られる現象ですよね?これが「病的」と感じられるのは、反応が過剰であり得ないくらいに増幅された(従って「量」的でエネルギーのように感じられます)ことが問題であることが判ります。

 

最近は特に他者愛が過剰になってストーカーとか、自己愛が過剰になってモラハラやパワハラに発展する人が多くなったと思いません?

 

矢張り、何処まで行っても「自己と他者(認知と対人関係、相克)」「愛憎(エネルギーとしてのリビドー)」「(広義の)交信(コミュニケーション)」が【Psycho】シリーズの求める「人間存在の有り様」を探るキーワードではないかと感じさせます。

 

ps. ところでwebでこんなのを見つけました。真面目なのか、ふざけているのか...いやぁ、本気ですかね、1ページ論文。

 

既に何度か触れましたが、(高校時代に実存主義に傾斜した)私が大学時代に心理学(社会心理学と精神分析学)を専攻していた為、構造主義やら現象学やら首を突っ込んだこともあり、人間一般の存在の有り様を考えるために(当時原因不詳で『実存の病』と考えられていた)「精神分裂病」(現在は「統合失調症」)に興味を覚えたことが、今回の「学び直し」としての【Psycho】シリーズの動機でしたが、それはMSDマニュアルのパーソナリティ障害に(「統合失調症(Schizophrenia)」とは別に)「統合失調症型パーソナリティ障害」や「スキゾイド(Schizoid == Schizophrenia-like)パーソナリティ障害」があったこともあります。

 

今まで人間の精神機能(記憶幼児の心理学自他認知感情観念と概念<抽象化>)に触れつつ、代表的な精神障害の現在の捉え方や「神経症の解体」の歴史を概観してきました。

 

では、一体↑の三者はどう違うのか?

 

臨床医の説明が最も信頼できるのですが、知己がいないのでまたまたChat-GPT様に頼んで「WEBの総論」を確認しました。

 

私:統合失調症と統合失調型パーソナリティ障害の差異は何でしょうか?

 

ChatGPT:統合失調症と統合失調型パーソナリティ障害(スキゾタイパルパーソナリティ障害、STPD)は、名前が似ていますが異なる疾患です。

1. 統合失調症(Schizophrenia)

  • 特徴: 幻覚(特に幻聴)、妄想、思考の混乱、感情の平板化などの症状が見られる精神疾患。
  • 発症年齢: 10代後半~30代が多い。
  • 主な症状:
    • 陽性症状(本来ないものが現れる): 幻覚、妄想、まとまりのない発言や行動。
    • 陰性症状(本来あるべきものが減少する): 感情の平板化、意欲の低下、社会的孤立。
    • 認知症状: 注意力・記憶の低下、思考のまとまりのなさ。
  • 治療: 抗精神病薬(ドーパミン調整)、心理社会的リハビリテーション。

2. 統合失調型パーソナリティ障害(Schizotypal Personality Disorder, STPD)

  • 特徴: 統合失調症に似た認知の歪みや対人関係の困難があるが、幻覚や妄想が明確でない。
  • 発症年齢: 思春期~成人初期。
  • 主な症状:
    • 奇妙な信念(超能力やテレパシーの信仰など)。
    • 被害妄想的な考え方(しかし、統合失調症ほど確信的ではない)。
    • 風変わりな服装や行動、対人関係の困難。
    • しかし、明確な幻覚や重度の妄想は少ない。
  • 治療: 認知行動療法(CBT)、場合によっては抗精神病薬を低用量で使用。

違いのまとめ

  統合失調症 統合失調型パーソナリティ障害
主症状 幻覚・妄想・認知障害 奇異な思考・対人関係の困難
病識(自覚) 低いことが多い ある程度は保たれることが多い
社会適応 著しく低下 一部の社会活動は可能
治療法 抗精神病薬が基本 心理療法が中心(必要なら抗精神病薬)
経過 慢性的・再発しやすい 長期間安定することが多い

統合失調型パーソナリティ障害は、統合失調症と似ている部分もありますが、幻覚や妄想の程度が軽く、社会生活を維持できることが多いのが特徴です。統合失調症はより深刻な精神病症状を伴い、薬物治療が重要になります。

 

私:では、統合失調型パーソナリティ障害とスキゾイドパーソナリティ障害との差異は何でしょうか?

ChatGPT:統合失調型パーソナリティ障害(スキゾタイパルパーソナリティ障害、STPD)とスキゾイドパーソナリティ障害(SPD)は、どちらも対人関係が苦手で孤立傾向があるという共通点を持ちますが、その原因や特徴に違いがあります。


1. 統合失調型パーソナリティ障害(Schizotypal Personality Disorder, STPD)

特徴

  • 統合失調症と関連がある(統合失調症スペクトラムの一部と考えられる)。
  • 奇妙な思考や行動認知の歪みが顕著。
  • 対人関係の困難はあるが、他者との関係に不安や不信感を持ち、奇異な行動によって孤立する。

主な症状

  • 妄想的・奇妙な信念(超能力があると思う、陰謀論を信じる)。
  • 対人不安(強い社会的不安があり、他者を不信に思う)。
  • 認知の歪み(現実の解釈が独特で、錯覚や思考の異常がある)。
  • 風変わりな行動・服装(他人から奇異に見える)。
  • 関係念慮(他人の何気ない行動を「自分への特別なメッセージ」と解釈する)。

社会適応

  • 対人関係に強い不安を持ち、孤立するが、完全に他者と関わりを絶つわけではない
  • 感情表現はやや乏しいが、スキゾイドほど極端ではない。

治療

  • 認知行動療法(CBT)を中心に、場合によって抗精神病薬の低用量投与
  • 統合失調症に移行する可能性があるため、経過観察が重要。

2. スキゾイドパーソナリティ障害(Schizoid Personality Disorder, SPD)

特徴

  • 統合失調症とは関連が薄い(精神病的な要素はない)。
  • 対人関係そのものに興味がない(孤独を好む)。
  • 感情が乏しく、他者に無関心

主な症状

  • 人付き合いに関心がない(家族を含めて深い人間関係を持とうとしない)。
  • 感情表現が極めて乏しい(喜びや怒りをあまり見せない)。
  • 他人の評価に無関心(賞賛や批判にほとんど反応しない)。
  • 孤独を好む(一人の時間を過ごすことを望む)。
  • 性的な関心が低い(恋愛やパートナー関係に無関心)。
  • 想像の世界に没頭することがある(空想にふける傾向)。

社会適応

  • 他人との関わりを積極的に避けるわけではないが、関心がない
  • 社会的な場面では必要最低限の関わりを持つが、感情的な交流はない
  • 仕事は一人でできる職業(研究職、芸術家、プログラマーなど)を好む

治療

  • 本人が問題を感じにくいため、治療を求めることは少ない
  • うつ症状が出る場合には心理療法や抗うつ薬が適用される

違いのまとめ

  統合失調型パーソナリティ障害(STPD) スキゾイドパーソナリティ障害(SPD)
主な特徴 奇妙な信念・思考、対人不安 他者に関心がない、感情表現が乏しい
統合失調症との関連 ある(統合失調症の軽い形と考えられる) ほとんどない
対人関係 他人に興味はあるが、不安や不信感が強い 他人にそもそも関心がない
思考の異常 関係念慮、妄想的な信念、錯覚 正常(ただし空想にふけることがある)
感情表現 乏しいが、完全ではない ほとんどなし
社会適応 孤立しがちだが、関わりを持とうとする 孤立を好み、他者と関わらない
治療 CBT+場合により抗精神病薬 治療の必要性を感じにくいが、うつ症状には抗うつ薬

まとめ

  • **統合失調型パーソナリティ障害(STPD)**は、統合失調症に近い症状を持ちつつも、完全な精神病には至らない状態。対人関係に興味はあるが、不安や奇妙な思考で関係を築けない
  • スキゾイドパーソナリティ障害(SPD)は、そもそも他者に関心がなく、感情表現が乏しい。対人不安ではなく、「関わること自体を望まない」のが特徴。

これらの違いを理解すると、各障害の特徴がより明確になります。

 

私:ということは、「精神障害とパーソナリティ障害との差異」は社会生活が送れるか否か、他者とのコミュニケーションを維持できるか否かと理解してよいでしょうか?

ChatGPT:概ねその理解で問題ありませんが、もう少し厳密に整理すると、「精神障害」と「パーソナリティ障害」の違いは以下のようになります。


1. 精神障害(Mental Disorders)

  • 急性または慢性的に、思考・感情・行動に大きな障害を引き起こし、日常生活や社会適応が困難になる状態
  • 例:
    • 統合失調症(幻覚・妄想・認知障害により、社会生活が困難になる)
    • うつ病(重度の抑うつ状態により、仕事や日常生活に支障をきたす)
    • 双極性障害(躁状態・うつ状態の極端な気分変動がある)

特徴

  • 発症時期が明確(突然発症することが多い)
  • 症状の波がある(急性期と寛解期がある)
  • 治療により回復や改善が期待できる(薬物療法が有効)
  • 認知機能が障害されることが多い(特に統合失調症など)

社会適応

  • 重症化すると社会生活が困難になるが、治療によって改善することが多い
  • 例:統合失調症の患者が薬物治療によって社会復帰できるケース。

2. パーソナリティ障害(Personality Disorders)

  • 幼少期からの性格・行動の偏りが極端で、社会生活や対人関係に持続的な困難を抱える状態
  • 例:
    • 統合失調型パーソナリティ障害(STPD)(奇異な思考や行動による対人関係の困難)
    • スキゾイドパーソナリティ障害(SPD)(社会的関係への無関心)
    • 境界性パーソナリティ障害(BPD)(極端な感情の不安定さ)
    • 反社会性パーソナリティ障害(ASPD)(他者の権利を軽視する行動)

特徴

  • 発症時期が明確でない(幼少期からの特性として存在する)
  • 生涯を通じて持続する傾向がある(一時的な発症ではなく、人格の偏りとして現れる)
  • 治療による大きな改善は難しい(心理療法が中心、薬物療法は補助的)
  • 認知機能は正常なことが多い(ただし、歪んだ思考パターンを持つ)

社会適応

  • 社会生活はある程度可能だが、対人関係に問題を抱える
  • 例:スキゾイドの人は仕事ができるが、他人との関わりを持とうとしない。

精神障害とパーソナリティ障害の違い(まとめ)

  精神障害 パーソナリティ障害
発症時期 突然発症することが多い 幼少期・青年期から持続
原因 遺伝、環境、神経伝達物質の異常 性格や気質の極端な偏り
症状の変化 発作的・波がある(急性期と寛解期) 生涯を通じて一貫している
治療 薬物療法+心理療法(回復の可能性あり) 心理療法中心(治療の効果が限定的)
社会適応 治療次第で社会復帰可能 人間関係や社会適応に長期的な困難
認知機能 障害されることがある(統合失調症など) 正常なことが多いが、思考の偏りがある

結論

  • 「精神障害」は、一時的に社会生活が困難になるが、治療で改善することが多い。
  • 「パーソナリティ障害」は、治療で劇的に改善することは少なく、社会適応の困難さが持続するが、完全に生活が破綻するわけではない。

つまり、
精神障害は「病気」(回復可能な場合が多い)。
パーソナリティ障害は「極端な性格の偏り」(一生続くことが多い)。

よって、「社会生活が送れるか」「他者とのコミュニケーションを維持できるか」は一つの指標にはなりますが、それだけで単純に分類するのは難しく、症状の持続性や治療の反応性も考慮する必要があります。

 

ということのようです。(腑に落ちましたでしょうか?)「私的」には【Psycho】「神経症(ノイローゼ)」の解体で書いたような「昔の区分」でいえば、

  • 「昔の精神病」が(交信が不可能なほどに社会構成員である大多数が明らかに「病的」と感じられる)精神障害や(そのスペクトラムとして、社会適応困難性の程度が軽度である)パーソナリティ障害、
  • 「昔の異常人格」が(他者との交信が困難ではあるが、一定「社会構成員」として社会生活が可能な)パーソナリティ障害

と言えるかもしれません。後者は更に(所謂「サイコパス」と呼ばれる)反社会性パーソナリティ障害、不合理なほどまたは過度に逃避的行動傾向を示す回避性パーソナリティ障害、自他の愛情に関わる不安、その反応としての不安定な情動や行動を示す境界型パーソナリティ障害)や依存性パーソナリティ障害演技性パーソナリティ障害自己愛性パーソナリティ障害、昔の強迫神経症のような強迫性パーソナリティ障害、対人関係の不安が恐怖や攻撃性を引き起こす妄想性パーソナリティ障害がありますが、既に昔の物差しでの区分では仕分けできませんね。

:この「境界(Borderline)」という語は、1938年、アドルフ・シュテルン(Adolph Stern)が(当時の)精神病と神経症の区分がつかない「境界状態(borderline state)」を表す意味で使ったのが原義で、神経症が解体された現在適切な言葉ではないという批判もあります。

 

何れにしても、

 

(1)昔は原因が物理、化学的に説明できる器質的精神病の他に(当時は)原因が特定できなかった「内因性精神病」が、ニューラルネットワークやシナプスの概念から情報科学、認知心理学や神経科学によって器質的な原因が究明されてきたこと

(2)人権概念の発展から社会的不適応や相互理解(交信-コミュニケーション)困難な人を「種類として区別」するのではなく、「同じ人間」の「機能の障害(functional disorder)」としてとらえるようになったこと

(3)その延長で臨床的に精神機能障害を分別、判定することから診断(病名の付与)することになり、それは「機能障害の同定(identification of functional disorders)」の問題となったことから神経症が解体されたこと

 

が確認されたことから、当初の目的(「【Psycho】来し方を振り返り、行く先(全体像)を考える」)とはやや形が変わってしまいましたが、一応のカバーを見ることが出来たように感じます。尚「3.フロイド精神分析再考)」の部分は、引き続きネタが湧いてきた都度、MSDマニュアルに沿って、【Psycho】シリーズの延長として解釈してゆきたいと考えています。

:原案では、

(1)フロイドの功績

(2)フロイドの執着した整合性-精神分析「学」

(3)「イド(エス)、自我、超自我」、「無意識、前意識、意識」というような「物的構造化」の是非

(4)「生きるエネルギー」としてのリビドーとそのベクトル(エロスとタナトス)

(5)精神分析を「(人格)障害の復旧方法(精神療法)」としてではなく、「障害の検知(無意識の意識下-認知)」として使う

としていましたが、必ずしもこの通りになると保証しません(== 知らんけど)。

 

大分ご無沙汰してしまいました。

統合失調症(Schizophrenia)に触れたので、所謂「二大精神疾患」のもう一つ、「双極症(双極性障害、昔の『躁うつ病』)」に触れなければならないと考えたのですが、現在の臨床疾病分類(としてのDSM)では「気分障害(Mood Disorders)」として位置づけられ、この分類に現在の「うつ病(単極性障害、大うつ病)」があり、昔の概念、知識のアップデートとコンバートが必要になったので、↓の様なサイトで再学習()しました。

:結構な量だったので(また余り双極症事態に興味が無かったこともあり)、それこそ「余りブログを書く気分(mood)」にならず、ご無沙汰してしまいました。

 

双極症

うつ病

 

人間が辛いことや厳しい環境で抑うつ状態になることは何ら異常ではなく、またよいことが有れば嬉しくなり、ハイになることも別に驚くことではありません。このような「気分(mood)」が「感情」の領域の問題であることは既に学習しましたね。(

【無駄話】感情とその障害【無駄話】感情(「感情階層説」を読んで)

 

気分障害(Mood Disorders)」とは

「精神障害のうち、長期間にわたり悲しみで過度に気持ちがふさぎ込む(うつ病)、喜びで過度に気持ちが高揚する(躁病)、またはその両方を示す感情的な障害を示す障害を気分障害といいます。うつ病と躁病は気分障害の両極にある状態です。」、
「気分障害は感情障害とも呼ばれます。感情とは、顔の表情やしぐさによって表現される気持ちの状態を意味します。」、
即ち(社会の大多数の人が克服できる)抑うつ状態から回復できなかったり、(理由もなくまたは不明な原因で)憂鬱になったりする精神障害のことを言います。

 

私が学生であった半世紀前は(矢張り病識の有無等により)「精神病である『躁うつ病』と『神経症的抑うつ状態』」という概念でしたが、「神経症が解体」された現在では世界的疾病分類(WHO’s ICD)やDSMの臨床的分類でも、双極症(双極性障害)と「うつ病(大うつ病-単極性障害)」が区分されています。これは診断的な差異もさることながら、治療面での問題()が大きいようです。

:「うつ病の治療薬である抗うつ薬は、双極性のうつ状態にはあまり効かないこともあり、早期発見で治療法を見直して、うつ状態を改善することは可能となります。」(躁うつ病 (双極性障害)

 

この障害を持つ著名人も多くいます。(双極性障害を患った人物の一覧

 

何れにしても、この精神障害の問題は感情面(気分)にあり、抑うつ状態や憂鬱(メランコリー)が本人が苦しく、時には自殺念慮もある為問題と考えられますが、双極性障害は病識が無く(自分がおかしいと思わずに)異常に気分が高揚する為、大きな社会的問題(昂じては解雇の原因となる人間関係の破綻、別居や離婚等家族関係の破綻、自己破産や犯罪)を引き起こすことがあるということです。

 

今回の無駄話は「【無駄話】中の無駄話」ということで書籍紹介をしたいと思います。

 

全く偶々なんですが、今年の年明けの【無駄話】「承認欲求」?から続け始めている【Psycho】シリーズと関連した【無駄話】に関連する、換言すればそれらを読んで興味を覚えた方なら同様に面白く感じる、と考えられる小説を本日読了しました。

 

文春文庫猿の証言(北川歩実著)

 

書かれた時点が1997年で、「fMRI」らしきニューロンの発火状況を観測する方法に触れていてもその名称までは出てこないような時代に書かれた、(特に尾沢教授が解説、論議する部分の)発達心理学、言語学、認知科学(+生物・遺伝学)に関連した問題が興味深く、示唆に富むのみならず、ミステリーとしても展開や謎解き等十分に楽しめる秀作だと思います。

 

本の帯だけ見ると「なんじゃいな、これ?」または「なんか胡散臭い?」という印象を持たれるかもしれませんが、中身は十分にお勧めできる(28年前に書かれたとは思えない)科学ミステリーです。

 

昔、小此木啓吾先生やドイツ語翻訳家の高橋義孝先生等の訳された人文書院の「フロイト著作集」を読み、フロイト関連書籍も漁って、

 

ヤマアラシのジレンマ

 

というショーペンハウエルの寓話の精神分析的解釈()に遭遇しました。

:1919-22年』「集団心理学と自我分析」p111「ショーペンハウアーによる寒さに震えるヤマアラシの有名な比喩に従えば...」

 

ここの「哲学用語」には「心理学的には『紆余曲折の末、両者にとってちょうど良い距離に気付く』という肯定的な意味として使われることもある」とありますが、私の記憶ではフロイドは

 

人間の「自己愛と他者愛の葛藤」から他者を愛しては傷つけ、傷つけては愛する

 

という、(「いい子ちゃん」的ハッピーエンド解決である)「ちょうど良い距離に気付く」ことなく、延々と繰り返す自己愛と他者愛の葛藤」という心理(的病理)現象を謂っていたと記憶しています。

 

長じて老年となり、早朝ウォーキング中に聴いていた懐メロで「あっ、これだっ!」と思った、この現象を的確に表していると私が考える曲が(矢張り大学に入った頃に訊きまくっていた)Stylisticsのこの曲でした。

 

"Break Up To Make Up"

Tell me what's wrong with you now, tell me why I
Never seem to make you happy though heaven knows I try
What does it take to please you? Tell me just how
I can satisfy you woman, you're drivin' me wild

Break up to make up, that's all we do
First you love me then you hate me
That's a game for fools
Break up to make up that's all we do
First you love me then you hate me
That's a game for fools

When I come home from workin', you're on the phone
Talkin' about how bad I treat you, now tell me I'm wrong
You say it's me who argues, I'll say it's you
We have got to get together or baby, we're through

Break up to make up, that's all we do
First you love me then you hate me
That's a game for fools
Break up to make up, that's all we do
Yeah, first you love me then you hate me
That's a game for fools

 

Break up to make up, that's all we do

Yeah, first you love me then you hate me
That's a game for fools
Break up to make up, that's all we do
First you love me then you hate me
That's a game for fools

 

「かわいさ余って憎さ百倍」を引き合いに出すまでもなく、愛憎は(生命)エネルギー(フロイトのリビドー?)の発露であり、「(> 0) vs. (< 0)」はエネルギーの「指向性やベクトルが正反対」という意味の反対語であっても、「有無」という意味での反対語でないことは(C++やC#の条件式の様に書けば)「愛憎(!= null) vs. 無関心(== null)」を見れば分かります。

 

そんなこと(愛憎)を考えていたら、「攻撃行動って、憎悪だけからくるんだろうか?」と疑問に思いました。頻度の面からいえば、寧ろ(脅威に対する)「不安や恐怖」が暴力行動のスイッチをいれるのではないでしょうか?

 

知らんけど...

 

ps. ところで、ショーペンハウエルの寓話、ホントのとこ、どーよ?

そっかー、一緒に横になって添い寝すればいいんだね!(不安も恐怖もない、平和そのもののイメージです。)