『秘術・前世探査開運法』から魂のルーツを知る! -6ページ目

脇永一さんは、聖徳太子も魂のルーツの一人だった!

◆脇永一さんは、聖徳太子も魂のルーツの一人だった!

ネットの全国占術師紹介サイトの「占いタウン」で私のことをお知りになられた方々より、私の会得した『秘術・前世探査開運法』に関心を持たれ、依頼に応じて前世を探査しておりますが、ほとんどの方より「歴史小説や映画などで主人公に共鳴・共感を覚え惹かれたが、自分と魂でつながっていたと知って一層の親近感を持った」「何となく気になっていた人物だったが、魂のつながりがあると分かってビックリしたが、納得した」「或る特定の国に強い憧れを持っていたが、自分がその時代に生きていたことが前世探査で分かり、是非、旅行してみたい」「一度も行ったことがない土地なのに、何となく懐かしさを感じたり無性に惹かれていたが、やはりと思った」等々、前世探査の素晴らしさに驚かれています。
この『秘術・前世探査開運法』は、私が昭和56年に、或る大学歯学部の名誉教授とお会いしたのが縁となり、各種の運命占術をはじめ、秘術・秘伝などを一子相伝の形で授けていただき、厳しい修行の末に会得したものです。
この前世探査法は、イスラエルに古くから伝わる秘術で、生年月日と名前と顔写真を脳に強くインプットして瞑想。ほどなくして幽体離脱がはじまり、時空を遡って、本人に成り代わって魂のつながりのある歴史上の人物を探査していく秘術です。
魂は永遠に不滅で、人は皆、幾度もの生まれ変わり(輪廻転生)を繰り返しています。その生まれ変わりの度に、特定の人物から強い影響を受けたり、その人物自身だったり、または家族や親戚、一族であったり、家臣・主従の関係だったりと、人様々です。
誰でも10数人の歴史上の人物の魂とつながっていて、それらの人物から“生き方”や才能、気質・性格などを受け継ぎ、それに両親から受け継いだ遺伝子が交じり合って、“脇永一”さんを形づくっています。
脇永一さんは足利尊氏以外に、歴史上の誰々の魂とつながっているのでしょうか?
また、それらの人物からどんな生き方や才能、気質などの影響を受けているのでしょうか。

脇 永一様 昭和55年(1980年)9月21日 午後12時43分 

 例によって、沐浴斎戒後、香を焚き心が落ち着いたところで脇永一さんの誕生月日と本名、お顔を脳に強くインプットし瞑想。ほどなく幽体離脱して4次元の世界に。ここから時空を遡り、脇永一さんに成り代わって「新自分発見の旅にタイムスリップ!

 一時、辺り一面が靄に包まれていたが、徐々に靄が消えていき、三次元の世界とは比べようもない風景が目の前に展開する。見慣れている光景だが、しばし空中に静止したまま眺める。美しい山や川、野原・・・。
 向こうには点々と家も見え、その近くでは、家人たちが何事かしている。そーっと近寄ってみると、大人も子供もきれいなオーラに包まれて、楽しそうな表情だ。また、あちこちで馬や羊たちがのんびりと草を食んでいる。
 とても懐かしく、心の故郷に戻った気分だ。庭の周りの色とりどりのきれいな花に、ちっちゃな妖精たちが飛び回ったり戯れている。こっちの気配を感じて振り向いた。にっこりと微笑んでくれた。
 樹木も青々と繁り何の実か知らないが可愛い実を沢山つけている。爽やかな風に乗ってどこからか讃歌が聴こえてきた。いつもの如く生命の息吹が感じられ、なにもかもが素晴らしい光景だ。
 今、地球では人間たちの無分別と我欲のために各地で環境破壊が進み、生態系も狂ってきているのに、ここは何もかもが光り輝いている世界だ。
 ひと時、あちこちを飛び回っていたが、ここはまだ4次元と5次元の世界だ。まだ時空を遡らなければならない。もう一度、脇永一さんのことを念じながら、上へ上へと飛翔した。徐々に辺りの光景が変わっていき、光に包まれてきた。
 その光の中で乱舞するかのようなシャボン玉のような泡か透明の風船のようなものが一杯浮遊しているが、その中に魂が入っているのだ。妙なる光景と言うか、見ていると、中に入っている一つひとつの魂が人の姿に変わったり、また魂に戻ったりしている。いつ見ても不思議な光景である。この無数の泡の中をひたすら飛翔していくと辺り一面が光の海の中に。
 と、遥か向こうの方に、眩いばかりの光球から放射状の光が放たれている。この光景は表現のしようがない素晴らしい光景だ。 その光と共に無数の泡が四方に散っている。もうこれ以上は近寄れない。引き返して泡が少しまばらになった辺りを浮遊してみた。
 脇永一さんに意識を集中して、泡(魂)に呼びかけてみた。肉体を伴っていたら、それこそ永久に探し当てることは出来ないが、肉体を脱ぎ捨て今は魂だけの存在なので、無数の魂が入っている一つひとつの泡の中の魂と感応するのはたやすいことだ。
 しばらくすると感応しはじめた。呼びかけに応えてくれたのだ。それもあちこちから心に感応してくる。感応してくるそれぞれの魂に向って、脇永一さんの情報を元に繋がりがあるか問いかけてみた。すると、目の前には計20個もの泡(魂)が現れた。そして、それぞれの魂から脇永一さんと繋がりのあることが確認できた。これには正直驚いた。今まで多くの方たちの前世を探査してきたが、20個(人)も確認できたのは数えるほどしかないからだ。
 各々の魂が歴史上の人物の誰であるかは判ったが、これで終りではないのだ。今から、それらの魂が地球に生を享けていた国や時代にタイムワープして、魂のルーツ探しをすることの了解を得たのである。
 実際に肉体を纏っていた時代にタイムワープして、彼らを探して肉体の中に入り込んで、最終確認しなければならない。本人たちに会ったとしても肉体を纏っているので、本人たちには私の魂が既に彼らの魂と会ってきたことは知る由もない。
 一つひとつの魂に心を集中してタイムワープした。そして、一人ひとりの魂に会い、魂に同化してきた。その結果、脇永一さんの魂のルーツ、遍歴で登場する人物の魂、それに脇永一さんの魂にダイレクトに結びつく魂のルーツであることが間違いでないことが確認できた。
これらの魂は、脇永一さんの数え切れない生まれ変わりの過程の中で、歴史に名を留めた魂の分魂であり分身であるのだ。また、幾つかの国に生を享けていることも判明したのである。
 瞑想から覚めて時計を見ると、50分余りを要していた。ドッと疲れが出たが、まだ横になるわけにはいかない。探査してきた結果を忘れないうちに速記文字で書きとめていく。
 では次のページから判明した詳細を書いていこう。

◆脇永一さんの魂のルーツ◆
秀吉の側室、飛鳥時代の中心的哲人政治家、大化の改新の立役者の天皇、浄土宗の開祖、武家政治を再興した室町幕府初代将軍、後醍醐天皇とともに数奇な人生を送った才色兼備の后の計6人。

◆脇永一さんの魂のルーツに至る遍歴の過程で登場する魂◆

ドイツの思想家を代表する大哲学者、『銀河鉄道の夜』の童話作家、イギリスの郵便制度創設者、“真珠王”の名称を受けた実業家、伊丹十三の父で映画監督、種痘館の設置に尽力した幕末期の蘭方医、国民と夫のウィリアム3世に愛されたイングランド&スコットランド女王、日本文化の紹介に努めたアメリカ人東洋美術史学者、天保の改革を行ったが失敗した老中、ロシア女帝エリザヴェータの愛人、容姿の美しさと教養を持って知られたドイツの伯爵夫人の計11人。
◆脇永一様とダイレクトにつながる魂のルーツ◆
神聖ローマ帝国皇帝、戦国から江戸初期の武将で岩国藩祖、“文学の鬼”と称された小説家の計3人。

脇永一さんが日本以外で生まれ変わった国々
ドイツ、イギリス、イングランド、アメリカ、ロシア、スペインの6ヶ国。

〔其の一〕脇永一様 → A・ショーペンハウアー → 聖徳太子(魂のルーツ)
◎脇 永一様 昭和55年(1980年)9月21日

〓A・ショーペンハウアー 1788年~1860年 ドイツの思想家を代表する大哲学者。

★聖徳太子 574年~622年 
多くの伝説に彩られた飛鳥時代の偉大なる哲人政治家。
用明天皇の皇子。厩戸皇子。豊聡耳皇子とも呼ばれる。おばの推古天皇の摂政となり、冠位十二階の制、十七条の憲法などを定め、天皇中心の中央集権国家
を築こうとしたが、十分な効果をあげることはできなかった。

系列魂:H・G・ウェルズ 1866年~1946年 
〈世界国家〉構想を提唱したイギリスの思想家にして、『タイムマシン』『宇宙戦争』で知られる小説家&科学評論家。 

〔其の二〕脇永一様 → 宮沢賢治 → ローランド・ヒル → 天智天皇(魂のルーツ)
◎脇 永一様 昭和55年(1980年)9月21日

〓宮沢賢治 1896年~1933年 『雨ニモマケズ』の詩人で『銀河鉄道の夜』の童話作家。

〓ローランド・ヒル 1795年~1879年 イギリスの郵便制度創設者。 

★天智天皇 626年~671年 
政治に女性にあくなき執念と行動力を発揮した第38代天皇。名は中大兄。舒明天皇の皇子。
645年中臣鎌足らと計って、蘇我蝦夷・入鹿父子を滅ぼし、新政府樹立。
翌年1月、大化の改新の詔を発布。以後、孝徳天皇の皇太子として内政改革を遂行した。
655年、母后の斉明女帝の重祚後も皇太子として政権を掌握。百済の請に応じて救援軍を派遣したが、663年白村江の戦で唐・新羅軍に敗れ朝鮮から手を引いた。
667年、都を近江大津に移し、翌年即位。近江令の制定、庚午年籍の作成等を行った。
671年、長子大友皇子を太政大臣に任じ、弟大海皇子の動向を憂慮しつつ亡くなる。万葉集に歌がある。 

兄弟魂:松田優作 1950年~1989年 映画『ブラック・レイン』が遺作となった俳優。

〔其の三〕脇 永一様 → 御木本幸吉 → 法然(魂のルーツ) 
◎脇 永一様 昭和55年(1980年)9月21日

〓御木本幸吉 “真珠王”の名称を受けた実業家。

★法然 1133年~1212年 
鎌倉初期の僧で、念仏だけで十分という教えを説いた浄土宗の開祖。諱は現源空、勅諡は円光大師など。通称は黒谷上人。美作の人。
1147年、比叡山で源光の門に入り、天台を学んだが、教学などに対する疑問を生じ、西塔黒谷の叡空のもとに隠棲し、法然房源光と称した。以後20年間修学、善導の観経疏によって称名念仏に専修する悟りに達した。のち、東山の吉水に草庵を結び、老若貴賎を問わず教化した。
1186年、天台の学匠顕真と専修念仏について議論(大原問答)し、女官の出家を契機として南都北嶺の迫害を受け、1207年に土佐(実は隠岐)に配流された。その思想は選択集に最もよく表現され、至誠心、深心、回向発願心の三心によって、老若貴賎、修業の多寡など問題なく、阿弥陀仏によって救われるとした。
門下に聖光、源智、証空、親鸞などを出し、日本浄土教発展の基礎となった。

>兄弟魂:鈴木大地 1967年~ ソウル五輪背泳金メダリスト。

〔其の四〕脇永一様 → 伊丹万作 → 伊東玄朴 → メアリ2世 → 足利尊氏(魂のルーツ) 

◎脇 永一様 昭和55年(1980年)9月21日

〓伊丹万作 1900年~1946年 伊丹十三の父で映画監督。

〓伊東玄朴 1800年~1871年 種痘館の設置に尽力した幕末期の蘭方医。

〓メアリ2世 1662年~1694年 
国民と夫のウィリアム3世に愛されたイングランド&スコットランド女王。

★足利尊氏 1305年~1358年 
天皇に反逆し、武家政治を再興した室町幕府初代将軍。初名高氏。元弘の変で鎌倉幕府の命をうけ上洛したが、後醍醐天皇方に寝返り、六波羅探題を討ち建武新政の功臣となり尊氏と改名。
1335年、関東で北条時行の反乱を鎮めるや光明天皇をたて、後醍醐天皇と対立した(以後南北朝時代)。
1338年、征夷大将軍、室町幕府成立。
1352年、弟直義を殺したが6年後、直義残党との抗争中に病没。

〔其の五〕脇永一様 → アーネスト・ F・フェロノサ → 水野忠邦 → ヨハン・H・レストック → 阿野廉子(魂のルーツ)
◎脇 永一様 昭和55年(1980年)9月21日

〓アーネスト・F・フェロノサ 日本文化の紹介に努めたアメリカ人東洋美術史
学者。 

〓水野忠邦 1794年~1851年 老中として天保の改革を行ったが失敗。

〓ヨハン・H・レストック 1692年~1767年 
ロシア女帝エリザヴェータの愛人で勢力を振るった。

★阿野廉子 1311年~1359年 
後醍醐天皇とともに数奇な人生を送った才色兼備の后。
武家社会の地殻変動が始まる一方で、皇統が2派に別れて皇位の争奪に明け暮れる、そんな時代に彼女は阿野公廉の娘として生まれた。
後醍醐天皇の後宮として建武の新政の舞台に姿を現し、後村上天皇を産んだことで御国母と称され、生前に新待賢門院という門院号まで贈られた。後醍醐天皇の中宮・藤原禧子が入内する際に、侍女の一人として従う。
才色兼備の廉子、天皇に見初められて寵愛を受け、従三位に叙せられて三位局と呼ばれるほどになる。
天皇が隠岐に流された時、これに従って献身的に仕え、建武の新政が実現した際に彼女は権力の中枢を占めることになる。
後醍醐天皇の吉野遷幸にも同道して院号の新待賢門院を宣下され、天皇の死後に仏門に入った。
天皇の愛情を独占した日々、3人の皇子の誕生、幼い子供たちを京都に残しての隠岐配流、建武の新政下での栄華、わが子の立太子、戦乱と敗走、吉野への脱出等々、廉子の人生は目まぐるしく浮き沈みした。
彼女は歌才にも恵まれ、『新葉和歌集』には20首が収められている。『太平記』では、彼女は色香と小才で天皇を誑かし、政治に口をはさんだ悪婦として描かれているが、果たして本当のところは・・・。
廉子を魂のルーツとする人は、数奇な人生に彩られる傾向が高いようです。

兄弟魂:松田優作 1950年~1989年 映画『ブラック・レイン』が遺作となった俳優。
分魂:金沢桂子 1929年~ ピアニスト。
系列・姉弟魂:多岐川裕美 1951年~ 映画『聖獣学園』でデビューした女優で、ドラマ『社葬・女たちの野望』に主演。

〔其の六〕脇永一様 → アーネスト・F・フェロノサ → マリア・A・ケーニヒスマルク → 淀君(魂のルーツ)
◎脇 永一様</font> 昭和55年(1980年)9月21日

〓アーネスト・F・フェロノサ 1853年~1908年 
日本文化の紹介に努めたアメリカ人東洋美術史学者。 

〓マリア・A・ケーニヒスマルク 1662年~1728年 容姿の美しさと教養を持って知られるドイツの伯爵夫人。

★淀君 1567年~1615年 
父母を死に追いやった秀吉の側室なった運命の女。淀殿とも。通称ちゃちゃ。父は浅井長政、母は織田信長の妹のお市の方。
浅井氏滅亡後、母が再嫁した柴田勝家に養われ、柴田氏滅亡後、秀吉の側室となり、秀頼を産み秀吉に寵愛された。秀吉の死後、秀頼を擁し、徳川家康に対抗したが大阪の陣で敗れ自殺。
 
◆脇永一様とダイレクトにつながる魂のルーツ◆
【カルル5世】1500年~1558年 神聖ローマ帝国皇帝。
スペイン王に即位後、フランス王フランソア1世と帝位を争い、フッガー家の援助で1519年にドイツ皇帝に即位、スペイン・ドイツにまたがるハプスブルク王国を形成。
ドイツを利用してスペイン‐ハプスブルク家の覇権をヨーロッパに確立しようとしたが、新教徒諸侯を中心として、反スペイン・反カール5世という性格を備えたドイツ領主層の反乱を招く。また、農民・市民層の反封建闘争も生み出され、他方フランス王・教皇との対立を深める。
1521年のヴォルムスの国会では諸侯の反逆に会いルター弾圧に失敗し、1526年には一時的に新教徒に譲歩。この間、1529年ウィーンを包囲したトルコと戦ってこれを破り、1532年ハンガリーを奪還。シュマルカルデン戦争では新教徒勢力を打破したが、反カール運動を抑えきれず、1555年にはアウグスブルクの和議が成立し、結局メッツの敗北後、帝国を維持できず、修道院に隠退せざるをえなかった。

【吉川広家】1561(永禄4)年~1625(寛永2)年 
戦国から江戸初期の武将で、岩国藩祖。
父は吉川元春。母は顔が醜いことで有名だった熊谷信直の娘。はじめの名は経信という。1570年、父と共に尼子勝久の討伐戦で初陣する。1583年、織田信長死後に天下人となった羽柴秀吉への人質として差し出された。
1586年から1587年にかけて父の元春、次いで兄の吉川元長が死去したため、その後を継いで吉川氏の当主となった。この頃、広家と改名している。広家は勇将で知られた父や兄と違って知将であり、秀吉からも元春・元長と小早川隆景死後の毛利氏を支えるその手腕を高く評価された。文禄の役、慶長の役にも参陣し、蔚山城の戦いで明の大軍を寡兵で打ち破るという見事な戦略眼を見せている。
1600年の関ケ原の戦いでは、毛利氏の当主であった毛利輝元が石田三成らによって西軍の総大将に担ぎ出されると(広家は徳川家康に加勢するよう提言したが、三成らの裏工作で広家が知らないうちに輝元が担ぎ出されたらしい)、家康率いる東軍の勝利を確信していた広家は、黒田長政を通じて家康に内通する。そして9月15日の本戦には西軍として参加したものの、家康に通じていた広家は南宮山に布陣して毛利秀元らの西軍加勢を阻止した。戦後、家康から毛利宗家の本領安堵は反故とされて、改易を命じられたが、広家は抗議。広家に与えられる予定であった周防、長門の二ヶ国を毛利宗家の領地にするよう家康に直訴した。この直訴は認められ、また広家にも岩国3万石の所領が与えられたが、毛利家では裏切り者扱いをされ続けた。
その後は周防岩国藩の初代藩主となり、1617年には188条にも及ぶ藩政の統治法を制定するなど、岩国藩の藩政に力を注いだ。
【宇野浩二】1891(明治24)年~1961(昭和36)年 
“文学の鬼”と称された小説家。福岡県出身。早稲田大学中退。大正・昭和期の小説家。
1919(大正8)年に短編小説『蔵の中』が好評を博し、ついで『苦の世界』『子を貸し屋』などによって新進作家として認められた。その後、一時精神に異常をきたし養生につとめたが、1933(昭和8)年に『枯れ木のある風景』で立ち直りをみせた。
初期作品にみられた軽妙な話術やユーモアはかげをひそめ、冷静な観察眼と手堅い写実的手法が示された。
つづいて『枯野の夢』『子の来歴』『夢の通ひ路』『器用貧乏』などの佳作を発表。戦後、自伝的長編を書き続け、1951年『思ひ川』で読売文学賞受賞。芸術院会員、芥川賞選考委員。
松川事件に広津和郎とともに深い関心を示し、『世にも不思議な物語』は事件に対する市民の関心を喚起するのに力があった。

以上、脇永一さんの魂のルーツとダイレクトに結びつく魂のルーツを簡略に紹介しましたが、11人の遍歴の過程で登場する魂については、ネットで検索したり図書館で調べてください。
冒頭にも書きましたが、この『秘術・前世探査開運法』を“人生の道標”とするために、先ず「魂のルーツ」の人物像や伝記、物語、小説などを購入し、繰り返し精読に努めてください。読み進むにつれ、他の人が読む以上に共感し、ご自分を重ね合わせることができるようになるでしょう。
何度も熟読玩味し、本をみなくても人物像がしっかりとイメージできるようになった時点から、霊験が働き、脇永一さんを護ってくれるようになります。また、今後の人生で難題や困難にぶつかろうとも、不思議なことですが啓示を得られたり、解決の糸口のヒントも得られます。しかも未だ眠っているであろう才能を開花させる手伝いもしてくれます。
これこそが、イスラエルに古くから伝わる『秘術・前世探査開運法』なのです。
尚、生まれ変わりを科学的に解き明かした福島大学経済学部教授の、飯田史彦著『生きがいの創造』『生きがいのマネジメント』『生きがいの本質』(CD付き・PHP出版社)などもご覧になってください。これらはネット書店のアマゾンでも取り扱っていますし、書店でも容易に見つけることができます。
後は脇永一さんの即、実行あるのみです!
 平成17年2月4日 
                                            

◆菜の花さんは、片山兼山と立原道造も魂のルーツだった!◆

菜の花さんは、片山兼山と立原道造も魂のルーツだった!

例によって、香を焚き心が落ち着いたところで、菜の花さんの誕生月日と氏名、それにプロフィルを脳に強くインプットし瞑想。ほどなく幽体離脱して4次元の世界に。ここから時空を遡り、菜の花さんに成り代わって、また更に上の次元に向って「新自分発見の旅」にタイムスリップ!
「・・・」
瞑想して覚醒まで約30分余り。
その結果、菜の花さんの魂のルーツである歴史上の人物が5人、その魂のルーツに至る遍歴の過程で登場する人物が4人、そしてダイレクトに結びついている魂のルーツの合わせて12人が判明しました。

また、日本以外では、ドイツに3回、フランスに3回の輪廻転生をされておられます。

魂のルーツ:謀略で覇王となった戦国武将、天才的武将、信仰に殉じた武将の妻、ドイツの偉大なる聖職者、半蔵門に名を残す徳川16武将の一人の計5人。

遍歴の過程で登場する魂:ドイツの歌劇作曲家、フランスの代表的画家、フランスの作家、アメリカ(ドイツ生まれ)の実業家、フランスの聖職者の計4人。

ダイレクトにつながる魂:八百屋の娘、漢学者、詩人の計3人。

因みに、偉大な宗教家や聖職者が2人登場しましたので、今のうちから聖書に親しまれると先々大きな支えとなり、窮地に陥っても必ず救いがあり、また精神的に強い支えとなります。
暇を見つけては聖書を精読されると、他の人が読む何倍も理解度が早く、いずれはご自分なりの宗教観を確立し、本に纏めることも可能です。是非、宗教書に親しんでみてください。

では、菜の花さんの前世探査で判明した中からお二人程と、系列魂と兄弟姉妹魂を簡略に紹介します。

【片山兼山】1730年~1782年
上野(こうずけ)の人。鵜殿士寧に学ぶ。のち古文辞を疑い、先秦の古義を集大成して『古文互証』を作った江戸中期の漢(折衷)学者。

【立原道造】1914年~1939年 
昭和初期の叙情詩人の第一人者で、『風立ちぬ』のもとになる詩を書いた。
 東京日本橋生まれ。東大建築家卒。室生犀星、堀辰雄に師事し、“四季”同人となった。
1937年、詩集『萱草に寄す』『暁と夕の詩』を刊行。
ソネット形式の中に優美繊細な音楽的響きのみなぎる詩を作った。
四季派を代表する叙情詩人の一人。

系列魂:ジョン・ライター
1790年~1862年 アメリカの第10代大統領。
系列魂:エリフ・トムソン
1853年~1937年 電気溶接機ほか100種以上の特許を持つアメリカの電気技術者&発明家。
系列魂:イワン・ゴル
1891年~年1950 フランスの文学者で詩人。

姉妹魂:吉永小百合 
1945年~ 映画『キューポラのある街』『青い山脈』でスターになり、テレビ『夢千代日記』が大ヒットした女優。
兄弟姉妹魂:徳永英明 
1961~ 歌手。

 片山兼山と立原道造、また、系列魂については、人物事典やネットでも検索してみてください。兄弟・姉妹魂の人物については、映画やテレビドラマ、ビデオ、CDなど入手は容易ですので、是非、買い求められ作品に親しむようにしてください。

 人物像については、本がなくても或る程度、細部までイメージ出来るようになった時点で、片山兼山と立原道造の二人が生き方の杖となってくれますし、未だ眠っている才能を開花させる手助けをしてくれたり、また、仕事に行き詰まったり自分では解決困難な問題にぶっつかった時などに霊験が発動して、解決の糸口や啓示・ヒントが得られます。また、いつも菜の花さんをいろいろなアクシデントから護ってもらえます。

 只、ご自分の魂のルーツを知っただけでは、霊験はありません。知ったらその人物に精通することが大事です。例えば、本に載っている写真やイラストをコピーして部屋の壁に貼ったり、手帳に貼ったりして、常時、見たり、心の中で話しかけることです。そして、何事にも感謝と有難うの言葉を連発し、明るい笑顔を忘れないことです。こうして日々を過ごすうちに、思っても見なかった幸運が向こうからやって来ます。

 以上が、イスラエルに古くから伝わる白魔術の『秘術・前世探査開運法』なのです。

 開運にお金はかかりません。要は、何事も良い方に物事を捉え、思考・感情をプラスの方に切り替えて、どんなに苦しいことや悩みがあっても常に笑顔を絶やさず、感謝と有難うの言葉が自然に口から出るように努力することです。

さぁ、菜の花さんの即、実行あるのみです!

尚、兄弟・姉妹魂はあなたの魂と強い繋がりを持っていますので、その方たちの関連書籍やビデオなどにも慣れ親しんでください。



著者: H.スペンサー ルイス, H.Spencer Lewis, バラ十字会日本本部翻訳委員会
タイトル: 転生の周期―輪廻転生の宇宙的概念 世界最古の英知が解く生と死の疑問



著者: 花田 美穂
タイトル: 生まれ変わりセラピー―前世療法で自分と出会う

田中真紀子氏の魂のルーツは、徳川家康の妻の旭姫だった!

田中真紀子氏の魂のルーツは、徳川家康の妻の旭姫だった!

田中真紀子氏(国会議員)1944年1月14日生まれ

有名人の魂のルーツの第1回目は、小泉首相と袂を別った田中真紀子氏を採り上げてみました。

 田中真紀子氏は、小泉純一郎首相と過去世から幾度もの縁を持ち、魂で深く結びついています。
 お二人とも上杉謙信とガリレオ・ガリレイを魂のルーツとしており、二人の結びつきは大変に深いことが分かります。しかも、小泉純一郎首相は“水戸の黄門様”で親しまれている徳川光圀も魂のルーツとしていますが、田中真紀子氏は昭和の黄門様と自称する福田赳夫元首相が系列魂や分魂の両方に登場しています。これは果たして偶然なのでしょうか。
 オリエンタル銀河占星術で看ましても、小泉首相は天秤座のβ星のズベン・エス・カマリ、田中真紀子氏は乙女座のα星のスピカで相性は良く、喧嘩別れのようなことになりましたが、それは一時的なことで、いずれ手を取り合い日本の舵取りをすることになるようです。
 皆さんは、テレビなどで田中真紀子氏が小泉首相のことをボロクソに扱き下ろしているのをご覧になられて、「二人が再び手を組むなんて、そんなことは絶対にあり得ない」と、お思いでしょうが、この5,6年以内には間違いなく実現します。
 占術上から国運を看ますと、来年の平成17年は、日本が原爆を落とされて敗戦になった昭和20年から丁度60年になります。干支で言えば、敗戦になった昭和20年は乙酉年、その60年後が来年に当たり、60干支が一回りしたことになり、人間で言えば還暦となります。
 3年前の平成13年、辛巳年はアメリカでテロ事件が発生し、ブッシュ大統領は「これはテロではなく宣戦布告だ」と発表。その60年前を振り返ってみると、昭和16年で、日本軍が真珠湾(パールハーバー)を奇襲して第二次大戦の幕が開けた年です。映画『パールハーバー』の公開や水産学校の実習船「えひめ丸」の沈没事件もなにか不思議な巡り合わせを感じさせました。
 一昨年頃から、政治家や官僚、企業などの不正や不祥事が急増し、社会的にも様々な事件や出来事が頻発しております。それに加えて台風や地震、水害などの天災(元を糺せば、人間による環境破壊、それによる生態系の狂い)で、いろいろなところに歪みが生じており、来年がそのピークとなりますので、相当なダメージを受けるでしょう。
 それは、今年以上の大型台風の襲来や地震、地盤沈下、火山の噴火などで国内各地に甚大な被害を及ぼします。また、イラクに復興支援の目的で派遣している自衛隊にも大きな犠牲が出ることも予想されますし、日本の首都をはじめ各地でのテロの頻発も考えられます。
 こうした国難から立ち直るまでの数年間は、敗戦後の日本国民が窮乏を強いられたと同様の状況が再び訪れようとしているのです。そのため、国民に人気のある小泉首相と田中真紀子氏が今までのことは水に流して、手を握り合って協力し、今度こそ真の国づくりに邁進していくというわけです。
 では、田中真紀子氏は、どんな歴史上の人物を魂のルーツにしているのかを見てみまっしょう。

◆田中真紀子氏とダイレクトに直結する魂のルーツ◆
【旭姫】1543年~1590年 豊臣秀吉の異父妹で徳川家康の妻。


◆田中真紀子氏の魂のルーツ 其の1◆
【北条早雲】1432年~1519年 素浪人から成り上がり、関東を制覇した遅咲きの戦国大名。


〇ルーツに至る遍歴の過程で登場する人物〇
〓高島秋帆 1798年~1866年 江戸末期の砲術家で近代兵学の先駆者。


田中真紀子氏の系列魂
① A・シュバイツアー 1875年~1965年 アフリカに渡り病院をつくり、人類愛に燃えた布教活動を行い、ノーベル平和賞を受けたドイツの神学者で哲学者。
② 永田鉄山 1884年~1935年 軍の近代化の推進を図った陸軍軍人。
③ 福田赳夫 1905年 昭和の水戸黄門を自称すつ元首相。

◆田中真紀子氏の魂のルーツ 其の2◆
【上杉謙信】 1530年~1578年 信義を重んじ、正義のための戦いに挑んだ天才的戦術家。


〇ルーツに至る遍歴の過程で登場する人物〇
〓狩野常信 1636年~1713年 『常信縮図』を残した江戸中期の画家。
〓ルイス・キャロル 1832年~1998年 『不思議の国のアリス』で有名なイギリスの童話作家だが、数学者としての著作もある。


田中真紀子氏の分魂
福田赳夫 1905年 昭和の水戸黄門を自称すつ元首相。

◆田中真紀子氏魂のルーツ 其の3◆
【ガリレオ・ガリレイ】 1564年~1642年 先覚者としての苦難の生涯を送った近代自然科学の祖。


〇ルーツに至る遍歴の過程で登場する人物〇
①徳川綱吉 1646年~1709年 学問の興隆に努めた江戸幕府第5代将軍。
②ヨハン・R・ツムシュテーク 1760年~1802年 オペラ『幽霊島』のドイツの作曲家&指揮者。
③ルイス・キャロル 1832年~1998年 『不思議の国のアリス』で有名なイギリスの童話作家だが、数学者としての著作もある。

分魂:三島由紀夫 1925年~1970年 『金閣寺』など独特の美学を持つ作家。

◆田中真紀子氏とダイレクトに繋がる人物◆
【ジャン・A・D・アングル】 1867年没 『芸術のための芸術』を追及したフランスの画家。


 田中真紀子氏は、以上の人物から生き方や才能、気質を夫々受け継ぎ、それに両親の遺伝子と交ざりあって氏の人格を形成しています。


著者: ブライアン・L. ワイス, Brian L. Weiss, 山川 紘矢, 山川 亜希子
タイトル: 魂の伴侶―ソウルメイト 傷ついた人生をいやす生まれ変わりの旅

童話-月見ウサギとカタバミの花- わらだ光絵作

月見ウサギとカタバミの花 / 自作の童話
 
「今夜は満月の夜だよ。僕と一緒にお月見をして、昔の思い出話に花を咲かせようじゃないか」

ウサギがカタバミの花にそう声をかけると、 ハートの形をした三枚の葉を堅く閉じ合わせたまま、

「オセンチになるのは気分じゃないの。私はハードボイルドに生きてるわ。 月に住んでいた頃のことは忘却のかなた、ここから月ほどに遠い彼方…」  
と答えました。

「だって君、ほんとうにあの月が恋しくなることはないのかい? あのかぐや姫だって、月に帰ってしまったんだよ…」

「あのひとは郷愁にかられて月を見てはほろほろと涙を流していたんだもの、お迎えが来て当然よね。あなただって、そんなに月を見ては跳ねていたんじゃ、今に月の使者がお迎えに来るわよ。 そして月に帰ったなら、今度はこの星が懐かしいあまり、青い地球に向かって飛び跳ねるのでしょう」

「ねえ君、僕のことオセンチだと思うかい?」

「ええ、ほんの少しね…」

ウサギとカタバミの頭の上にはいつのまにか丸い月が ぽっかりと浮かんでいました。

ウサギが花の顔をそっとのぞきこむと、花は月の色に寂しげに輝いていました。


この童話は、わらだ光絵さんのエコログから転載しました。
URL:http://echoo.yubitoma.or.jp/weblog/mitsue_kidshouse/eid/53102

童話 ー水仙の花便りー  わらだ光絵作

ー水仙の花便りー

「気の早い木綿のスカートに黄色いカーディガンをはおって、 海辺の水仙畑に行きました。
そこでは冷たい潮風に吹かれて水仙の花たちが美しく香っていました」  

こんな便りが届きました。  

追いかけるようにして届いたもう一通の手紙は驚いたことに、水仙の花からでした。  

「私は寒くはないのです。胸には消えることのない小さな炎が灯っているのですから…氷の風の柱が身を刺すほどにいよいよ私の香りは燐とさえわたり、確実に春の到来を告げることができるのです。
希望の星の花冠をのせた私の立ち姿があなたに勇気を与えることができますように…
私と共に春を待ちましょう」


この童話は、わらだ光絵さんのエコログから転載したものです。
http://echoo.yubitoma.or.jp/weblog/mitsue_kidshouse/eid/81866

佳世さんの前世を探査する!

◆歴史上の人物から佳世さんの魂のルーツを探る!◆

佳世さんの前世を探査する! 

今回は、佳世さんの前世探査で判明した人物を紹介します。通常は、2、3人しかお教えしておりませんが、今回に限り、前世探査で判明した魂のルーツと、それに至る遍歴の過程で登場する人物、そしてダイレクトに繋がる魂のルーツの流れを知っていただくために、ご本人の了解を得ておりますので全ての人物を公開します。※今回のみ。

 いつものように香を焚き、心が落ち着いたところで、佳世さんのお顔と生年月日、名前の三つを脳に強くインプットして瞑想。時空を遡って佳世さんの「新自分発見の旅」に!
 その結果、佳世さんの魂のルーツである歴史上の人物が12人判明しました。また、日本以外では4ヶ国に輪廻転生をしておられます。
 
 誰でも生まれる前に人生の青写真を守護天使と相談して、「今度生まれたらこういった体験をしてみよう」とか、「少しハードルを高くして、こんなことに挑戦してみよう」「こういった試練や困難を経験して乗り越えてみよう」等々、いろいろと人生の設計図を作成して、その設計図に最も相応しい、また、為し遂げることが出来そうな国や両親と生まれる時(生年月日)を選んで、この世に誕生してきます。ですから、生まれ変わる度に、或る国では男性だったり、また或る時代には女性であったりするのは皆同じで、その度に様々な経験を積み、魂に刻み、次の生ではまた新しい出会いと様々な体験をします。
 佳世さんの場合は魂のルーツが3人とも日本人ですが、普通は一人ぐらいは外国人がいるものです。また、女性は遍歴の過程で一人だけしか登場していませんので、これからの未来世に於いては何人もの女性が登場してくることでしょう。念のため書き添えておきますが、永遠の魂が肉体を伴っていたのは数え切れないほどあります。その中で、歴史上に名を留めたのが佳世さんの場合、12回(人)だったということです。つまり、佳世さんはこの12人の分身であり、分魂であるということです。
 この分身・分魂について説明しますと、人間、誰でも神性を持ち仏性を備えていますね。皆、神の分御霊ですがそれと同じで、樹木が魂のルーツ、枝が遍歴に相当し、葉っぱが分身・分魂に当たります。枝には沢山の葉っぱがついています。ですから、この世には佳世さんと同じ魂のルーツを持つ人が沢山います。同じ魂のルーツを持つ人物とは縁が深いことはお解りになるでしょう。
佳世さんは12人の人物から生き方や才能、気質などを受け継ぎ、それに両親からの遺伝子が交じりあって人格を形成しているのです。両親も環境も違うのですから同じルーツであっても、皆、千差万別ですが、魂ではしっかりと結びついておりますので、生き方や才能、気質に共通したものが見出せるのです。
 ここで、宿命と運命について解説しますね。人は大体、生まれる時に「5」もしくは「6」の器を持って生まれてきますが、この宿命には“ゆとり”を持たせてあります。その「6」を、「7」にも「8」にもしていくのも、また、折角の「6」の器を「5」にも「4」にも下げてしまうのも本人次第で、これが運命なのです。
つまり、良い運命にするのも悪い方へ向かわせるのも自分自身であるということです。運命は“ゆとり”に当たりますので、本人の前向きな姿勢、プラス思考で良い運命を作っていくことが出来るということです。

では、佳世さんの前世探査で判明した詳細を書いていきます。

〇佳世さんは魂のルーツが3人、遍歴の過程で登場する人物が5人、ダイレクトに結びつく魂のルーツが4人の計12人です。

〇地位・職業
&#12832;魂のルーツ:僧、歌人、歌人&随筆家。
&#12833;遍歴の魂:数学者、天皇、作家、詩人&小説家、作曲家&ヴァイオリニスト。
&#12834;ダイレクトの魂:鎌倉幕府の執権、戦国武将、小説家&劇作家、写真技師。

〇輪廻転生した国:日本・ドイツ・アイルランド・フランス・イタリアの5ヶ国。

魂のルーツ 其の一 
佳世さん → ジュリアス・ブリュッカー(魂の遍歴) → 後深草天皇(魂の遍歴) → 源信(魂のルーツ)

〓ジュリアス・プリュッカー 
1801年~1868年 水素や窒素を実証したドイツの物理学者&『解析幾何学体系』の数学者。ボン大学とパリ大学で学び、1836年にボン大学教授。一時、実験物理学に没頭したが、解析幾何学に業績がある。

〓後深草天皇(ごふかくさてんのう) 
1243年~1304年 持明院統の祖で、伏見天皇を即位させて院政を開始。後嵯峨天皇の第三皇子。母は大宮院。僅か4歳で践祚。父の後嵯峨上皇が院政を行った。1259(正元1)年、亀山天皇に譲位。後嵯峨は亀山を愛し、後深草に皇子があるのに、亀山の皇子の世仁親王(後宇多天皇)に皇位を継がせ、皇位継承は亀山の統によるべきことを遺詔した。かくて後嵯峨の死後は亀山が院政を行い、後深草の院政の望みは空しくなった。執権北条時宗は、この事態をみて、とくに亀山に奏して、後深草の皇子煕仁親王(伏見天皇)を皇太子とした。
1287(弘安10)年、伏見の即位によって、はじめて後深草は院政を行い、1289(正応2)年、伏見の皇子胤仁親王(後伏見天皇)が皇太子となったので、亀山と後深草の立場は逆転した。

【源信】 942年~1017年 
栄達の道を自ら断って、思索に生きた浄土教の先駆者。

平安時代の僧。恵心僧都とも。大和國当麻の人。比叡山で良源に師事。横川の恵心院に住して念仏を修した。天台宗の観心念仏と善導の称名念仏を合わせ、『往生要集』によって日本浄土教の祖とされる。良忍、法然、親鸞などに大きな影響を与え、彼の学統を恵心流ともいう。
権少僧都に任じられたが翌年に辞退。天台宗きっての学僧として知られた源信だが、僧侶としての栄達の道を自ら断ち切り思索の道に入った。仏教各方面の貢献のみならず芸術史上にも名高く、彼の作と伝えられる仏画・仏像が各所に残っている。尚、紫式部が『源氏物語』の中で横川僧都のモデルにした高僧である。

人生の分岐点を毅然とした態度で方向転換した人物は、源信を魂のルーツとしている者が多い。

〔佳世さんと同じ源信をルーツとする系列魂〕 
①ジョセフ・W・イシャウッド 1870年~1937年
イギリスの造船家で発明家。
②ヨハネス・R・ベッヒャー 
1891年~1958年 社会主義文学の代表的作家とみなされるドイツの詩人。

〔佳世さんの兄弟・姉妹魂〕
2代・中村吉右衛門 1944年~ 『鬼平犯科帳』で人気を博した歌舞伎俳優。    


魂のルーツ 其の二 
佳世さん → マリア・エッジワース(魂の遍歴) → 藤原公任(魂のルーツ)

〓マリア・エッジワース 
1767年~1849年 アイルランドの女性作家。

【藤原公任】(ふじわらのきんとう)966年~1041年 
政治的な栄達を果たせず、詩歌・管弦の道へ進んだ秀才。平安中期の歌人で、三十六歌仙の一人。関白頼忠の子で、諸学諸芸にすぐれ、三船の才をうたわれた。家集『前大納言公任集』のほか、歌論集として有名な『新撰髄脳』『和歌九品』などがあり、『和漢朗詠集』の撰者である。
名門と秀才を兼備した公任であったが、朝廷内での昇進となると藤原道長一門に圧倒されて栄達を果たせず権大納言の位で止まった。こうした不満ゆえか詩歌・管弦の道へ進んだ。
道長らと大井川に詩・歌・管弦の3船を浮かべ、それぞれの得意の船に乗って才を競う遊びが開催されたときのこと。彼は和歌船に乗り込み「朝まだk嵐の山の寒ければ紅葉の錦衣きぬ人ぞなき」の一首を詠んで絶賛を浴びた。しかし彼は詩船に乗っていたなら名詩を残して名をあげたと悔しがったという“詩歌両船”のエピソードは有名だ。
家集『公任集』、歌学書『新撰髄脳』『和歌九品』があり、『金玉集』『和漢朗詠集』を撰進、有識故実書『北山抄』も著した。晩年は出家して北山に住んだ。

〔佳世さんと同じ藤原公任をルーツとする系列魂〕 
①コナン・ドイル 1859年~1930年 
シャーロック・ホームズを創造して名声を博したイギリスの探偵作家。
②坪内逍遥(つぼうちしょうよう) 1859年年~1935年 『当世書生気質』の小説家にして評論家&劇作家&教育家で日本近代文学の基礎を築いた。

〔佳世さんの兄弟・姉妹魂〕
リンゴ・スター 1940年~ &#8246;ビートルズ″のドラム。    


魂のルーツ 其の三 
佳世さん → ヴィクトル・ユゴー(魂のl遍歴) → ジョセッペ・タルティーニ(魂の遍歴) → 吉田兼好(佳世さんの魂のルーツ)

〓ヴィクトル・ユーゴー 1802年~1885年
『レ・ミゼラブル』や『ノートルダム・ド・パリ』で知られるフランスの詩人&小説家。ブザンソン生まれ。父は軍人。1819年、詩才wシャトーブリアンに認められる。1822年、処女詩集『オードと雑詠集』を発表。以来、文筆に専念。1827年、戯曲『クロムウェル』とその序文の『ロマン主義の宣言』によってロマン主義運動の中心的存在となり、“セナークル”を結成。1830年、『エルナニ事件』で劇檀でもロマン派が制覇。7月に王政成立後、1831年、長編歴史小説『ノートルダム・ド・パリ』を発表。この頃から次第に政治・社会への関心を深め、保守的・王党派的傾向から自由主義的・共和主義的傾向へと変わる。1843年、上演の『ビュルグラーヴ』の失敗と最愛の娘の水死の打撃で、以後10年間絶筆。
1948年、2月革命後左翼民主党幹部。1851年、ルイ・ナポレオン3世のクーデターに反対して国外追放となり、19年間亡命生活を送る。1862年、小説『レ・ミゼラブル』。1866年 『海の労働者』、叙事詩『諸世紀の伝説』を執筆。1871年、普仏戦争で帝政崩壊により帰国。1872年、最後の小説『九十三年』を書いた。尚、彼は代議士・上院議員となり、国民的文学者として尊敬された。その死は国葬。
※このヴィクトル・ユゴーはダイレクトの魂でも登場する人物で、佳世さんとは大変強い結びつきとなり、できれば人物像だけでなく、彼の作品は全てに目を通すようにしてください。

〓ジョセッペ・タルティーニ1692年~1770年
 『ト短調のバイオリン・ソナタ』『悪魔のトリル』の作曲でも知られるイタリアのヴァオリニスト。ヴェラチーニの演奏に魅せられて、ヴァイオリンの技法を探求、重音奏法を完成。1728年、パドヴァにヴァイオリン学校を開設。作品はプレークラシック期のシンフォニア・協奏曲・ソナタ等で、特に重音奏法とトリルを活用したヴァイオリン・ソナタ『悪魔のドリル』が有名。

【吉田兼好】 1283年~1350年 
歌人で中世を代表する随筆文学『徒然草』の作者。
鎌倉・南北朝時代の歌人で随筆家で俗名を卜部兼好という。京都の吉田に住み、吉田とも称した。下級公家の出で、30歳頃に出家。二条為世に和歌を学び、『続千載集』以下の勅撰集に入集。
頓阿・浄弁・慶雲と合わせ和歌四天王と呼ばれた。儒教・老荘の思想にも通じ、『徒然草』は『枕草子』とともに随筆文学の代表とされる。家集に『兼好法師集』がある。没年は従来、『諸寺過去帳』により1350年とされていたが、近年の研究で1352年までは生存していたことが明らかになった。

〔佳世さんと同じ吉田兼好をルーツとする系列魂〕 
①中勘助 1885年~1965年 
『銀の匙』で夏目漱石の絶賛を受けた孤高の詩人作家。
②ヨハネス・R・ベッヒャー 1891年~1958年 
社会主義文学の代表的作家とみなされるドイツの詩人。
③2代・中村吉右衛門 1944年~ 
『鬼平犯科帳』で人気を博した歌舞伎俳優。      

系列魂:其の二
①与謝野鉄幹 1873年~1935年 
『明星』を創刊し、妻の与謝野晶子とともに浪漫主義運動を推進した歌人。
②アダマ・フォン・スヘルテマ 
オランダの文学者で社会主義詩人の先駆者。
③竹下 登 1924年~2000年 元首相。  

〔佳世さんの兄弟・姉妹魂〕
①大林宣彦 1938年~  『異人たちとの夏』の映画監督。
②林  海峰 1942年~ 史上最年少の名人となった囲碁棋士。 
②野村宏伸 1965年~ 俳優。
③沢口靖子 1965年~ 大河ドラマ『太平記』や『ホテルウーマン』の女優。
④富田靖子 1969年~ 映画『アイコ16歳』『さびしんぼう』の女優。
⑤後藤久美子 1974年~ 元祖・国民的美少女。

下記の人物は、佳世さんとダイレクトに結びつく魂のルーツ(4人)。
【北条高時】
 1303年~1333年 鎌倉幕府14代執権。1311(応長1)年、小侍奉行、左馬権守となる。1316(正和5)年、北条基時に代わり執権となる。翌年、相模守。幼少で執権となったので、外祖父の時顕・内管領長崎高資らの傀儡となり、遊宴・闘犬・田楽に日を送ったという。1326(嘉暦1)年、病気のため出家し、管領の地位を譲ったが、その後も得宗としての地位を掌握し続けた。1324年の正中の変、1331(元弘1・元徳3)年の元弘の変などに対処、傾きつつある幕府の運命を挽回しようとしたが、1333(元弘3)年5月に新田義貞等に鎌倉を攻め落とされ、一族とともに東勝寺で自殺した。

【蜂須賀小六正勝】
1526(大永6)年~1586(天正14)年 
戦国・安土桃山時代、豊臣秀吉に仕えた戦国武将。はじめ美濃の斉藤道三に仕え、ついで織田信賢・織田信清に属す。のち木下(豊臣)秀吉の属将として、1566(永禄9)年に秀吉の墨俣築城に功あり、以後秀吉の近臣として近江・越前・播磨・中国筋に戦う。
1582(天正10)年高松城開城に尽力。山崎の戦いに勝戦後、中国に出張して毛利氏と境界協定を交渉、功により子の蜂須賀家政に阿波一国を与えられた。野武士の首領出身とするのは俗説。

【ヴィクトル・ユゴー】 1802年~1885年
 『ノートルダム・ド・パリ』で知られるフランスの詩人&小説家&劇作家。
【上野 彦馬】 1838年~1904年  
 日本最初の写真技師で長崎に写真館を開業。オランダの医師ポンペに化学・写真を学び、1862年に日本最初の写真館を開く。坂本竜馬、伊藤博文など維新の志士の肖像を撮影した。西南戦争に写真師として従軍。

 以上、12人の人物について書かれた書籍を購入し、彼らのことを熟知するよう努めてください。先ず、魂のルーツである3人について熟知する必要があります。その次にダイレクトに結びつく遍歴の人物というふうに、人物像や作品をしっかりと頭にいれることが大事です。時間が許せば、系列魂の人物についても覚えるようにしてください。彼らの作品を読んだり聴いたり、鑑賞することです。
 尚、魂のルーツとダイレクトに結びつく魂の人物像や作品を、本がなくてもすらすらと思い出すことが出来るようになれば、或る日を境に佳世さんを守護し、難題や難事が起こったとしても、不思議なことですが霊験が発動し、解決の糸口や啓示を得られます。これがイスラエルに古くから伝わる白魔術の『秘術・前世探査開運法』なのです。後は即、実行あるのみ! お分かりになりましたか?


『童話・きつねのお嫁入り』  作: わらだ光絵

第一回 -きつねのお嫁入り-

 ぽったんぽったん赤い花がこぼれ落ちる椿の木がその山にはありました。
その奥には竹の林も広がっていました。
椿姫やかぐやひめが一緒に住んでいるような不思議に小さな山でした。  

田舎のおばあちゃんの家の裏庭から続く山道は、子供だけで登ることを禁じられていました。
まるでおいでおいでと手招きをするような道が、茂みの奥へと気持ちを引き寄せるのでした。

 しんと静まり返った山の中では椿の花の落ちる音さえ聞こえるのです。
木の枝に赤い椿のを幾つかさして、花かんざしを作りました。
みわちゃんはお母さんにこの作り方を学んで、おかあさんはみわちゃんのおばあちゃんに教わったのでした。

お母さんにもおばあちゃんにも内緒で、今日はこっそりとみわちゃんはここへやってきたのです。
今頃、姿が見えないと言って、皆はもしかしたら心配し始めているでしょうか。
太陽の光に、かんざしの花は赤く透き通って見えました。  

そのとき、「わたしにそれをちょうだい」というか細い声がきこえてきました。
見上げると、みわちゃんの目の前にはきらきら輝く金色の瞳がありました。
あごのあたりがきゅんと尖って、目尻が少し上がった少女は、熱心にみわちゃんの作った花かんざしを見詰めています。

「今日、お嫁にいく姉さまの白い着物にそのかんざしはさぞ似合うだろう。わたしの姉さま嫁にゆく。そのかんざしが入り用だ。赤い椿の花飾り、白いべべに映えるだろう。 うちの姉さま、綺麗かろう。」
女の子は歌うようにみわちゃんに言います。  

みわちゃんは、ママの若い頃のアルバムの中でママの花嫁姿を見たことがあります。
みわちゃんは夢見るように言いました。
「まっ白いべべが赤い椿をひきたてるだろう。まっかな椿が白いべべをひきたてるだろう。赤と白とで、めでたかろう」
お祝いの言葉と一緒にみわちゃんは女の子に椿のかんざしをあげました。

 おばあちゃんの家に帰ると、みわちゃんは秘密をこっそりおばあちゃんにだけ話してしまいました。もっとも秘密とは話した時点でその輝きは少しだけ失せてしまうものなのですけれどもね…
おばあちゃんにだけはついついなんでも話してしまうみわちゃんなのでした。

「あーあ、そりゃあきっと…今に雨がふりだすね、庭の洗濯物をしまわないとね…」 おばあちゃんがそそくさと庭先に立って、洗濯物を籠に入れ始めるのを見て、みわちゃんは不思議に思いました。
だってこんなにぴかぴかにお天気がいいのに…
その直後、もっと不思議なことが起こりました。おひさまが照っているのに雨がぱらぱらと降り始めたのです。

「狐のお嫁入りだよ、今日は…」おばあちゃんは笑いながら言いました。
「あんたのママも昔、あの山で狐の姉さまのために椿の花かんざしを作ったことがあるのだよ。そのときも、こんな不思議な雨が降ったもんだね。」

赤い椿のかんざしを髪にさして、しずしずと山の中を歩く狐の花嫁の姿がみわちゃんの胸に浮かびました。
花嫁の白い着物の裾からはやっぱり、あの金色のしっぽがのぞいているのでしょうか。
そこでもこの不思議な雨粒はおひさまに輝きながら降り注いでいるのでしょうか。

わらだ光絵さんのエコログより
http://echoo.yubitoma.or.jp/?puid=c16be241803a84bff30fdd8c8c3f5824

占ってもらう前に、日常の思考や言動を自省することが先決!

◆運命占術雑感◆

日常の思考や言動を自省することが先決!

 鑑定依頼を受けた場合、占師として大きな責任が伴うので、細心の注意を払って鑑定に臨んでいる。

 昔、新聞社に在籍していた折、自分で取材企画を立てて中・四国、福岡を飛び回ったが、その中に占い師や霊媒師・霊能者も取材対象に加え、広範囲に直接取材したことがある。ところが大半の占術師は占いのレベルが低く、その反面、鑑定料が高額なので失望させられた。占いを依頼する場合は、占師をよく見極めることが大事である。高額な鑑定料を要求したり、開運グッズを高く売りつける占師も多いので注意が必要だ。
 また、開運を望むならば、高いお金を出して開運グッズを購入するより、毎日の生活態度の在り方や、人と接する時の言動などを振り返り反省し、改善することだ。それと、自然の恵みや、血となり肉となる多くの犠牲の上に生かされていることへの感謝の気持ちが自分にあるかどうか。物事を否定的に捉えていないか。何事も前向きに考え、明るく振舞うなら少しづつ物事が良い方向へ向かう筈である。
 朝でも日中でもよいが、陽を見ると思わず両手を合わすことが出来る人は常に目に見えない存在(宇宙意思、もしくは神仏)に守られており、危難に遭っても天佑が働く。毎日、感謝の気持ちを持って精一杯努力し、後は天(もしくは時の流れ)に任せるならば、天は決して見捨てはしない。

 また、占いに安易に頼るべきではない。人の心は弱く、占いに振り回されてしまいがちだ。岐路に立った時や、もうこれ以上努力しようもなく切羽詰って右か左かといった時に、占いの活用があるのだ。
 私の開運法は、開運グッズなどの安易なものでなく、先天的運命と後天的運命、それに前世探査による鑑定から導きだした特殊な開運法で、そのためには、本人の気持ちの持ち方と、アドバイスする開運法をやり通す(21日間)ことができるかどうか、その持続・根気が左右する。お金で開運グッズを買って開運できるならば誰も苦労しないだろう。

恵まれし今日の日は 再び来ぬ尊き一日 合掌

◆Tatsuyaさんは豊臣秀吉も魂のルーツの一人だった!◆

◆Tatsuyaさんは豊臣秀吉も魂のルーツの一人だった!◆

Tatsuyaは、毎日幾度となく私のブログに訪問いただいていますので、お礼を兼ねて、以前、Tatsuyaさんの前世探査をした折に、控えておいた前世探査ノートより抜粋してお教えします。

Tatsuyaさんは魂のルーツが4人、
遍歴の過程で登場する人物が6人、
ダイレクトに結びつく魂のルーツが
4人の計14人です。

地位・職業:
&#12832;天下人、僧、歌人、歌人&随筆家。
&#12833;遍歴の魂:作家、詩人&小説家、作曲家&ヴァイオリニスト、南画壇の作家、本草学者。
&#12834;ダイレクトの魂:鎌倉幕府の執権、戦国武将、小説家&劇作家、写真技師。

輪廻転生した国:
日本・アメリカ、ドイツ・アイルランド・フランス・イタリアの5ヶ国。

以下、Tatsuyaさんの魂のルーツの中から2人と遍歴の魂、それに、系列魂と兄弟・姉妹魂をお教えします。

◆Tatsuyaさんはの魂のルーツ◆ 其の一
【豊臣秀吉】  1573年~1598年 
千載一遇の好機をとらえ、天下人にのし上がった智将。
 織田信長の小者から身を起こし、太閤にまでのぼりつめた豊臣秀吉のスピード出世ぶりは、日本史上でも稀な鮮やかさでした。信長の足軽大将に取り立てられ、一国一城の主となって以後、本能寺の変をへて天下人になるまでの過程からは、秀吉の並外れた才覚と実行力がうかがえます。
 秀吉の戦略眼はたしかに傑出したものでした。しかし、それ以上に重要な要素として、「人たらし」とまでいわれる彼自身のキャラクターをあげることができます。秀吉は、周囲の人々を取り込んでしまう不思議な魅力を持っていました。あの信長でさえ、能力に対する評価とは別に、秀吉のキャラクターを愛でていたようですし、柴田勝家、丹羽長秀といった重臣たちも、とんとん拍子に出世していく秀吉を認めざるを得ませんでした。
 ただ人に好かれるだけでなく、秀吉には「この男なら何かやってくれる」という期待を抱かせる空気があったようです。つまり、人望があったからこそ、秀吉はその期待に応え、自分の能力を発揮したのです。
 戦国時代においては、家臣が主君を裏切る「下剋上」は当たり前でしたが、秀吉の周囲には絶体絶命のピンチに陥っても行動をともにして奮戦したり、絶好のチャンスを活かすために知恵をしぼる人材が集まっていました。
 たとえば、秀吉が出世のスタートを切ったころに力を貸した蜂須賀小六、天才的軍師といわれた竹中半兵衛、秀吉と義兄弟の約束を交わし、天下統一の戦略を練った黒田官兵衛などです。さらに、本能寺の変後、備中高松城からの電撃的な「中国大返し」を実行した多くの足軽たちでさえ、秀吉の激励に応えて奮闘しました。
 山崎の戦いで明智光秀を破った後、旧信長家臣団のトップに立ち、急速な勢いで天下統一という大事業を成し遂げた秀吉のセンスは、まさに現代のスピード経営になぞらえられるものです。情況の変化を敏感に感じ取り、すばやい決断で戦略を実行する能力があったからこそ、秀吉は天下人になったわけですが、その背景には、秀吉が持つ独特の「人を魅きつける力」があったのです。
 ほかの戦国大名ができそうでできなかった天下統一を短期間に成し遂げた秀吉でした。
文献:会員制、の情報サイト「Wisdom」より。

系列魂:
美濃部達吉〇 憲法学者。
竹村健一〇 テレビ・講演会・著作を手がける評論家。
かんべむさし〇 『宇宙の坊ちゃん』のSF小説家。
山田正紀〇 角川小説賞受賞作『神々の埋葬』、日本SF大賞作『最後の敵』で知られるSF小説家。
寺尾聡〇 俳優で歌手としても『ルビーの指輪』で日本レコード大賞&日本歌謡大賞を受賞。
氷室京介〇 元人気ロックバンドのボーカル。
小比類巻かほる〇 ロック・シンガー。
柴田恭平〇 テレビ『太閤記』で秀吉役を演じた俳優。
清原和博〇 プロ野球選手(巨人)。
ボブ・ディラン〇 『風に吹かれて』のアメリカのシンガー・ソングライター。
フランシス・コッポラ〇 『ゴッドファーザー』シリーズのアメリカの映画監督。
ロバート・レッドフォード〇 『普通の人々』ではアカデミー監督賞を受賞したアメリカの人気映画俳優。
エディ・マーフィ〇 アメリカを代表する映画スター。
ジャッキー・チェン〇 香港のアクションの映画俳優。

秀吉に辿りつくまでに遍歴の過程で登場する人物
〓松林桂月 1876年~1963年 
近代南画壇の代表的作家。

Tatsuyaさんの兄弟・姉妹魂:
錦織一清 1965年~ “少年隊”のメンバーで俳優。


◆Tatsuyaさんはの魂のルーツ◆ 其の二
【源信】 942年~1017年 
栄達の道を自ら断って、思索に生きた浄土教の先駆者。

源信に辿りつくまでに遍歴の過程で登場する人物
〓飯沼慾斎 1782年~1865年 
自ら顕微鏡を作り植物を図写して『草木図説』を著した本草学者。

〓ハンス・プフイッツナー 1869年~1949年 
『パレストリーナ』のドイツ人作曲家で“最後のロマン主義者”と称された。フランクフルトのホッホ音楽院で学び、各地で教授。ドイツのロマン派の感覚を墨守で、歌曲が有名。                      以上(2004.12.17)
              占術師&開運アドバイザー パール・やまぐち

占いの依頼を受けて家人の死期を当てたはいいが・・・

5年前のことになるが、知人を通じて観光農園をしている奥さんから運命鑑定の依頼を受けた。郡部に住んでおられ、またこちらも毎日が多忙なので都合がつかず、すぐには応じることができなかった。しかし、知人が言うには、用事でそのお宅に伺う度に、奥さんから「何故、先生をお連れしてくれないのか」と催促されているとか。
 今まで多くの方から運命鑑定を依頼されてきたが、私自身の考えとして、いくら見料を出すと云われても、すぐに応じたことはない。日頃の生活態度や言動を振り返り、じっくりと自省すれば自ずと解決の糸口は見つかるものであるし、或る程度は時が解決してくれるものである。
 大事なことは、何事もマイナス思考になっていないか、表情に暗さがないか、性格的に直すべきところはないか、偏った食生活をしていないか、毎日を思いやりと感謝の気持ちで過ごしているか、精一杯努力しているか等々、よく自省してみることが先決である。それをせずに、ちょっとした悩みや困り事が生じたからといって、安易に占いに走る人の場合は、占術鑑定をする気持ちが湧かないのである。

 現在はテレビや新聞・雑誌には欠かさず占いコーナーがあるし、ネット上でも占いのサイトは数え切れないほど氾濫しているが、大半がレベルの低い占いで、それで満足している人が何と多いことか。中には詳しく診てもらいたいということで、結果、占術師から5万円も10万円も取られる、その上、高価な開運グッズまで買わされる破目に陥っていっているケースが多い。それにより少しでも運が良くなれば結構なことではあるが、残念乍らそれだけでは開運に結びつかないのである。このような人達は、じっくりと自分を見つめ直すことが出来ないようで、あちこちの占術師を廻って、占いのはしごをすることになり兼ねない。結局、占いに振り回された人生を送っていることになり、自らが運を悪い方向へ持っていっているようなもので、到底、開運には程遠い。
 じゃぁ、占いに頼っていいのはどんな時かと言えば、毎日を前向きに、希望を捨てずに精一杯努力しても、一向に芽が出ず、どうしょうもない時とか、人生の岐路に立たされた時、もう後がなく切羽詰った状態に追い込まれた時などに、はじめて占いの出番となる訳である。それも、或る程度の人生経験を積み、深く運命占術の研究に携わっている占術師でないと的確な占断はムリである。
 
 最近の、若い女性がOLを辞めて、1年か2年ほど占い教室に通ってある程度、マスターしたぐらいのレベルの占術師では、とても人を鑑定する資格はないのである。また、人一人の運命鑑定をするには、大きな責任が伴うことが分かっていない占術師が多すぎる。それは、占いで告げられた占断結果は、本人は意識しなくても一種の暗示となって、潜在意識に植え付けられるからである。場合によっては、占い師の一言が大きな過ちを犯してしまうこともあり得るからだ。
 それと、テレビや雑誌などで占い師を見ていて思うのは、多くの占い師が、特に若い占い師が、竹の子族(表現がちょっと古いか)かと見まごうような衣装を纏っていたり、祭壇を設けて何かしら怪しげな神仏を祀っていたりする。私から見れば噴飯ものである。

 大分、話が横道に逸れてしまったので、冒頭の奥さんの鑑定依頼について話を戻そう。
 どうしても一緒に同行してくれねば、もう奥さんのところへは行けなくなる、と懇願され、とうとう知人の顔を立てるために半年後にようやく同行した。玄関を入った時から何か寒気を感じた。居間に通され、見ると旧家だけに立派な仏壇があり、そのすぐ右上に神棚があった。大変な問題を抱えておられ、家族会議の模様がNHKの衛星放送でも流された。奥さんからいろいろとその大変な問題の経緯を聞いている時、床の間の置物やテーブルの花瓶などが突然揺れだした。車の通行は少なく、また、高圧線の鉄塔もない土地である。地震でもなく明らかに地縛霊の仕業であることが分かった。
 奥さんに尋ねると、相当以前から此の現象が続いているそうで、突然、部屋のものが揺れたり、時には部屋のみならず、家全体が揺れて家族が気味悪がっているとのこと。今まで、何度もお寺さんや祈祷師に来てもらったりして拝んでもらったが、暫くすると、また揺れが始まると話された。一通り家を見て回って幾つかを指摘し、これから或る事を毎日実行するようにアドバイスした。 ある部屋には病人がいるとかで、その部屋は見せてもらえなかったが、奥さんをはじめ家族全員の名前と生年月日を書いてもらい、暫く頭の中で運勢を読み取った。それによると、どうも半年後にこの家から死人が出る卦が出たが、奥さんにはその場では言わなかった。きちんと命式を出して運命因子がどのようなものであるかを鑑定しないことには、うかつに口に出すべきでないからだ。
 数日後に鑑定書をお持ちすることを約束して帰途についた。早速、沐浴を済まして机の前に座り、精神を整えて命式の作成に取り掛かった。何と、凶作用をもたらす運命因子が幾つも出てきた。次に、秘術の前世探査をしてみると、幾人かの人物が判明したが、奥さんもお父さんもお母さんも相当に業の深い人であることが判明した。普通だったら救いようがない家族であるが、昭和54年に広島大学の松島竜太郎名誉教授から伝授してもらった、古くからイスラエルに伝わる白魔術の、『秘伝・折り紙によるダビデの星開運祈願法』がある。 その秘伝を使えば或る程度は救われる筈だ。但し、三七・二十一日間もの間、一日も欠かすことなく決められた時間にやってもらってこそ効果が出てくるもである。さて次に、卦を立ててみたら、今から半年後の12月頃に家人が亡くなるとの御託宣! 
 やはり間違いはない。4日後に詳しくワープロで作成した鑑定書を持って、知人の車で再訪した。奥さんに一通り鑑定書の説明をして、「ところで奥さん、今のうちから心の準備をしておいてください。臥せっておられる病人の病状が晩秋から徐々に重くなり、冬の12月頃に亡くなられる可能性が卦に出ています」と告げた。奥さんは、「鑑定書に書いてあることはほとんど当たっており、驚くばかりですが、病人についてはまだ死ぬような様子はないですよ! ちょっと風邪をこじらせて寝込んでいるだけですから・・・」と笑っておられたが、自分の見立てには確信があった。
 ところが、それから半年後の12月下旬に「先生の指導通りに開運祈願法を実行しましたら、あれほど頻繁に起きていた揺れがなくなりました。有り難いことです。只、あの時に先生が言われた病人が半年後に亡くなると告げられましたが、やはり先生の言われた通り、今月に入って父の容態が悪化し、先日亡くなりました」と、涙ながらに電話で報告を受けたのであった。

 それからが大変である。すっかり信用を得て大先生に祭り上げられ、以後は、奥さんの大げさなクチコミで『とてもよく当たる占術師のパール・やまぐち大先生』と、喧伝されてしまった。そのお陰で、次々と占い希望者を紹介いただいたり、また、自営の遠赤健康シートの普及に努めて下さって、その地方には広範囲にシートの愛用者が増えた。あれから4年を経過しているが、今でも、時折、旬の野菜や果物を届けて頂いている。
 ただ閉口するのは、未だに電話や知人を通じて「先生のお顔が見たいので家に来て欲しい。いろいろ話を聞いてもらいたい」と、懇願されることである。知人の都合と私の都合があるので、しばしば出向くことは出来ないが、それでも7,8回はお邪魔したであろうか。その度に下へも置かぬ接待を受け、帰りには沢山のお土産までいただくが、お土産の果物や野菜、漬物が知人よりも倍くらい多いので、知人はすっかりむくれてしまい、知人との付き合いが遠のいてしまったことが残念なことではある。